フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2008年7月アーカイブ

When will kandel 5th is released?

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延期に次ぐ延期のPrinciples of Neural Scienceの5th editionだが、
なんと米国のAmazonだと8/1発売予定になってる。

http://www.amazon.com/Principles-Neural-Science-Kandel/dp/0071390111/ref=pd_bbs_sr_2?ie=UTF8&s=books&qid=1217514887&sr=1-2

8/1って、明日じゃん!
えー本当に出るのー?
あやしい。
でも、古い方の4thは
120ドルから79.20ドルに大幅に値下げされてたたき売られている。
これはやっぱり、5thがでるから旧版はさっさと処分しようという
ことなのだろうか。

日本のカンデルの方はあいかわらず2009.1.18のまま。

2009.8.1にさらに延期になったに3000点。


Buena Vista Social Club

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作成:2008-07-26 11:55:16


ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブを見た。

キューバの映画にはわりと縁がある。
ハバナで生きる人たちを描いた「永遠のハバナ」。

国民から「フィデル」の名で呼ばれ絶大な人気をもつカストロを描いた「コマンダンテ」。
2007/5/28

どちらも素晴らしい作品だったが、
今度のキューバ映画もすばらしかった。

この映画は映画というよりは記憶だ。
年老いたが腕はまったく衰えていない名演奏家達が語る断片的な回想。
街を歩きながらこぼれた鼻歌が、
なめらかにコンサートの映像につながる。
コンサートの映像からスタジオ録音の場面へ。
そして、ホテルでの誰かのインタビューの映像にまた戻る。

この人たちは何故こんなにも素晴らしい演奏をできるのだろう?
一流の演奏家、といって思い浮かぶのはクラシック音楽の演奏者たちで、
彼らは毎日何時間も楽器の練習に時間を費やす。
では、この映画の中の演奏者達はそのような時間を経ているだろうか?
もちろん、膨大な時間を練習に当てているに違いない。
でも、そのような壮絶さは感じられない。
なんだか、このひとたちは自然体で演奏しているように見える。
まるで野生の動物が走り方を教わったわけでもないのに、
とてつもなく早いスピードで走るように。
そもそも、キューバは食べていくだけで精一杯という人が多いのではないか。
実際、映画では靴磨きの仕事をしていたところを、
急に連れ出されてきた人もいる。

そのような国で生きながら、
これほど高度な演奏を学ぶのは想像できない。

でも、それが情熱の成せる業なのかも知れない。
キューバの音楽を聴くと、力が湧いてくる。

***

しかしYouTubeはすごいなぁ。
なんでもあるよ。

YouTube: Buena Vista Social Club - Chan Chan (thanks to clivefromyorkshire)

映画の中でも流れたChan Chanという曲。
クラシックギターの音色の澄んでいること!

leverage

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メモ、です。
最近読んだ本。
こういうことを書くのは恥ずかしいんだけども、
あとで見返すための記録は大事なので。

***


こういう類の本て、読んだら負けだ、って思うんだけど、
たまたま近くにあったので読んでしまった。

こういう本て、読むと元気になる。
「そうか、こうすればオレの人生バラ色!」的な興奮を味わえる。
リポビタンDとかコーラみたく。

で、それで味をしめて、似たような本を読みたくなって
本屋に平積みにされていたこの本を買ってしまった。


レバレッジって、「てこ」です。
アルキメデスが
「それに見合ったテコと足場を用意してくれれば、
私は地球をも動かせる」
といった、あのテコ。

最近、ホントーに自分の英語力に危機感を感じている。
この本の冒頭でとても重要な指摘をしていて、
書店でぱらっと見たときにそれが目に入って気に入ったので、
それに対する対価という意味でこの本を買ってしまった。

曰く、
『九0年代初め「パソコンはできるやつに任せておけばいい」と
のんきに構えていた人が、あっという間に「パソコンが使えないと
就職すらできない」という急展開に飲み込まれたのと同じ現象が、
英語に関しても早晩、起こると思います。』

たぶんまさにその通りだと思う。
PCやインターネットというツールは今や必須で、
これ無しでこれを持った人々と戦うのは相当に苦戦すると
思われる。

PCやインターネットのリテラシーがないことは
現代において致命的だ!という認識は、
実は気付いている人は気付いているけれども、
一部の人たちは気付かないふりをしている。
それで逃げ切れるなら、それでもいいんだけど、
そうでない人はいつかはツケを払わないといけない。

オプションとして持っておくと便利、なのではなくて、
持っていないと即死の必須ツール。
ITリテラシ、英語力の他に金融リテラシも
これからはそういうものになると思う。

***

それはともかく、英語ができるようになりたいです。
今自分がどれくらいの英語力なのか客観的な指標が知りたくて、
しょーもないと思いつつTOEICの模試問題集をやってみたら
690点でした。(listening325, reading365)

ああ、恥ずかしい。
見ないで・・・。

博士課程の学生をやっていて思うのは、
いまのこの英語力は博士の学位をとるにあたって
致命的であるということ。

英語なんかできなくたって、
きちんと物事を考える能力があればなんとかなるはず!
と思って英語の勉強をしなかった学部時代。
その考えは甘かったというのが偽らざる今の心境。

確かに、博士の学位をとるということにおいて
英語の能力は本質的な能力ではないかもしれない。
だけど、オプショナルな能力=あれば便利な能力かというと
そうしゃなくて、実は運転免許のようなものだ。
なかったら運転すらできません。


reading on a magazine

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今晩はトンカツを食べようと思って
駅前の「かつき」に行ったら、
「定休日が火曜日から日曜日に変わりました」
という張り紙でがっくし。

近くの洋食屋、「サンロード」はどうかな?と
覗くと、混んでいた。
それに、カップルや家族連れが多くて
ひとりじゃなんだか入りづらい。

遠出をすることにした。
大倉山駅の方へ走る。ときどき歩く。
走り出してもすぐ歩く。

ロイヤルホストを過ぎたあたりで、
冴えない感じの中華料理屋があった。
大倉山駅までもうすこしだったけど、
そこまで行ったところで報われない気がしたので、
その中華料理屋で手を打った。

ファミリーレストランみたいなツルツルピカピカした
お店よりは、こういう寂れた風情のお店の方が、
なぜか、すきだ。

中学生か高校生ぐらいの女の子が
注文を取りに来てくれたけど、
日本語が不自由で、なかなか意思の疎通ができなくて、
そうしたら奥からカタコトの日本語を話すおじさんが出てきた。

「表に出てた看板の定食はまだやってるの?」
「ハイ、まだダイジョブです」
「何がありましたっけ?
「ゴモクチャハンと担々麺と鳥肉の細切り炒めと・・・」
「それ!その鳥肉のやつください」
「あい、ワカリマシター」

厨房はこのおじさん一人らしく、
他にもお客さんが二組いたので、
なかなか料理が出てこない。

ほぼ手ぶらで出てきたので、
ケータイすらなくて手持ちぶさただった。
店を見回すと、入り口の一角の棚に
マンガの週刊誌がどっさり詰め込まれていた。

棚をガサゴソあさってみたけれど、
どれもこれもことごとく古い。
平気で1年前の雑誌がある。
しばらく漁っていたけど、
めんどくさくなってきたので、
一番上のをとった。
伊東美咲が表紙のビックコミックスピリッツだった。
(ググったら07/5/21NO.23だった)

パラパラめくって笑ってしまった。
本当に古いのである。

「CAとお呼び」の作者の「CAとお呼び」の次の作品がやってたり、
一色登希彦の「日本沈没」がまだ日本が沈没するまえだったり、
「地平線でダンス」がまだモルモット編だったり。

