自分の中で、今年のお盆というのは13日, 14日, 15日の
3日間だということにしている。
本当は13日と14日だけなのかもしれないし、
あるいはもっと長いのかもしれないけれど、
自分の仕事の忙しさとの兼ね合いで、
金・土・日の3日間を今年のお盆だということにしている。
このお盆という期間が正直、疎ましかった。
世間ではこのお盆にあわせて休みをとる人が多く、
1年で一番、「夏休み」という雰囲気が街に溢れる期間で、
そんな緩みきった休日モードの中で
普段と変わらず仕事をしなければならないというのは、
正直癪に触った。
それに、小さい頃からお盆というのは嫌いな時期だった。
この時期になると、友達はみんなどこかに行ってしまって、
オレは退屈でしかたなかったからだ。
いまのいままで、お盆というのは一年で一番退屈な時期という
認識しかしていなかった。
「新盆」という言葉を聞いたときに、
お盆というのは死者が一時的に帰ってくる時間なのだと知った。
「新盆」という言葉をオレは知らなくて、
ある人が亡くなってから初めて迎えるお盆をそう呼ぶのだそうだ。
「呼ぶのだそうだ」とか言って、このことを知らないことは
27歳の大人としてあるまじき常識の欠如を表明しているような気がするけれど、
「お盆」という行事に対するスタンスはいまもそんな感じである。
「十一月十一日って電池の日なんだって!」「へえ」
みたいな。
オレがお盆に関して無知でも、
お盆には死者が帰ってくるって聞いたってまったくピンとこなくても、
実家はお盆モードになった。
仏壇は葬儀屋さんの手によって飾り付けられ、
この3日間で何人もの人が実家を訪れてくれた。
訪れた人たちはみな
線香をあげて、手をあわせてくれて、
家にいた母と長くはない会話を交わして帰っていったのだろう。
仏壇の周りにはたくさんお供え物が並んでいた。
普段はない白い提灯が軒先に吊ってあって、
お盆を迎える家はそういう風に提灯を吊るのだそうだ。
オレの父親は次男で、しかも長男の家とは仲がよくなかったから、
お盆にこういう光景を見たことがなかった。
日本人として恥ずかしいことかもしれないが、
お盆に死者を弔うというのはこういうことか、と
生まれて初めて思うことができた。
それまで「退屈」としか思わなかった「お盆」という行事に
突然、「死者の弔い」という意味が与えられて
正直、それまでのお盆のイメージとどう折り合いをつければいいのか
わからなかった。
もちろん、父親の死は悲しい。
悲しいという言葉では到底表わしきれないほど複雑な感情があり、
「死者を弔う」気持ちというのはもちろんある。
けれども、いままで疎ましく思っていたものに、
降って湧いたように、取って付けたように、そんな意味を付与されても、
戸惑わずにはいられなかった。
自分にとってまだ、お盆というのは疎ましいものであって、
死者を弔うための行事ではない。
だから、いまだに線香もあげていないし、
手をあわせてもいない。
罰当たりだとか、親不孝者だとか言われようと、
慣習だからという理由で実感のともなわない行為はしたくない。
そんなだから、そのあとで起こった出来事は不意打ちだった。
実家から自分の家に引き上げて、
お腹が空いたので再びでかけて、
近所のファミリーレストランに行った。
ひとりでご飯を食べながら、
死んだ親父のことが思い出された。
今日見た仏壇の光景も浮かんだ。
それでふと、こんな風にtweetした。
それは答えの出ている自問自答だった。
親父は帰ってきてなんかない。
死んでからまだ半年しか経ってない。
帰ってくるとしたら10年後ぐらいなんじゃないか。
そんな風に思っていた。
だから、そのtweetのあとで、こんな風につぶやくつもりだった。
きっと帰ってきていないだろう。だからオレは線香をあげないし、手を合わせたりもしない。
実際には上記の意味合いのようなことをつぶやこうと思っていたのであって、
どんな言葉使いでどんなセンテンスになるのかはまだ決めていなかった。
それを考えていた矢先に、間髪入れずに入った茂木さんからのtweetで
不意打ちを食らった。
君がそう想った瞬間に帰ってきたよ。@melonsode お盆。うらぼんえ。親父の新盆。親父は帰って来たんだろうか。
そのtweetをみた途端に、頭のなかの水門がいくつも開いて、
100種類ぐらいの感情が滝のように心に流れこんできたのだった。
「なんで死んじまったんだ、なんで死んじまったんだ」と
返事のない問を繰り返したお葬式の当時に、心がタイムスリップしたみたいだった、
そうして濃密なこの6ヶ月間の出来事のフラッシュバック。
親父はそうか、帰ってきているのか。
そうなのかも知れない。
だったら声ぐらいかけろよ!どこに隠れているんだよ!
