ゴールデンウィークが終わったと思っていたのに、
いつの間にかお中元だのお盆休みだののことを
考えないといけない時期になってしまった。
小学校の脇を通ったら、もうプール開きしているし。
暑いはずだよ。
この感覚でいくと十年一日というのはほんとうで、
仕事に没頭していたら10年なんてあっという間に過ぎてしまいかねない。
実際、高校生だった17歳の時からもう10年経ってしまったわけであり。
2000年がいまや2010年である。
高校生のころの友人にもらった誕生日プレゼントで
カップヌードルの10年缶というものがあった。
カップヌードルが缶詰になっていて、賞味期限が10年というもの。
ちょうど今年の2010年が賞味期限が切れる時で、
たまたま見つけたので開封して食べてみた。
カップの外側に緑色のシミができていて、
猛毒のカビだったりして?とか思いながらこわごわ食べたのだけど、
いまのところお腹を壊していないので大丈夫だったんだろう。
このカップラーメンで、10年前のことを思い出した。
あの時に出会った先生が、いまの博士課程の進路につながっている。
先生というのは当時通っていた予備校の先生で、
しばらく忘れていたんだけれど、ふと、思い出した。
あのカップラーメンは予備校の友達にもらったものだった。
あの時、あの先生は今の自分の年と同じぐらいだった。
もしくは、今の自分はあの時の先生の年齢を上回ってしまっているのかもしれない。
20代後半のあの先生は、そうして先生であるとともに、
あの予備校の代表でもあった。
仕事の内容が全然違うけれども、
同じぐらいの年齢で会社のトップを務めるという点で共通している。
10年経って、あのころの先生の姿をまた違った視点から
見ることができると気づいた。
それが今の自分にとって大きな収穫のように思える。
あの時のあの先生の姿にずっと憧れていた。
いまの自分はあの憧れていた姿になれたかな?
いまやすっかりあの先生の影響力は弱くなってしまったので、
あの憧れていた姿になれていなくても一向にかまわない。
けれども、もしその姿にいくらかでも近いものになっているのなら、
それはやはり、うれしい。
それは、いまでもあの姿になりたいと思っているからではない。
10年前の自分が全力で望んだことが
わずかでも叶ったのだということが、
10年前の真剣で深刻だった自分へのねぎらいになるから。
ティーンエイジャーのころの純真さと熱烈さは、
もう眩しくってまぶしくてたまらない。
いま本当に自分が望んでいることは?と自分に問いただすことは
おそろしくなってしまっている。
10年前はそんなだった。
じゃあ、10年後は?皆目わからない。
けれど18年後のことはなんとなく考える。
18年後、息子は18歳になっている。
自分の人生を振り返ってみると、そのぐらいの年になると家にはよりつきやしない。
そのぐらいの年になると、
息子は勝手によろしくやっているようになるんじゃないかと思う。
だから、息子と親子らしくいられるのはあと18年だと思うことにしてる。
いまは、オレが帰ってくると全力で笑顔をみせてくれるかわいいさかりなのだけど、
中学生ぐらいになれば、きっと奥田民生の
「半人前が、いっちょ前に部屋の隅っこ、じっと見てやがる〜
おー、飯も食わーず生意気なやっつっだー」
な状態になる。
それはそれで楽しみにしているけれど、
時は経つし、子は育つし、親は老いるということを忘れないようにしたいと思う。
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