そこに刷られているものが最新だったときがあって、
その頃に読んでいた自分は確かにそれを
最新のものだとしてわくわくしながら読んでいた。

だけど、いまはそのワクワク感がなくて、
変わりにワクワクして読んでいた頃の記憶とともに読んでいる。

何年も前に読んだ小説を読み返す、という経験に比べて、
何年も前に読んだ雑誌を読み返すという経験は少ない。
そのせいか、なんだか妙に新鮮な気分だった。

そう思っていながら、ふと、
連載で読むことについて考えた。

このCAとお呼びの次の作品とか、地平線でダンスとか、
単行本では絶対読まなかっただろう。
スピリッツに連載されているという縁で読み始めて、
前者はいつの間にか終わってて、
後者は今も続いててそれなりに続きは気になる。

なんとなく、
そうやって連載で何かを読むことは大事なことなんじゃないだろうか
という気がしてきた。
これまで

読みたい作品がある→それを連載している雑誌を読む

というスタンスだったけど、

毎週買っている雑誌がある→連載されている作品をみる

というスタンスは、
何かに対して、有効なんじゃないだろうか。
そんな気がした。
いまのところ一つだけ言えるメリットは、
自分のセンスからはこぼれてしまう作品とも
接する機会が与えられるということだ。
自分とは異質な何かに接するチャンスであり、
それは自分のチャネルを広げるよい機会になりうる。

そんなことを思って、
これからはオジサンが読むような週刊誌を読んでみようと思った。

週刊朝日とか週刊現代とか週刊ポストとか週刊新潮とか
ともかく週刊とつく雑誌は多い。
そして一様にオジサンくさい。
はっきり言って、どうしてあれを読む人は
あれを読む気になるのかわからない。
それに、週刊なんとかは個体を識別できない。
どれもこれも同じに見える。
かろうじて分かるのは、
グラビアの露骨度に差があること。

自分と同世代の人間が
あの類の雑誌を読んでいるのを見たことは一度もない。
唯一、友達でAERAを読んでいる人がいたけど、
やはりAERAであってもそういう雑誌を読む人は珍しいので
「休み時間にAERA読んでいる人」という風に形容されていた。

同世代ではないけれど、
ごく身近な人で週刊文春を読んでいる人がいる。
正直、何が楽しくて読んでいるのかわからないけど、
もしかしたらためになるのかもしれない、
という気がしてきたので、
帰りに週刊文春を買ってみた。

読んでみた。
なんていうか、
お昼に生姜焼き定食を食べながら横目で見るのに
適しているなーと思った。

しばらくは毎週淡々と読んでみようと思う。

ALICE: Rahmens

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いつだったか、大学のキャンパスに
「ラーメン構造を用いたなんとかなんとかの設計」と題した
博士論文かなんかの案内の紙が張られていたことがあった。
「ラーメン」という単語が出てきたので笑ってしまったが
いったいなんのことだかわからなかった。
あれは「ラーメン」というのは
小麦をこねて細く伸ばしたものを暖かい汁につけて食べる
あの中国発祥の料理ではなくて、
ドイツ語の「Rahmen」のことだったということに気付いた
今日この頃。
ドイツ語で「Rahmen」というのは「額縁」のこと。
純ラーメン構造、みたいに、
建築の世界ではよく使われる言葉らしい。
筋交い(すじかい)を使わずに直角な棒の接合によって
壁(平面)を作るような構造をラーメン構造というらしい。

***

さて、こちらは麺類でも建築用語でもない「ラーメンズ」。
お笑い、というかアーティストといった方がよいかも。

http://www.rahmens.net/

今年の2月頃に「ラーメンズ」にはまって、
当時は一日3時間はみなければ気が済まないほど
中毒になったが、
ここのところは落ち着いていた。
が、最近またムショーにラーメンズがみたくなって、
しかもこれまでに見たことがないやつが見たい!という
衝動に駆られてついにラーメンズのDVDを買ってしまった。


今回買ったのは「ALICE」。
2005年の第15回講演。


「モーフィング」
これはDVDではじめてみた。
モーフィングのようにそれぞれが独立して関係のない場面が
切り替わる。
その形が連続的に変わっていく感じを、
演劇でやろうとする発想がすごいし、
実際、成功している。


「後藤を待ちながら」
DVDではじめてみた。
長谷川さんが哀れで、岡田が怖い。


「風と桶に関するいくつかの考察」
うまい。
「風が吹くと桶屋が儲かる」というのは
よくわからない理屈で原因と結果が結びついているのを
表現した諺だけど、
風が桶屋になる「理屈」をいくつも披露している。


「バニー部」
硬派な応援団的な雰囲気のバニー部。
片桐仁がひたすらすわっているだけで、まったく動かない。
小林賢太郎がひたすら一人相撲をとる。
ラーメンズが発明したコントの新しい形式。

これもすっごい笑った。
強面硬派な人格と、女っぽい甘えた声を出す人格と、
猫の声真似とか小道具を使った一発芸とか、
小林賢太郎の芸の多様さが伺える。

冒頭のレディオ体操第一を
よく考えたなーと感心するし、
真似しようとしてもあの動きはなかなかできない。


「甲殻類のワルツ」
これもDVDではじめてみた。
フォッフォッフォ。


「イモムシ」
これは小林賢太郎氏がイモムシの人形を操って、
片桐仁氏と対話するというもの。
イモムシと片桐仁はフィギュアスケートのペア同士、
というような設定。
ただし、実際にはフィギュアスケートではなくて、
フィギュアスケート的な何か。

小林賢太郎が90年代のトレンディドラマのヒロイン的な
しゃべり方をするんだけど、
それを喋っているのはイモムシっていうシュールさ。

「ブルーバンブー」でもっとも受けた。

「不思議の国のニポン」
これはほんと傑作。
片言の日本語で日本の都道府県を説明していく。

「北海道!」
「住民の半分がー、くま!」
「もう半分が、かに!」
「公式キャチフレーズ」
「試される、大地(田中邦衛ぽく)」

栃木→群馬→埼玉、の流れとか秀逸だなーと思う。
全部、猿、馬、サイと動物つながりで来ている。
単品でもそれぞれのネタは面白いけど、
やはりそういうつながりがあるから、
非線形な作用が生まれて爆発的な面白さになる。
熊本→長崎の「ぽん」繋がりとか。
秋田のナマハゲの話が岡山の桃太郎の話でつながるところなんか、
「くぅーーーーーー」と
憎らしいほどあっぱれな伏線の張り方。

最初に見たときはどこを見ても笑えて、
呼吸が苦しくて笑い死ぬかと思うほど笑った。
是非、この「不思議の国のニポン」は見て欲しい。

公演のタイトルがALICEで、
「不思議の国の」というタイトルをつけるということは、
この作品に相当の自信があると言うことだろう。

小林賢太郎氏の脚本の発想力もさることながら、
その話芸の巧みさもうならせられる。
なぜあそこまで、外国語っぽい発音とか、
DJが皿を回す「ドキュドキュ」という音とか、
全然人格の違う声とか、出せるのか。

