The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

読書: 2009年アーカイブ

まだ6月だと思っていたい

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なんだかいろいろとてんやわんやしていて、
めまぐるしい毎日。

「忙しい」って言ったら負けだな、とあるときから思うようになって
その言葉はがんばって言わないようにしている。
だいたい、茂木さんの姿を間近で見ていると、
いかに自分の状況が「忙しい」とぼやくには生温いかを
思い知るので、やはり言ってはいけない。

約一ヶ月後にちょっとした催し物があるので、
それの準備に追われている。
決めることが多すぎる!
本当はさらに4ヶ月先にやる予定が前倒しになって、
かけずり回ることになったけれど、
もし何の準備もなしでこの状況になっていたら
それこそ恐ろしい突貫工事になっていたので、
まあよかったのかもしれない。

最近はRNG課題の先生の手伝いでEEG実験をやるようになって、
電極の準備をしたり、ケーブルを張り巡らせたり、
ハンダゴテでハンダ付けしたりしている。

で、パイロット実験でとったデータをOctaveでこじあけた。
64個の電極で記録したはいいが、
そのデータがどのようにファイルの中に格納されているのか、
マニュアルを読んでもよくわからない。
というか、マニュアルに沿ってデータを読み込むと
おかしなデータがでてくる。
いろいろ試行錯誤したり、
50Hzのハムを入れたデータを人工的に作ってもらって
それを開いているうちに、やっと正しい読み込み方がわかってきた。

eeg.png

データの一部。

Octaveでバイナリファイルをいじり倒している時間が
なんだかんだで楽しかった。
やっぱりオレはプログラムがすきなんだという思いを新たにした。

はっきりってこのデータが何を意味しているかどうかよくわからないし、
電極がきちんと頭についていて、問題なく脳波を記録できていたかどうかも
あやしいんだけど、ところどころに棘波がでていて、
これはまばたきによるアーチファクトだな、と思うのは楽しい。

オレはやっぱり実験が嫌いだ。
でも実験しないかぎり学位なんてとれないだろう。

最近、トイレの友となっていたDr. Zhivagoが読み終わった。


原著を読んだわけでも邦訳を読んだわけでもなく、
ペンギン・リーダースの子供向けにリライトされたやつ。

読み始めた理由は「Zhivago」って何?って思ったから。


浅井健一のバンド、JUDEのアルバムに「Zhivago」というのがあって、
それでこの名前を知った。
最初は名前だなんて思わないで、「AJICO」みたいにベンジーが
勝手に考えた言葉だと思っていた。

ロシア革命の前後の時期を描いた作品で、おもしろかった。

たぶん結婚する前に読んでいたら今みたいな読後感は得られなかっただろうな
ということを思ったりした。
結婚して人妻ならぬ人夫となっていなかったら、
この作品にリアリティをいまほど感じられてはいなかっただろうと思った。

今はペンギン・リーダースの「East of Eden」を読んでいます。
これもかなりおもしろい。


自分の英語のレベルがペンギン・リーダースレベルだということは
ぞっとする事実なのだが、
でも、人生はいつだって途中さ、と強気に前に進む。

いくつもの壁にぶつかりながら

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僕の友人の青木くんはNPO法人「かものはしプロジェクト」をやっていて、
その'かものはし'の共同代表の村田 早耶香さんの本が出たみたいです。

いくつもの壁にぶつかりながら
村田 早耶香

ということを小飼さんのブログの書評記事で知る。

そこにこう書いてあって、

PHPエディターズ・グループ田畑様より献本御礼。

世界は狭いなあと感じた。

何はともあれ読んでみたい!と思って注文しました。

多読術:松岡正剛

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5月が終わった。6月がはじまる。

5月はイレギュラーな予定が次々に入ったせいで、
ぼんやりする暇のない一ヶ月だった。

やろうと思っていた認知実験が一向にできずに時が過ぎていく・・・。
段ボールが!
手頃な段ボールがないのだよ!

カレンダーを見返すと、
思ったよりも今月はいろいろやったのだなというのがわかって、
少しほっとした。
密度が高いヒビだったのだ。

今日は締め切りがひとつあって、
それが終わってほっとした。
それで久々に"だらしない"読書をした。

"だらしない"読書というのは、
差し迫った課題を達成するために必要な読書だったり、
差し迫った課題から現実逃避するための読書だったりとは違い、
心やスケジュールに余裕があって、
手近にあって、なんとなーく読みたいなーと思った本を
ゴロゴロしながら読み始めて、
他にやるべきことがないわけではないけれど、
なんとなーくしばらく読み続けてしまう読書。

