昨日は、飲み会を二件ハシゴで飲み過ぎた。
どちらも、昔の同期たちとの飲み。
夏になると、
「久しぶりにあつまろーよ」というのが増える。
それはやっぱり夏の暑さで、
脳のどこかがシグナルを発するのだろう。
もうさすがに、
オレの同期達のほとんどは就職している。
社会人の身振りや顔つき、服装。
本当は、みんなもう準備はできていて、
ただ、猶予が与えられていたから、
そうはしなかっただけ。
そう、諭されているようだった。
それでも、博士にすすんだやつもいて、
一件目の飲み会では2人、
二件目では3人。
ハーバードに留学するとかいうやつがいて、
ガクシンも面接なしでDC1に受かってて、とか。
もう、論文も一本でているとか。
そういうやつがいて、
すごいね!と言うときに、
別の感情が、遮る。
そんなに量はのんでないのに、
シャンパン、ビール、ウィスキーとちゃんぽんしたせいか、
今日は大いに宿酔い。
寝苦しさで朝の5時半ごろに目が覚めた。
洗濯物をして、
インスタントラーメンなんぞ作って食べて、
シャワーを浴びて、
そうして、やっぱり頭痛がひどかったので、
また布団にもぐって、汗をかいた。
昼過ぎに、やっと這い上がる。
窓の外は、相変わらずよい青空だった。
洗濯物が風に揺れていた。
屈託なく、風に揺れる。
損得勘定も嫉妬や妬みの感情も何もない。
自分にはできないその動きに、
見とれた。
意識が、自意識が、あるからいけないんだ。
何故、脳は他者の信念を推定して、
それを効用関数に組み込んだのか?
意識がなければ、
この宿酔いの気持ち悪さとも
無縁でいられる。
意志ってなんなんだ?
ある目的を遂行するために持続する指向性。
目的を遂行するために、
その指向性の意識的表象は必要なのか。
その指向性の持続は、
どのようになされるのか?
「意志を貫き通す」というのは、
「意志の力」によって、可能なのだろうか。
そこには、脳というシステムの
物質的な制約はないのか。
横浜では花火があるらしい。
人が多くて、浴衣も多い。
花火がきれいなら、
この夜が楽しければ、
それでいいじゃないか。
誰かがそうつぶやいている。