***
ほとんどをYouTubeで試聴可能。

「モーフィング」

「後藤を待ちながら」
ない。

「風と桶に関するいくつかの考察」


「バニー部」

「甲殻類のワルツ」


「イモムシ」
ない。


「不思議の国のニポン」

Ohachi at the foot of Spain slope

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どはー疲れた。
本日はバイト7時間。

与えられていた仕事がやっと完成か!
と思ったのも束の間、
WindowsのIEでみると表示が崩れてしまって、
いきなり致命的なバグ。
これで一気に疲れを感じた。

Javascriptがわかりません!
てか、ブラウザ依存な動作しすぎ。

バイト後はスペイン坂の下にある「おはち」で
ごはんを食べて帰るのが常となってきている。
ごはんと味噌汁におかずが一品ついて、
さらに小鉢が三つぐらいつく。
麺類や丼ものよりはこういう他種類をちまちま食べるのが
スキなので、おはちになってしまう。
宇田川交番裏にある兆楽という中華料理やも時々いく。

お店にはいると「禁煙ですか?喫煙ですか?」と必ず聞かれるわけだけど、
最近はこのお店に来たときは「喫煙で」と答えるようにしている。
別に、煙草を吸うようになったわけではない。
そうではなくて、
禁煙席よりも喫煙席の方が広いし窓から景色も見えるからだ。
禁煙席だと窓がないし、
狭い席に通されることが多い。

そんなことに気付いてしまうほど、
ここのおはちに足繁く通っているわけだ。

場所が渋谷の一等地的な所にあるだけあって、
このお店は混んでいることが多い。
バイト帰りの通り道にあるので、
「お腹空いたなー」と思うととりあえず覗いてしまう。

今日は「黒むつの西京焼き定食」に
納豆とチョレギサラダの小鉢をつけて
1000円ジャストでした。

kuromutsu.jpg

PureVision 5th day

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PureVisionを入れて五日目。
一日目と二日目はレンズを入れたまま寝たけど、
やっぱりそれだと疲れるような気がして、
三日目と四日目ははずして寝た。

起きた瞬間から視界が良いというのはやっぱりよくて、
手元の時計をひっぱって目の前でみるよりも、
遠くにある時計をちらっとみれるというのは、
気持ちがよい。
ただ、はずして寝る方が、目がスッキリする気がする。

装用感はこれまで使ったソフトコンタクトの中で
一番いいかもしれない。
レンズはずれづらいし、
何より充血しない。
一日の装用時間が長いので、
夜には目が赤く充血してしまうのだけど、
このレンズだと充血しないで済む。
さすが酸素透過度が90%を超えているだけある。

装用感と酸素透過度からすると、
着けっぱなしで寝るという点を除いても、
このレンズは良いが、
ほかのソフトコンタクトと比べると
値段が高い。
普通のコンタクトだと、一ヶ月4000円で済むところが、
このコンタクトだと6000円を超える。

そもそもこのコンタクトを使いたいと思ったのは、
キャンプに行ったときにコンタクトを変えずにすむと
思ったからだ。
キャンプ場だとレンズをこすり洗いするとか無理なので、
必然使い捨てになる。
しかし、使い捨てにしても、
毎朝コンタクトレンズを入れるという行為は
面倒だし、衛生面も悪い。
起きてすぐ洗面所がある家とは違って、
キャンプだと水場まで歩いていかないといけないし、
風呂にもろくに入れない状況なので、
手も衛生的なきれいさを保っているとは言い難い。
そんな状況下でコンタクトレンズを出し入れするというのは
それなりにリスキーだ。

だから、キャンプ期間中はレンズを出し入れしないで済む
入れっぱなしタイプを使ってみたかった。

コストがかかることを考えると、
キャンプなどの特別なときにPurevisionを使って、
普段は安い方を使うか。
いやしかし、装用感の良さや充血せずに済むことを考えると、
ずっとPureVisionを使っていたい誘惑に駆られる。

以前の記事:
PureVision first day

Otto e Mezzo: Fedelico Fellini

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Federico Fellini
Otto e Mezzo
8 e 1/2

フェデリコ・フェリーニの8 1/2(はっかにぶんのいちと読むらしい)。
タイトルの由来はフェリーニの8.5本目の作品ということだからだそうな。
(0.5は短編)

好きな映画はいろいろあるけど、
この作品は他の作品を押しのけて
個人ランキング堂々の一位になりました。

キリスト教の話とか、
不倫の話とか、
妄想の中のハーレムとか、
幼い頃の記憶とか、
映画が出来ない話とか、
いろいろな文脈が交錯しているのだけど、
結局は主人公グイドと妻エリザが
仲直りしててんやわんやの大円団、
という話に回収される、
というので、いいんだろうか?

あんだけいろいろ出してきておいて、
結局はそれかよ!
と見終わったときは思ったけれど、
いまはそれでいいか、という気がしている。

「人生はお祭りだ。
だから一緒に過ごそう。」

Life is a party.
Let's live it together.

La vita è una festa.
Viviamolo insieme.
(英文をイタリア語に機械翻訳してみた。
二行目はたぶんあってるけど、
一行目は少し違う感じ?)

こんなこといわれてズキューンとならない女はたぶんいない。
女じゃないのにズキューンと来たもの。

グイドにそういわれて、
エリザは
「あなたが正しいかわからないわ。
でも、あなたが助けてくれるなら
やってみる」
という。
これまでにつけられた無数の傷が痛くてしょうがないのに、
それでも未練がましく離れることができずにいて、
これから先も同じことの繰り返しかも知れなくて、
手放しでよろこべはしないのだけど、
でも、うれしい。
涙が傷に触れて痛いけども、うれしい。
泣きながら食べるごはんみたいに、ちぐはぐな感覚。

このエリーザ演じる女優アヌーク・エーメがすごい。
演技がすごい。
街でぶらぶらしているときの退屈な表情と、
偶然グイドと再会を果たした瞬間の花が咲いたような笑顔。
かと思えば、突然気むずかしい顔で不機嫌でむくれ続ける。

ホテルに夜遅く帰ってきて、
「こんな遅くまでどこいってたの?」というのが
ありありと浮かんだグイドの表情をみると、
実は気をひくために不機嫌を装っていたのだけど、
そのグイドの表情があんまりかわいくて思わず笑ってしまう。

この映画にはたくさん女性がでてくる。
ブリブリのカマトト女や、
魔女みたいのや、
妖怪みたいのや、
インテリだけどちょっときちがいっぽいのや、
魑魅魍魎が跋扈するなかで、
このエリザは
性的でもなく神々しくもなく凄みがあるわけでもない美しさが
ほんとうに冴えている。


この映画は白黒映画なんだけど、
カラーの映画が嫉妬するぐらい、
色彩が素晴らしい。
白黒なのに色彩が素晴らしいのである。
白と黒のコントラストと構図だけで、
ここまで豊かな映像表現ができるのかと、
舌を巻いた。
ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」ぐらい、
鮮やかだ。

ひとつひとつの映像の構図もすごくて、
フェデリコ・フェリーニという監督が
すべてのコマのすべての場所に神経を尖らせて
映像を制御しようとしていたのがわかる。
そして実際、成功している。
白黒という色の制限と、
フィルムの粒子の粗さを最大限に利用している。

たくさんの人物が入れ替わり立ち替わりでてくる場面なんか、
余程気を配らないと、
あそこまで均整のとれた映像にはならない。
誰々がどこから入ってきて、どう抜けていって、
その間の動きはどうで、
次の人はここから入ってきて、
前の人の動線とぶつからないようにして、
かつ不自然な動きにはならにようにする。
そのためにカメラはここからこう動かして、
ここまでもってくる。
もちろん、背景に映る人々の
一挙手一投足もきちんと計算に入れている。


映画のラストに全員が白い衣裳で登場する。
このシーンが、本当に鮮烈だ。
これまでの衣裳はこのシーンのためにあったかのように、
決定的に機能している。

少年のマントと帽子。
カルラのファーのついた服。


全員が手をつないで輪になって、
歩いていく。
グイドとルイザも輪に加わって、
音楽が咲き乱れる中、
歩いていってしまう。
すべてを洗い流すようなラスト。


渋谷と表参道の間にあるシアター・イメージフォーラムで
やってます。
見に行きなっせ。

http://www.imageforum.co.jp/theatre/index.html
http://www.zaziefilms.com/eight-half/


映画のラスト。
見に行く人は見ない方がいいかも。

Gyoza day

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本日は餃子デイでありんした。
いつもは材料を細かく刻む役だけど、
今日は包む役をやった。

CIMG1706.JPG
焼く前の餃子

CIMG1710.JPG
焼けた餃子

餃子って英語でなんていうの?
Jiao-ji?
steam-baked meat pie?