* * *

多読術
松岡正剛

セイゴオさんは、読書を情報を摂取するためのものとして
そっけないものとして考えてなくて、
読書をしているときに立ち上がる、世界に匹敵する内的世界の
主観的体験を大切にしている。
たぶんセイゴオさんにとっての読書とはそういう営為なのであろう。

ここのところ、読書という行為に対するスタンスが変わってきていて、
それにぼんやりと気付きつつもうまく言語化できない状態で、
かといって別段言語化する必然性もなかった。

だけど、この本を読んでそのスタンスの変化の意味がよく分かって、
まさに、毎日服を着るみたいに自分は本を読むようになりつつあるのだなー
ということが実感された。

われわれは子供の頃から、たくさんのものを着てきたし、また脱いできましたね。本だって、着たり脱いだりするものなのです。そこにはパンツもあれば背広もあるし、学生服やセーラー服もある。セーターには色がついていて、肘が破れることもある。本もそういうもので、着脱をくりかえしていく。とくに特別の行為ではないんです。

僕はずっとセイゴオさんを尊敬しつつも、
どこか違和感を感じていたのだけど、
その違和感の源がこれを読んでわかった気がした。

それと同時に、セイゴオさんに共感できる部分もいっぱいみつかって、
最後の最後では袂を分かつことにはなるだろうけども、
まだまだこの人の著作や発言などから学べることはそこはかとなくあり、
是非とも学ばせてもらおうという思いがした。

違和感はおそらく「アナロジー」に対する態度で、
だけれどもその点で強く共感したりもするのが不思議なところだ。

この本は読書という行為をとても自由にしてくれるいい本だ。
途中で編集工学の話題がでてくるくだりは苦しいが、
そこは無理矢理に突破すれば
全体的にはするすると言葉が入ってくる書物になっている。


以下のようなくだりがあって、

たとえば、量子力学の新しい局面を読むとか本居宣長の国学の周辺を読むというのは、けっこう集中力が必要です。中身も難しい。しかもぼくは学者や思想家になりたいわけではないから、そればかりやるわけではない。ですから量子力学や国学を読み続けるのは、やっぱりしんどい。そのため、ついついその読書力が落ちてくる。落ちてくるのですが、その回復を別の本でやるわけです。たとえば句集や歌集を読む。そうするとバッテリーに何かがチャージされてくるんですね。

多読術 163ページ

これがとてもしっくりきた。
これって不思議なんだけど、読書の疲れは、
実は別の読書をすることで回復するということがあるということ。

昔は、読書に疲れたときに別の読書をしたら
さらに疲れるだけだと思っていた。
だけど、最近の実感として、ある本を読んでいて疲れて、別の本を読み出すと、
少し読んでるうちにまたもとの本が読みたくなる
ということがあって、読書で読書の疲れがとれているのかなぁ?と思っていた。

かといって自分でも確信はなくて、
でも段々本を数冊同時並行で読むようになったりしていた。

それがその引用した下りで見事に表現されていて胸のすく思いだった。
と同時に、田辺聖子の小説が読みたくなった。


* * *

読んでいて思わず「カッコイー」と声に出してしまった箇所。

そこで、この狩野享吉があまりにすばらしいというので、時の皇太子の教育掛に推挙されたんです。ところが本人は、これを断った。「ぼくは危険人物だ」というんですね。そして、大学をさっさとやめると、好色本のコレクションと書画骨董の鑑定をやりはじめた。 それでいて、時の知識人たち、たとえば長谷川如是閑が「これからの日本における自由とはどういうものだと思うか」と尋ねると、「自由なんてものはキリスト教が作ったフィクションだ。日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ」といってのけたりする。・・・

多読術 174ページ。

自由なんてものはキリスト教が作ったフィクションだ。日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ

である。

かっこええ・・・。

廣中先生来訪

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ゼミに廣中先生が来てくださった。

しばらく前に
「この日は時間があるからどなたかゲストをお呼びしてトークしてもらおう」
という指導教官の提案があって、
僕が廣中先生はどうだろうかと発案して来ていただくことに決まった。

廣中先生が主催する勉強会に参加させていただいていて、
それで廣中先生とは親しくさせていただいている。

精神薬理学の歴史の話からはじまって、
行動と薬理の関係や、
行動や薬理には心は還元できないという話、
ラットの学習とθ波の話、
中毒・麻薬の話、
ギャンブル課題の話、などなど。

あさりでの宴会も楽しく盛り上がった。
いろいろ廣中先生の四方山話を聞かせていただいたあと、
植田さんが来て、例の如くものすごーくディープな話になって、
そのあとは一転オートポイエーシスのシリアスな話題もあり、
おもしろかった。

* * *

最初に廣中先生にお会いしたのはいつだったか、
ずっと思い出せずひっかかっていたが、過去の日記を掘り起こすと
M1のとき(2006年)に行った統合脳のポスターセッションで
お会いしたのが最初だというのが判明した。

