いまや、自分にとって、
英語で本を読んだり、英語の動画を見たり
英語で会話したりするのが、当たり前になったわけだけど、
大学3年のときまではそんなことができるようになるとは思わなかったし、
そうなる必然性も必要性もナッシングだと思っていた。
中学の英語は簡単で完璧にできた。
でも、高校に入ったら途端に落ちぶれて泣きそうになりながら
いつも赤点ギリギリ(ときどき赤点)の答案を書いていた。
大学受験の時は
「なんで毛唐の言葉をオレが学ばなきゃなんねーんだ、ファク」(お下劣)
とか思いながら苦行モードでこなしていた。
そんで大学1年になって「これ、枕でしょ?」とつっこみたくなる
でかくて分厚い英語の有機化学の教科書を2万円以上も払って買わされて、
「こんなの固すぎて枕としてもつかえねーし」、とか悪態つきながら、
さらに同じぐらいの出費をして日本語訳を買った。
で、その日本語訳の日本語がかなり理解に苦しむ代物で、
試しに原著の方を読んでみるとやっぱりわからないんだけど、
でも、原著の方も日本語訳の方も理解の苦しみ具合は対して変わらなくて、
英語だともっとワケがわかんないはず、と思っていたのに肩透かしを
食らった感じがした。でもその不思議な感じはすぐに忘れた。
それまでは、英語をそれによって何かを学んだり知ったり楽しんだりするためのもの
として捉えたことは一度もなかったと思う。
中学、高校の6年間でたぶん一度もそういうことはなかった。
端的に言えば、授業の中にそういう科目があって、
それを勉強してテストを受けて一定以上の点数をとらないと
卒業できないからというモチベーションでしか、英語を勉強したことがなかった。
当時は英語力が低かったから、日本語だと意味が直感的に理解できるのに、
英語で何か言われるといちいち考えないとわからないし、
そうやって考えてもわからないことが多かったから英語を聞くとイライラした。
だから日本語の会話の中に英語あるいはカタカナ語を多用する
政治家とかインテリとか、全部いけすかない反吐がでる奴らだと思っていた。
でも、そこはさすがに(2流だけど)大学で、
試験問題は英語で出てくる時があるし、
実験で有機物の物性を調べるときも英語の文献をさぐらないといけないし、
次第次第に、もしかして英語って生粋の日本人のオレにも必要かも?と
薄々気付き始めたのだった。
自分の所属していた学科の教授陣は誰ひとりとして尊敬する気になれなかったけど、
他学科にもぐりこんで分子生物学の授業をうけていたときの先生は
尊敬とまではいかないけれど信用できるなと思っていて、
その人が指定する教科書がやはり英語の教科書だった。
WatsonのMolecular Biology of the Geneだった。
確かその当時、その本の日本語訳は出ていなくって、
内容を理解しようと思ったらその原著を読むしかないのだった。
授業がすばらしくて、教科書を読まなくても内容を理解できた。
それでも授業のすべてを完全にノートすることはできないので、
細部を思い出したり理解するためにはその教科書を読まねばならなかった。
授業である程度理解したあとなので英語でも
なんとか読めないこともないという状態だった。
おそらく、あの時が英語を"手段"として用いて、
ある程度の効力感を感じた最初のときだった。
大学4年になって、研究室に配属されて、文献を読む段になって、
初めて「英語なんて必要ねーし!」という態度が
もはや維持できないということを思い知った。
英語が読めない、即ち何もできない。
そうやってある程度英語を読むようになって、
再び大学1年のときに「この枕以下!」と罵った有機化学の教科書を読むことになる。
理由は大学1年のときのその有機化学の授業の単位を落としていたから
再履修する必要があったため。
それでもう一度あの憎き枕教科書を繰ることになるのだが、
今度はわかりやすいのでびっくりした。
日本語訳を読むよりも圧倒的に理解しやすかった。
昔は読めねーと思っていたあの英文は実は平易で明晰な英語だったのだと思う。
すっすっすっ、と直感的に一文一文の意味が入ってくる。
日本語訳は翻訳によりとても歪んでいたから理解しづらかったのだとわかった。
あれから、もう、1,2、、、、5年?経ったのか。
いまみたいに英語と接するようになっているなんて
想像もつかなかった。
いまもそれほど英語ができるようになったわけではいけど、
あの頃と比べると雲泥の差のように思う。
いまでも日本語と英語の間には30メートルぐらいの壁があって、
シームレスに使えるような状態には程遠い。
でも、昔はチョモランマ級の断絶があったように思う。
それに比べればいまのサイズはかわいいものだ。
一ヶ月、二ヶ月、1年ぐらいではなかなか変化というのは実感しづらいけれど、
5年も経てばずいぶん変わっているものだと思う。
確かに小学校1年生と小学校6年生ではずいぶん違う。
成長曲線の急峻さは子供の専売特許だと諦める必要はない。
5年たったら変わっているというのは、
考えてみたらあたりまいなんだけれど、
今日はふとそのことを思い、勇気づけられた。
英語なんてやってられるか!という態度だった人間が、
ここまで英語にフレンドリーになったのは
自分の実感としてはけっこうな変り身だと思う。
パラダイムシフトといっても大げさではない変化である。(自分にとって)
そういう風に変われたわけだし、
きっとこれから先も変われる。
そのことが、とても頼もしい。