2008/7/24追記:
中国からの留学できているバイトの同僚に聞いてみたところ、

「餃子って日本人の発明デショ」

と言われてしまった。
Jiao-jiは確かに餃子をさすが、
それは日本人の感覚からすると水餃子にあたるらしい。

「焼餃子に相当するのは何て言うの?」

と聞いたら

「あれもJiao-jiだけど・・・、Gyozaでいいんじゃない?」

とのこと。
Japanese Jiao-jiとかの方がいいのかな。
ちなみに

「英語の辞書にはsteamed-baked meat pieって書いてあったよ」

と言ったら

「pie って・・・(笑)」

という反応だった。
やっぱり・・・、ねえ(笑)
あれはパイじゃねーだろー

PureVision first day(Bausch&Lomb)

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ボシュロムってBoschromじゃなくて、
ボシュとロムでボシュロムなんだ、
と、今気付いた。
BauschとLomb。

今日横浜に行ったのは、
使い捨てコンタクトレンズの在庫が
底をつきかけていたから。

コンタクト歴はいつからだっけ、
でもたぶん、6年以上は使っているはず。
で、その間に一日使い捨て、一週間タイプ、
二週間タイプ、一ヶ月タイプ、
非球面レンズ、
普通のソフトコンタクト、と
ソフトコンタクトレンズはいろいろ試した。

いろいろ試して、最近は、
割高だけど手間のかからない一日使い捨てにしていた。
けども、また新しいのに挑戦したくなった。

それが一週間連続装用できるボシュロムのPureVision。
なんと、いままでのコンタクトレンズの常識を覆すことに、
寝るときもはずさなくてよい、というのを謳っている。

ボシュロムのPureVision

以前、試そうとしたんだけど、
敷居が高くてその時はパスした。
なぜ敷居が高いかと言うと、
最初に一週間の検査が必要だから。

初めての時は売ってもらえなくて、
一週間分だけ、つまり右目左目一枚づつレンズがもらえる。
そうして、それを着けて一週間過ごし、
一週間経ったらまた眼科に行って診てもらい、
それで問題なければやっと販売してもらえる。

つまり、買いに行った一週間後に
また行かなければいけない。
今回はそれができそうなのでやってみることにした。

レンズの装用感は普通で、見えも普通。
このレンズはシリコンでできているんだけど、
そのわりにゴワゴワしていない。

以前、チバビジョンから出ている、
一ヶ月使い捨てタイプのを使っていたことがあった。
これは使用期間が長い分、コストパフォーマンスがよかった。
つまり、安かったのだが、
シリコンでできているため、
少しゴワゴワとした感触がある。
しばらく使っているうちにそのゴワゴワ感が強くなり、
しかも毎日のこすり洗いがめんどうだったのでやめてしまった。

一般にソフトコンタクトレンズは
高分子素材のものと、シリコン素材のものがある。
高分子素材のレンズが圧倒的に多いし、装用感もよい。
しかし、シリコンと高分子を比べると
圧倒的にシリコンの方が酸素透過度が高い。
酸素透過度が高いほど目への負担は低いので
シリコンの方が目への負担は少ないことになる。

今回のPureVisionもシリコン製で、
確かに、レンズを指でつまむと硬かった。
つまんだ部分に後がつくほどの硬さだ。
しかし、着け心地はいまのところは高分子系のものとかわらない。

今日はこのままレンズをつけて寝ようと思う。
昔はよくレンズを着けっぱなしで寝てしまうことが多かったので、
レンズを入れたまま寝るのには抵抗がない。

明日、起きたときに、
すぐに視界がクリアになるかどうかがみものだ。

というわけで、PureVision装用第一日目。

innocently swinging laundries in summer wind

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昨日は、飲み会を二件ハシゴで飲み過ぎた。
どちらも、昔の同期たちとの飲み。

夏になると、
「久しぶりにあつまろーよ」というのが増える。
それはやっぱり夏の暑さで、
脳のどこかがシグナルを発するのだろう。

もうさすがに、
オレの同期達のほとんどは就職している。
社会人の身振りや顔つき、服装。

本当は、みんなもう準備はできていて、
ただ、猶予が与えられていたから、
そうはしなかっただけ。
そう、諭されているようだった。

それでも、博士にすすんだやつもいて、
一件目の飲み会では2人、
二件目では3人。
ハーバードに留学するとかいうやつがいて、
ガクシンも面接なしでDC1に受かってて、とか。
もう、論文も一本でているとか。
そういうやつがいて、
すごいね!と言うときに、
別の感情が、遮る。

そんなに量はのんでないのに、
シャンパン、ビール、ウィスキーとちゃんぽんしたせいか、
今日は大いに宿酔い。
寝苦しさで朝の5時半ごろに目が覚めた。
洗濯物をして、
インスタントラーメンなんぞ作って食べて、
シャワーを浴びて、
そうして、やっぱり頭痛がひどかったので、
また布団にもぐって、汗をかいた。

昼過ぎに、やっと這い上がる。
窓の外は、相変わらずよい青空だった。

洗濯物が風に揺れていた。
屈託なく、風に揺れる。
損得勘定も嫉妬や妬みの感情も何もない。
自分にはできないその動きに、
見とれた。

意識が、自意識が、あるからいけないんだ。
何故、脳は他者の信念を推定して、
それを効用関数に組み込んだのか?

意識がなければ、
この宿酔いの気持ち悪さとも
無縁でいられる。

意志ってなんなんだ?
ある目的を遂行するために持続する指向性。
目的を遂行するために、
その指向性の意識的表象は必要なのか。

その指向性の持続は、
どのようになされるのか?
「意志を貫き通す」というのは、
「意志の力」によって、可能なのだろうか。
そこには、脳というシステムの
物質的な制約はないのか。

横浜では花火があるらしい。
人が多くて、浴衣も多い。
花火がきれいなら、
この夜が楽しければ、
それでいいじゃないか。

誰かがそうつぶやいている。

Rhythms of the brain

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G. BuzsakiのRhythms of the brain、読んでます。

「りずむすおぶざぶれいん」は言いづらいし、
「脳のリズム」と日本語訳しても通じないので、
「ブザキ読んでます」という。

神経科学の標準的な教科書である「カンデル」も
本当は「Principles of the Neural Science」という名前があるけど、
「神経科学の原理」とか「神経科学入門」とか訳しても
いまいち雰囲気でないし、そもそも同名の本は他にもあるので、
結局「カンデル」と呼ぶことになるわけで。
(あ、カンデル翻訳サイト「カンデル読んでる」は細々更新中)

