何ヶ月ぶりで日曜日に日曜日らしく、適度に何もせず、適度に何かする
日曜日を過ごした。
今日した生産的なこと:髪を切った
今日した非生産的なこと:ごろごろした
初めて入った美容室で、髪を切られながら グラン・トリノという映画の
理髪店のシーンを思い出した。
グラン・トリノは一言でいうと少年がある老人との触れ合いを通して
成長していく映画。
その中で、老人が少年に「お前は、男の口の聞き方がなっていない!」といって
老人は少年を連れていきつけの理髪店に行く。
記憶が定かではないのだが、
老人は長い付き合いのその理髪師にあうやいなや
「よお、イタ公(理髪師はイタリア人)。今日もぼったくってんのか?」と
大変失礼なことを言い、
その理髪師は「チッ、てめえが来るんだったらさっさと店を閉めとくんだったぜ」とか
そういうやりとりをする。
ちゃんと覚えているわけではないので、
実際にはそういう発言ではないかもしれないが、
要はお互いにけなしあうような会話をする。
それはお互いに深い信頼関係があるので、
そういう発言をまじめに受け取って本気の喧嘩になることはなくて、
でも一方で”男同士”なのでベタベタとした湿っぽい会話もしない。
お互いがお互いの言う事に対して、
常に一枚上手でピリリと辛い皮肉や批判めいたことを乗せて会話をする。
決して相手におもねることはなく、お互いに優位性を崩そうとはしない。
そういう映画のワン・シーンを思い出して、
この美容室ではそういうやりとりをすることはできないし、
この美容室以外だってそういうやりとりができる場所はないだろうと思った。
あの映画はアメリカ人が作ったアメリカの映画だけど、
おそらく日本でもああいうコミュニケーションは存在していたと思う。
個人的にはああいう男臭いコミュニケーションにすごい憧れる。
それは自分の父親の存在が透けて見えるような気がするせいでもあるし、
ああいった緊張感の伴なうコミュニケーションでなきゃ、
はっきりいってつまらないという思いからでもある。
常に、お互いを値踏みしあうような態度は強い心的強度を要求するもので、
疲れちゃうっていうのはあるけれども、
そういったピアプレッシャーは筋肉痛のように成長に欠かせないものでもある。
そういえば、あそこで描かれる少年が老人にこき使われる場面は以前書いたエントリ(傷を癒す方法を知っている)に通じるものがある。
グラン・トリノは去年映画館でみたのだけど、
とにかくおすすめです。
是非是非見てください。
* * *
今日は、涼しくて、よい風が吹く日だった。
仕事の電話も厄介なのが鳴らなくてほっとした。
新しい経験の奔流の中で、確実に自分は変わっていってる。
たとえ状況がもとに戻ったとしても、
そこで自分がする行動の連鎖は違ったものになっているだろう。
そうやって変わっていく自分がとてもすきだ。