親父が死んでからあったことを、全部ぶつけてやりたかった。
それで、なんでもいいから、親父に何か言って欲しかった。
できることなら、「よくやった」って、言ってほしい・・・。
ファミレスで涙を流す変な客になってしまった。
線香を上げるのも、手を合わせるのも、
チーンと鐘を鳴らすのも、
やはりリアリティを感じられない。
でも、この時期に死者が帰ってくるということは、
信じてみてもいいと思った。
父を亡くしてから10年経ちます。
亡くした当初は悲しくて悲しくて、毎日、父のことを思い涙していました。
あれから10年。
毎日喧噪のなかにいるとなかなかじっくり父を感じることが難しくなっていますが、今も辛い時、嬉しい時、折に触れて父のことを思い出します。そんな時、ふと父がそばにいてくれているような気がします。
あなたがお父さんのこと思い出して涙した時、きっとお父さんはあなたのそばで見守って下さってたはずです。
『お盆』は忙しさに流されて生きている私たちに、ちょっと立ち止まって大切な人たちを思い出して、大切なことを再確認するための1年に1度のいい機会なんだと思います。
線香を上げるのも、手を合わせるのも、チーンと鐘を鳴らすのも、大切な人を迎えるための儀式。
お父さんはいつもあなたのそばに。
茂木さんのツイート経由で来ました。
私の父は十九年前に66歳で死去しました。肝臓がんでした。もう十七回忌も済ませましたので、余り多く父のことですることはないのですが、当時私は三十二歳でしたが、今から考えると、父の死以降自分自身が打たれ強い人間になっていった気はします。
つまり人の死、とりわけそれが自分自身にとって切実な人の死は自分自身の生の在り方を見つめる目を変える気がするのです。
人の死はそれが愛する人であるなら悲しいですが、それを乗り越えた時その死は無駄ではないと思えると思います。
これからも生まれてきた者としての勤めをお互い果たしていこうじゃありませんか。それが死者に酬いる唯一の道ではないでしょうか?
わたしは弟を亡くして、今年は「灯しあげ」でした。
(去年が「新盆」でした)
提灯をつけに、親戚や近所の人が来てくれました。
灯篭のような提灯のような(名前を忘れましたが)は、
8月中毎日一回火を入れないといけないらしく、
父親が毎晩火をつけているようです。
私は都会にいるので、田舎の行事やしきたりを
ほどんど知りません。
近所のみなさんが居て、まだ親もいるからきちんと出来ているけれど、
この先、年齢順だとみんな居なくなってしまうのに
そのとき、ちゃんと出来るのかなぁと不安です。
弟が大好きでいつも飲んでいたカフェオレが
今年も供えられていました。
賑やかなことが大好きで、やさしい心の弟だったので
お盆にも顔を出していたんじゃないかな。
長文失礼しました。
茂木さんのツイートから来ました。私の父が亡くなった時、私は27歳でした。とても悲しかったけれど、亡くなってから1年くらいはなぜか泣くこともできず、今思うと結構淡々としていたようにも思います。35歳になった今、自然に父のことを思い出し、ちょっと心が痛くなったあと、優しい気持ちになることに気づきました。いつでも、どこででも、思い出した時に、父は帰ってきていると思っています。
わたしは、息子を亡くしました。五ヵ月たとうとしていますが、ただただ悲しい毎日です。お盆、かえってきてくれてるといいですよね。茂木さんのツイッターから、突然コメントしちゃいました。お父さんはきっといつも、あなたをみています。お線香あげなくたって、チーンしなくたって、大丈夫。ず~っと見守ってくれてます。うちは、どうなのかな?
要するに悲しいってことでしょう?難解に言ってるだけで。そのまどろっこしさに辟易です。素直じゃないので30点。
涙がぽろぽろ流れでました
今も、ぽろぽろ流れ出ています
父がなくなった後に、私も
ファミレスで涙を流す
変な客だったことがあります
父をなくして今年で七回忌を迎えました
気持ちは新盆の時と変わらずです…
合掌
読めてよかった。知らないお父さんの笑顔が浮かびました。
私もこの夏は義母の新盆でした。97歳で、認知症の要介護4、性格も決して大好きな人ではなかったし、亡くなった時は正直やれやれの気分でした。
お盆の少し前の朝方夢を見ました。義母が家から出掛けるのを見送り、夕方になっても帰らない夢でした。(もう、絶対帰ってこないわ)と、夢の中で確信しました。目がさめて階下に降りたら、夫がうかない顔をしているのでどうしたのと、聞いたら(お湯を沸かそうとして流しに立ったら、ふいにおふくろの匂いがしたんだ)と言うのです。
そしたら、とても泣けました。葬式でもお通夜でも流したことのない種類の涙でした。
長くなってごめんなさい。あなたの文を読んだら、どうしても書きたくなりました。
はじめまして、茂木さんのツイートから来ました。
∥でも、この時期に死者が帰ってくるということは、
信じてみてもいいと思った。
あなたとは逆に、息子を亡くした母です。もうすぐ、7年経ちます。
「お盆とは」と、毎年考えます。
今夜も、心の中で送り火を焚きます。
突然、父親がいなくなるこどもの心情読ませて頂きました。野澤さんが27才とは。私は順番通り祖父母がなくなり、年老いた父親が去り時々にいろんな事を知っていきました。27才とは若い 息子より若い。日本の風習はよくしたもので、一年で喪があけ、次の年が三回忌、七回忌と着るものも黒から段々と薄色に、同じく記憶もいろんな事が削がれて、過去のひとは善人になっていきます。喪中は何度か来られますよ。その度に涙して浄化なさってください。できる人にくる試練、楽しんでください。あなたよりずいぶん長く生きている者からの繰り言です。