「ブザキ読んでるんだ」
「カンデルに書いてあったよ」

いつか、人名がその本のリファレンスとして機能するような
大著を書いてみたいっすね。
ええ。

「もう"ノザワ"は読んだかい?」
「うん、あの表紙、いいよね」
とか。

***

ブザキは3人で輪講形式で読んでいて、
3/11に第一章を読み始めてから、
やっと、7章まできた。
当初は、一章ごとに担当者を決めて、
二週に1回のペースで開催するつもりだったのだけど、
なかなか進まなくて、3〜4週で一章のペース。
オレが担当した6章はまる一ヶ月かかった。

普段の輪講と違うのは、
担当者以外も当該の章を読んでくるという形式にしたこと。
そして、一行一行、「これってこういうことだよね?」と
3人で確認しながら読み進めていく。
予習しないで担当者の話を聞く、形式だと
、 分かった気になって通り過ぎてしまうことが
往々にしてあって、
それを阻止するためにこのような形式にした。
全員が同意するまで
「だからこういう意味でしょ」
「えー、でもじゃあここにこう書いてあるのは?」
「うーんそれは○△×で・・・」
と執拗に続ける。

こういう形式の輪講を大人数でやると収集がつかなくなると
思ったので、
3人という少人数でやっている。
普通の輪講だと、人数が増えるので1人当たりの負担は減るけど、
この場合は、人数が増えても負担は変わらない。

***

このブザキの本は各所で絶賛されてて、
いい本なんだと思う。

が、個人的には
「んんんんー、いい、本、だ、よ、なぁ?」
という感じ。

そもそも
いい本かそうでないか、を判断できるレベルには
まだ至っていないと思う。
英語読解能力にしても脳科学リテラシにしても。

いや、でも、まあ、うん、面白いです、この本。

この本は一体、何の本といったらいいのだろう。
「脳のリズム」といわれても、なんか漠然としている。
リズムって聞くと、睡眠のサイクルとか?
サーカディアンリズムとか?視交叉上核とか?
あるいはα波とかγバーストとか、脳波の話?

とりあえず、そういう話は全部今のところ出てきている。
けど、そういうことがこの本の本質じゃなくて、
もっとメタな視点からも脳というシステムの本質に関して、
突っ込んでて、ギリギリ勇み足で、時々ぶっ飛んでて、
だけど、100%真剣で本気な議論が繰り広げられている。

複雑系の話やニューラルネットやスモールワールドネットワークや
tensegrityやバックミンスター・フラー。
wetな神経生理学的アプローチだけでなく、
力学系やコンピュータ科学、グラフ理論の話なども交えて、
脳を解体する方向からだけではなく、
脳を構築する方向からの議論もしている。
こういう議論をここまでタフにしている人は
なかなか見あたらないと思う。

個人的に興味がある、神経回路の自発発火の話もでてきた。
自発発火の問題について、答えがでているわけではないけれど、
ノイズと自発発火の関係が堂々巡りしている感じが書かれていて、
やっぱり同じところでみんな悩んでいるんだというのが、
わかってホッとした。

いま読んでる7章は脳のdefault stateとして睡眠状態を扱っていて、
なかなか面白い。
視床のコネクティビティについて書いてあって、
なかなか勉強になる。
睡眠に関してにわかに興味がでてきた。

今後、できるだけ、この本の感想やまとめなどを
書いていこうと思います。

Sad news

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うわ、今日も暑そう。

困ったことに研究から遠ざかり過ぎている。
最後に論文手に取ったのいつだろう?
脳科学系の他の人のブログを熱心に読まなくなったし、
有楽町の学会にも行かなかった。

悲しいことに脳科学に興味が湧かない。

オレがいてもいなくてもこの世界は変わらないじゃん、
という思春期によくある、
あの厭世観に似た感傷を感じる
脳科学倦怠期。

でもそれ以前に、
他のことに時間をとられすぎている
ということに気付くべきなのかも知れない。
このままじゃ5年経っても学位なんて取れない。

Tofukuji (Tofuku temple), Kyoto, Japan

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tofukuji1.JPG

tofukuji2.JPG

東福寺に行った。
東福寺の方丈庭園。

これが、素晴らしかった。
方丈の寺のまわりをぐるりと庭が囲み、
東西南北それぞれで、趣向が異なる。

きれいに整えられた砂の海と底に浮かぶ岩。
こんもりとした五つの丘に茂る苔の緑。
格子状に白い石と苔が並ぶ市松模様。
これをイサム・ ノグチは『モンドリアン風の新しい角度の庭』と
表したそうだ。

素晴らしすぎた。
しばし、床に寝そべって悠久に流れる時間をむさぼってしまった。
ただそこに座って庭を眺めているだけで、
深い思索の中へと潜っていけてしまう。
そんな魔力がある。
庭を見ているといつのまにか頭の中の宇宙を漂っている。
半眼でみている。

この庭は重森三玲という人の作品で、
この人の他の作品もみてみたい。
日本庭園という古めかしいジャンルなはずなのに
ものすごくモダンなのだ。


Yoshimizu, Maruyama park, Kyoto

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京都では円山公園の中にある宿、「吉水」に泊まった。

京都吉水: Kyoto Yoshimizu

京都の街はひとがいっぱいいて車がばびゅんばびゅん走ってて、
喧噪と無縁ではいられない。
けれど、円山公園の中にあるから、この宿はとても静かで、
とてもぐっすり眠れる。

まわりには人通りがないしお店がないから、
電気を消すととても暗くなる。
濃密な闇。

忘れていた静けさと闇の効用を思い出す。

yoshimizuKyoto.JPG

6畳の狭い部屋で、風呂もトイレも部屋にはなくて、
一泊ひとり8000円。
高いと見るか、安いとみるかはそのひと次第だと思う。

お風呂がちょっと汚かったり、
駅からあるこうとすると結構疲れたりする。
最寄り駅は東山駅か、京阪四条だったかな。
いつも八坂神社を通って円山公園を突っ切るときに、
吉水に到着してから遠回りしていたことに気付く。

朝食を食べる場所は庭との境目が感じられなくて、
とても気持ちがよかった。

yoshimizu1.JPG
yoshimizu2.JPG
yoshimizu3.JPG

Kobe

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神戸にいます。
ホテルオークラに宿泊中。
部屋が広い。
ひとりなのにベッドがふたつ。

CIMG1549.JPG

25階なので、景色が良いです。

CIMG1550.JPG

ホテルの近くに魚のおっきなオブジェがありました。
なかなかよい造形をしている。

CIMG1569.JPG

これからバスに乗って神戸観光だそうです。
そのあと別件で京都に行く予定。

Femtosecond has moved!

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フェムトセカンドはサーバーを
ロリポップからさくらインターネットに移転いたしました。

お手数ですが、ブックマークの変更をお願いします。

新アドレス:http://nozawashinichi.sakura.ne.jp/fs/

野澤真一

P.S. 明日から神戸に行きます。

Original summer scene

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夏至はとうに終わってしまっていて、
梅雨ももう明けたかと思わせるほどあっつい陽が差す。
でも、出鼻をくじくように雨が降る。

先週の金曜日は見事な夏日だったので、
衝動のおもむくままに海に行ってきた。
場所は近場で、鎌倉か江ノ島、と思ったけど、
どちらも去年や今年行ったので、
今年は逗子に行ってみた。
午後に家を出たし、
泳ぐ準備をするほど意欲があったわけでもないので、
砂浜で、
ただ海を見ながらキヨウ軒のシュウマイ弁当をほおばり、
ビールを飲む、ただそれだけの小旅行。
砂浜は半分ぐらい外国人だった。
サーフィンやウィンドサーフィンをやっている人は
いたけれど、泳いでいる人はあまりいなかった。
帰り際に駅前で食べたソフトクリームがおいしかった。
行きはJRで、帰りは京急に乗った。
横浜でスペイン料理を食べた。

zushiSea.JPG

日曜日は山に行った。
茨城県と福島県の県境にあって、
ギリギリ茨城県側のキャンプ場に夏のキャンプの下見。
登山をするので、そのコースの下見。

夏を目の前にして、もう海と山を制覇してしまった。

***

日曜日は晩ご飯を実家で食べた。
親父がNHKの大河ドラマを真剣にみてていた。

ハハは香川県産の「かまぼこ削り」やら
妹が沖縄に行って買ってきた「もずく」の入った味噌汁やら、
季節はずれの「ほっけ」の焼き魚やら
つぎつぎに料理をだしてくる。

暑くて肌にまとわりつく空気を、
扇風機が乱暴にかき回す。

まさに、自分にとっての「夏の原風景」とも言える空気だった。
原風景ってことは現在の風景でないのか、
ということを考えそうになったけれど、
それには気付かなかったことにした。

GoogleAnalyticsWidget on MT4.1

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作成:2008-07-04 00:40:02

MovableTypeのプラグインで、「GoogleAnalyticsWidget」というのがあります。

http://apperceptive.com/plugins/googleanalyticswidget/

で、MTで動いたというページがあちこちに散見されるのですが、
僕のMTでは動きません。

動く例:http://bizcaz.com/archives/2007/10/08-032921.php

んで、かなり長い時間かかって動かない理由を調べて、
やっと動くようになったのでご報告。

動かない理由は二つあります。

1,Crypt::SSLeayというPerlのモジュールがない

これは、もう諦めるしかないです。
ちなみに、僕が使っているこのロリポップサーバーは、
このモジュールが入っていないので使えません。
なので、ロリポップの人は諦めるしかないです・・・。
このモジュールはSSLを使った通信をするのに必要です。
Googleにログインする際にhttpsのサイトと通信する必要が
あるので、このモジュールが必要になります。
GoogleAnalyticsWidgetのソースを見ても、
このモジュールをuseするとは書いてありません。
その代わり、LWP::UserAgentというモジュールはuseされていて、
これが実行されるときに必要なので呼ばれています。

2.MTのバージョンが4.1あるいはそれ以上

使えた!と書いてあるひとのMTのバージョンは
おそらく4.0(あるいはそれ以下)なのだと思います。
実は、1の問題をクリアしているなら、
MT4.1で動作させるのはあと一歩なんです。
おそらく、動かない人はプラグインをインストールして、
アカウントとパスワードとIDを設定したのに
MTに何の変化もない、という症状なのではないかと思います。
そういう症状の場合、
実は表示する部分だけがうまく作動してなくて、
そこに至るまでの部分は正常に実行されていて、
グラフのデータ自体は自分のサーバーに保存されているはずです。
データはstaticフォルダに保存されています。

FTPを立ち上げて、以下のpathを調べて見てください。
表示に失敗しているだけなら、
このXMLファイルが生成されているはずです。
mt/mt-static/support/dashboad/stats/0/(blogのNo.)/001/googleanalytics.xml

このウィジェットはグラフを表示するために、
テンプレートの一部を正規表現を使って認識し、
そこにグラフの表示ソースを挿入しているのですが、
MTのバージョンが変わって、
正規表現を使った認識ができなくなってしまったのだと思われます。

だったら、MT4.1でもちゃんと認識できるように
正規表現の部分を書き換えればいいじゃん、なのですが、
自分にはそれができなかったので、
スクリプトを自分なりに書き換えました。
そうすることで、動くようになりました。

書き換えたスクリプトをここに置きますので
よければ使ってください。
GAWforMT4.1.zip
GAWforMT4.1.zip

zipで圧縮してあるので、解凍してください。
googleanalytics.plとview.tmplというファイルがあります。
googleanalytics.plは本家のプラグインフォルダにある
同名のファイルと置き換えてください。
view.tmplはtmplフォルダにコピーしてください。
それで、このプラグインは使えるようになるはずです。

***

ちなみにこのウィジェット、ただ単にアクセス数を表示するだけなので、
あんまり意味ないです。
以下のような機能拡張に関して書いてあるページがありますので、
それを参考に手直ししてみるとよいかもしれません。

http://tmp.beta4u.com/archives/2007/10/000064.html

***

似たようなウィジェットとして、以下のようなものもあります。
こちらは、独自にアクセスログの収集から解析までをこなすプラグインです。
メールアドレスの登録をしないとDLできませんが、
まあ、よくできていると思います。(使ってませんが)

VisitorStat @ MT-Hacks

***
関連ページ:
mt4plugin080325
GoogleAnalyticsWidget doesn't work
CPAN CPAN CPAN!

Entfremdung or alienation or sogai

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『帝国』、『マルチチュード』の
アントニオ・ネグリ氏との共著で知られる
マイケル・ハート氏の言葉によると
マルクスの「疎外」という概念は、

「社会的にある役割を与えられ、それを
こなしている状況こそが、むしろ搾取や疎外
といった概念にぴったりと当てはまる」

ということらしい。

2008/06/28マルチチュード ー クオリア日記より

池田信夫さんのブログにも、
マルクスの「疎外論」に関する記事があって、
初期のマルクスは疎外論を展開していたものの
後になってそれを徹底的に批判したと
書かれている。

2008-06-23〈宗教化〉する現代思想 - 池田信夫 blogより

正直、マルクスの著作は読んだことがないし、
「疎外」という単語自体も
これらのブログを通じて知った。

池田さんのブログでも書かれているとおり、
その単語を巡る一連の物語があるのに、
それを知らなくてただナイーブな印象だけが
語られ、しかもそういうことが書籍という
マスメディアによって流布されてしまっている現代というのは
なんなのだろうか。

ついこないだの駒場の授業で、
茂木さんはいつもよりも数段ラディカルな発言をしていたのだけど、
学生はみな一様に黙って聞くだけだった。
圧倒されていたり、もっともすぎてただ黙るしかなかった
という人もいたかもしれないが、
ああいった発言に反応する感性や反射神経を、
いまやほとんどの人が持っていないのだと思う。

自分の経てきた文脈(家庭とか高校とか大学とか)の中で
マルクスとかヘーゲルとかカントとか、
いわゆる哲学とか思想とか呼ばれる話は、
歴史や倫理の教科書の中以外で出てきたことがなかった。
そこで語られている言説を自分の問題として
切実に語ったり誰かと議論したりすることはなかった。

全共闘とか学生運動とか、オレが生まれたときには
もう終わっていた。
ああいうのは、暴走族が無軌道にバイクを乗り回すのと
大差ないと思っていた。

それってなんなんだろう。
オレが無知なのだろうか?
でも、オレと同世代のやつらも
少なくともオレの知っている限りでは、
同じような状態だと思う。
知っている奴がいたとしても、大多数は知らないだろう。

大学を出た人間なら
教養として知っていて当然のことをしらない。
「知っていて当然」と言うことすらしらない。
教養の水準が20年前といまで大きく乖離している。

あと二十年したとき、
この国のインテリというのは
どうなってしまっているのだろうか。

Apple store @ shibuya

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作成:2008-07-01 02:42:00

PowerBookのふたが閉まらなくなった。
正常なら、ふたを閉めると
自動的に金属製の小さなフックが出てきて、
下の穴にはまって、ふたが閉まった状態で固定されるように
なっているのだが、
そのフックがなぜかとれてしまった。
前から閉まりが悪いなとは思っていたが、
ついにこうなったか。

修理は無理かなと思ったが、アップルストアに持って行ってみた。
Macのいいところは、壊れたとか困ったとかがあった場合に、
「Apple Storeに行けば何とかなる(かも)」と思えることだと思う。
とりあえず、あそこにいけばなんとかなる(かも)という安心感は、
こういう高い品物を所有していて不具合が起こったときの絶望感を
大いに和らげてくれる。

それにしてもなんか最近Apple Storeに良く来てるような気がする。
前に来たのは確か、ACアダプターの一部が壊れてしまったときで、
それを修理してもらったときだ。

はじめてApple Storeに来たときのは
スリープ中のMacにDVDを入れようとしたら、
DVDドライブの準備ができていなかったらしく、
ドライブがキチンと作動しなくなってしまったときだ。
あのときはDVDドライブをまるごと取り替えたのだが、
補償期間なので無料で直った。

このMacはすでに使用期間が3年目に突入しているので、
とっくに補償は切れているが、有償でも直せるのなら、
直してほしい。

と思ったけれども、
部品代が6200円で、工賃が15800円、
おまけに修理のために2,3日はMacを預けないといけないので
とりあえず先延ばしにすることにした。
(ちなみに、AppleCareProtectionに入っていれば
工賃はタダになるらしい。)

部品代はフックの部分だけ直すことはできず、
フロントパネルをまるごと交換しなければならないので
そのくらいするらしい。
工賃がそんなにするのは、
全部分解しなきゃいけないからだそうだ。
見積書には「Hardware repair-level 2」と書いてある。

一度、自分で分解しようとしたことがあって、
ねじは全部はずしたはずなのにフタがとれなくて、
結局降参した。
分解はなかなか難しい作業なのでそのぐらい工賃がかかっても仕方ない。
メモリの増設は簡単なんだけどね。

しばらくはふたの閉まらないMacでがんばります。

MacHook.jpg

Memory of CAK

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一週間ぐらい、3食外食なので、
食費がかさんでるんじゃないかと気を揉んでいる。
こないだ風邪をひいてから、
家事をやって、バイトに行って、
輪講もやって、ほぼ毎週越谷に帰って、
だと体がついていかないということが
情けないながらわかったので、
食事はだいぶ手を抜いている。

そのかわり、万年床だった布団は毎日上げ下げして、
こまめに掃除機をかけて、
洗濯も溜まりすぎないうちに処理して、
部屋をきれいに保つということを心がけていて
一週間ぐらいはそれが持続している。

***

火曜日、小平にある国立精神神経センターで
ハイパーソニックエフェクト(超音波効果)で有名な
本田先生の研究室と合同のゼミだった。

本田先生といえば、バリであり、バリといえば、ケチャである。

「チャッ!チャッ!チャッ!チャカチャカチャカチャカ、ンッチャチャチャ!・・・」

実は、中学の音楽の時間にクラス全員でケチャをやったことがある。
音楽の先生が松本千恵子先生といって、
芸能山城組の方だったのである。

松本先生、元気かな、とか、
「シルルル、プッ、プッ、プッ、シルルル、プッ、プッ、プッ」の役を
友達のKくんがやったなあとか、
当時のことに思いを馳せてみた。

http://www.yamashirogumi.gr.jp/event/event.html

7月の終わりに芸能山城組のケチャまつりがあるので、
今年は行こうかしら。
いや、行きたい。

Often or Shibashiba

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公開:2008-07-03 01:53:01
作成:2008-07-01 01:59:01

MovableTypeがやたら重い。
どっかプログラムがぶっ壊れてんじゃないかと思うほど、
重い。

しかも、重いだけじゃなくて、
ブログの記事の投稿にしばしば失敗する。
500 internal errorが起こる。

often、芝々。

カテゴリを設定したときによく失敗するから、
カテゴリに関連したプログラム部分が壊れてるのではないかと
疑ったが、
どうも、サーバーのせいらしい。

http://hmlab.info/minor/2008/02/post-47.html
http://renge.heteml.jp/lotus/2008/03/movabletype-500.php

全体の再構築ができなくなって、
動かない理由について調べているときに、
あちこちでそのような記事に出くわした。

この「ロリポップ」サーバー、月額300円程度だし、
MTの導入はお手軽にできるし、
「http://melonsode.fem.jp」という、
ちょっと中途半端だけど、独自ドメインぽいものがとれるし
いいと思っていたんだけど、
ここに来て、乗り換えたくなった。

乗り換え先はさくらインターネット。

乗り換えを気に、ほんとの独自ドメインをとろうかなぁ。
melonsode.jpとか?
nozawashinichi.netとか?

Turner prize review @ MAM

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作成:2008-07-01 01:56:04

日曜日、雨の中ターナー賞の回顧展に行った。
森美術館。

「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」
http://www.mori.art.museum/contents/history/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ターナー賞
http://en.wikipedia.org/wiki/Turner_Prize

***

デミアン・ハースト(Damien Hirst)の「母と子、分断されて(Mother and Child, Divided )」1993。
http://www.tate.org.uk/britain/turnerprize/history/hirst.htm

写真では何度か見ていたけれど、
実物は圧倒的な説得力があった。

タイトルは冗談も入っているのだろうか。

牛の母と子が分断されている。縦に。

母と子が離ればなれになるという意味ではなくて、
物理的にそれぞれの体が分割されている。
生き物の体を真っ二つにして、
その切断面が剥き出しにガラス越しに見える。
生物の内側と外側。

それはとてもグロテスクな光景のはずなのに、
目をそむけずにいられる。
そこを見てみたいという好奇心が働くし、
不思議とグロテスクさは鼻につかなかった。

白い木枠に透明なガラスを張って作ったきれいな箱があって、
その中が透き通った水色の液体で満たされている。
牛はその中に置かれている。
半分ずつ。
水色の透明さと枠の白さがなんとも静謐な感触を与えていて、
グロテスクさを消臭している。

圧倒的な説得力、と書いたけれど、
何を説得されたのかはよくわからない。
でも、作品を見た瞬間に、
「もう黙ってみるしかないな」と
思わせられたのは確かで。

***


ヴォルフガング・ティルマンス( Wolfgang Tilmans )の
作品も展示されていて、
やはり、ティルマンスのセンスは
とても自分好みだということを再確認した。

この人の色のセンスはずばぬけている思う。
ヴィヴィッドな色彩感覚は蜷川実花の写真に少し似ているかもしれない。
でもけばけばしさはなくて、洗練されている。

被写体の選び方にも独特なものがある。
被写体は、日常的なものもあるし、
性的にタブーなものを撮影したドぎついものもあるし、
I don't want to get over you(君を忘れたくない)のような
叙情的なものもある。

ティルマンスは
ティルマンスの感性にひっかかったものを撮っているだけで、
きっと悪気はないのだろうと思わせる。

http://www.hammer.ucla.edu/exhibitions/104/work_602.htm

ティルマンスにおいてもうひとつ独特なことは、
彼が写真一点一点を完結した作品として考えているのではなく、
複数の写真が、あるサイズ・ある相対的位置関係で配置されたもの全体を
ひとつの作品として考えているという点だ。
ティルマンスに聞いたわけではないけれど、
たぶんそういうことを考えていると思う。

彼は、入念に写真のサイズや写真の位置、
写真と写真の位置関係を考えている。
最初の写真をみてから最後の写真を見るまでの体験を
ひとつの作品としている。


***

アニッシュ・カプーア( Anish Kapoor )の作品もあった。

金沢21世紀美術館でカプーアの作品を見たときは度肝を抜かれたものだった。
http://www.scaithebathhouse.com/ja/artists/projects/kapoor01/

畏怖を抱かせるような絶対的な無があったからだ。
(厚さ3ナノメートルでディラックの海という虚数空間を内包するレリエルみたいだと思った(笑))

それと似た作品が展示されていた。
あったのは、Void No.3だったかな。

金沢の「世界の起源」よりはスケールの小さな作品で
'穴'との距離が近いとことでみることができた。
思わず作品の'裏側'をみてしまう。
そこだけ3次元的連続性が断絶しているかのような錯覚が起こり、
得体の知れない気持ちで心がざわつく。
よく見ようとするけどよく見えない。

真っ黒で太い線維がごわごわしている布が
深い中華鍋みたいな形をしていて、
それが中に吊ってある。

インスタント・ブラックホール。

***

その他、クリス・オフィリ(Chris Ofili)の
「ノーウーマン ノークライ(No woman, No cry)」とか
グライソン・ベリーの女装インスタレーションとか壺とか、
レイチェル・ホワイトリード (Rachel Whiteread)の中身だけの家とか、
Gillian Wearingの逆回し母娘喧嘩とか60分間そのままでいてくださいとか。
良い作品がいっぱいあった。

http://www.ukjapan2008.jp/editors/index-turner.html

今年の秋からターナー賞に注目だ。

merge P903i with SO902i

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作成:2008-07-01 02:06:42

紛失中だった旧携帯電話SO902iが会社のトラックの中で見つかって、
実家から郵便で届いた。
やっぱりあそこにあったか・・・・・。

最後に携帯を使ってから
なくしたことに気付くまでにとった行動や居た場所は
ほぼ完璧に思い出すことができて、
実家の家族に総出でスカイプやPCのメールを介して、
探してもらったのだけど、ことごとく「見つからない」
という結果であり、
これはどこか道端に落とすとかして、
自分の意識が及ばない部分でなくなったということだろうと
諦めていたのだった。

見つかったトラックの運転席の中というのも、
なくした可能性が高い場所No.3ぐらいだったのだが、
そこを探した親父いわく答えはNOだった。

まあ「いまさらおせーよ」、
という気持ちはないでもないが、
携帯電話のメモリーが元に戻るので
やはり「戻ってきて良かった」思う。
手元にある古い携帯(N900i)には
2年前のアドレスデータが残っているのだけど、
いまよく使うアドレスはほとんど入っていなくて不便だった。
2年前のアドレス帳の登録件数は135件で、
いまのアドレス帳の件数は238件だった。
2年の間に100件増えたのか。

Windowsを使ってた頃はそれなりに携帯のバックアップを
とっていたのだが、
Macに乗り換えてからバックアップのソフトがないため、
全然していなかった。

紛失直後は急場しのぎとして
SO902iの前に使っていたN900iを使っていた。
最後に受信したメールを見ると日付が
2006年4月6日とかなってて、
修士1年の春にこの機種から紛失したSO902iにしたらしい。
あのころの初々しさというか青臭さに照れる。
昔を振り返るときはいつだってその繰り返しなわけだけど。

ヤフーオークションでP903iを購入したので、
今はこれを使っている。
落札したP903iの価格は5000円で、
中古で、少しキズはあるもののこの買い物には満足している。

よく考えたら中古の携帯ばっか使っている。
紛失した(と思われた)SO902iは新品で買ったものだけど、
その前に使っていたN900iは人から譲ってもらったものだった。

金がなかった高校生のころ、
手荒に使いすぎてボロボロになってしまった携帯をなんとかしようと、
渋谷の宇田川町にあるちょっと怪しげな店で、
中古の携帯を買ったときもあった。
あの時は確か、機種はタダで、機種変更の事務手数料3000円だけで
済んだのだった。
いつだって最先端の2歩後を行く機種を使っていた。

今回はSO902iがなくなったと諦めたので、
新しいFOMAカードを発行してもらい、
その費用が3000円なので、
しめてこの中古の機種変更にかかった総額は8000円。

P903iにしたのにはいくつか理由があって、
Bluetoothが使えること、海外でも使えること、
という基準を満たし、
かつ一番安い(=古い)機種という条件でしぼると
必然的にこのP903iになった。
本当は携帯は折りたたみ式ではなくバー型がよかったのだけど、
そうするとノキアのNM705iぐらいしかなくなるので、
そこは我慢した。

N900iが右手で操作するのを想定したデザインな一方で、
SO902iが左手で操作するのを想定したデザインなので、
(少なくとも自分にとっては)
SO902iを使い始めたころはとまどったものだが、
今回のP903iはまた右手での操作が想定されている。
また右利きになるか、それとも左手で操作するのに習熟するか、
どちらにしても戸惑いは避けられない。
まあでもこの携帯も使い倒してやろうと思う。

ドコモショップに行って、紛失していたSO902iのデータを
そっくりP903iに移動してもらった。
ついでにデータをCD-ROMに焼いてもらった。

携帯問題はこれで解決。

three-mobiles.jpg

左から
N900i
SO902i
P903i

Restructrue

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新しい財布を買った。
そんなつもりなかったのにちょっと衝動買いぽく。
バウハウス展の後に、上野のマルイで、ピザを食べたあとに。
新しいカバンを買った。
いくつもお店を回って、やっぱりやめよかなと思い始めたときに、
いいのに出くわして、でもどうしようかなと、悩んでいると
店員さんに「明日から値段あがっちゃうんですよ」と
悪魔のようなささやきに屈した。

携帯を刷新した。
穴の空いたズボンを直してもらって戻ってきた。
ズボンをいくつか買い増した。
靴も一足買い増した。

バイトで収入ができたのと、
クレジットカードを作ったのとで、
購買行動が俄然、大胆になっている。

収入があるとかいっても
大部分は親のスネにあやかっているので
お金をたくさん使うのは
どうしても罪悪感がともなってしまうのだが、
必要経費だ、と割り切る。

だって、ほんと、財布は小銭入れの部分に穴が開いて、
小銭がそこからこぼれてしまうような状態だったし、
カバンもとっての付け根の部分の糸がほつれてきてて、
もうすこし時間が経ったら取れてしまうかもしれなくて、
ズボンもすべて穴あきズボンになってしまっていたし、
靴もだいぶ傷んできていたんだもの。
携帯だって電池を新調して電池の持ちは回復したものの、
4世代前の機種になっていたし・・・。

うん、やっぱ、必要経費。

それなりに値段のはる物を使い込むのが好きだ。
使い込みに耐えられる物が好きだ。

ズボンはだいたい1年で穴があく。
靴は2年で壊れる。
携帯はも2年で電池が持たなくなり、欲しい機種がでる。
カバンと財布は4,5年もった。

まだ2年2ヶ月だけど、
PowerBookがそろそろ寿命な気がす(ゲフンゲフン)

今年はキャンプ用に、
あと時計と寝袋とベッドを買うつもり。

***

ここ2ヶ月ぐらいは、
とにかく助走あるいはウォーミングアップをしている感じ。
速く走るために、あちこち整備している。

半月ぐらい前体調を崩したけど、
あれっも何かの合図だったのかもしれない。

いや、単純に栄養不足だっただけかも。
忙しいと、簡単にご飯を食べるのを忘れる、
ということに気付いた。
なんか、毎日2食しか食べてなかった気がする。
あの頃。

最近は、がっつり食べてるので、元気です。

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