2007/7/15 日曜日

お会いした二人目の先生はH先生だった。去年の夏にやはり札幌であった統合脳シンポジウムのポスターセッションでかなり長い間話をしてくださった先生だ。その時の別れ際に薬理に関する勉強会をやっているのでよかったら来てくださいと言ってくださったのでこっちのメールアドレスを教えたのだが連絡は来ず。てっきり忘れられてしまったのだと思っていたが、今回ポスター会場でお目かけして声を掛けさせていただいたら覚えていてくださった。ちょっと立ち話をしてその後の研究経過などをお聞きした。名刺をいただき、帰ってきてからその名刺に書いてあったメールアドレスにメールを出したらきちんと返事をいただけた。よかった。8月の終わりに統合失調症に関する勉強会がありそれに呼んでくださるとのこと。

そうか!そうであったか!

廣中先生とは学会に行くとばったりお会いすることが多いのだけど、
僕の中の廣中先生のイメージで最初に浮かぶのは
学会の最終日などにある懇親会という名の飲み会の場で
あの独特の泰然とした雰囲気で、
うまそうに酒を飲んでいる姿なので、
てっきり最初にお会いしたのは
そういう懇親会の場だったのではないかと思っていた。

そういえば、ポスターの前で延々と話を聞かせていただいた記憶が
うっすらとある・・・。

あの頃は"血気盛ん"な時期で、
いろいろな学会に飛び込んではいろいろな人に議論をふっかけるということを
やっていたのだった。

* * *

廣中先生のご著書。

やめたくてもやめられない脳
廣中直行


快楽の脳科学
廣中直行

教訓

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今日のクオリア日記に、会ってもいないのに自分の名前がでていた笑った。

茂木健一郎 クオリア日記: 「金メダル」

我が指導教官は以下の教訓を得たらし。

教訓。 あっ、野澤真一がいると思っても、そっちを 振り向きながら歩いてはいけません。

なんのこっちゃという感じだが、
オレも今日ある教訓を得たので記しておく。

教訓、 コーヒーに砂糖を入れるときは眼鏡(あるいはそれに準じるもの)を 着用してから行うこと。

是、真理哉。

普段はコーヒーには何も入れずに飲むのだけれど、
今日はなんとなく「スイーツ(笑)」な気分だったので、
砂糖を入れることにして、台所に立った。

寝起きで、裸眼で、顔を洗ってすらいない状態。

せっかくだから、かなり甘めにしてやろうと
ちょっと多めに砂糖を入れてかき混ぜて一口飲んだ。

その刹那、生命の危機を察知し、
即座に流しに吐きだした。

一瞬何が起こったのかわからずひるんだけれど、
すぐに、いま入れた白い粉は砂糖ではなく塩だったのだとわかった。

みなさん。
塩の入ったコーヒーは間違いなく世界一まずい飲み物のひとつだとわかりました。
身をもって。

* * *

「意識」を語る
スーザン・ブラックモア

少し前に買った「意識」を語るをパラパラと呼んでいる。

これがなかなか元気になる読み物だ。

ただし、訳者解説の部分で、いささか気分を害する部分もある。

この本の編集者は傷だらけのマキロンさんだと知って驚く。
繋がる脳といい、この本といい、なかなかいい仕事をしていらっしゃる。

果てのうるま

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おととい、波照間から帰ってきました。

CIMG4229.JPG

波照間島のマンホール。

* * *

昨日はゼミで、茂木さんと田谷さんが論文紹介。
一方はEEGの論文だったのだけど、
ブザキを読んでいるせいかすんなり読めた。

そのブザキが読み終わった。
最後は意識に関する話で終わる。
その数ページのためにこの本はあった。

その数ページを説得力のあるものにするために、
それよりまえの三百数十ページがあった。

今日はこれからブザキ輪講の最終回である。

浮かれてもいいよ

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二日連続ですずかけ。
ブザキゼミ2回。
Cycle 12をオレの担当で終了した。

今回の章はオシレータのカップリングの話で、
如何に海馬と新皮質の間で異なる周波数のカップリングが
起こっているかということを力説していた。

ブザキを読んでいると「海馬すげぇ」ってなる。
もう海馬の研究するしかないでしょう!みたいな。

最後の方にワーキングメモリとθ波にのっかったγ波の関係の
話がちょろっとのってて、
うそだろ!?っていう感じで面白かった。

残すはCycle 13、最後の章のみ!

* * *

今日のできごと。

お風呂に入っていたら、かちゃっと扉が開いた。
嫁がにやけたツラで立っていた。

「あん?」(オレ)
「・・・楽しみだね」(嫁)

「・・・沖縄が?」
「うん、楽しみだね、ふふふ・・・」

それだけ言うとパタンと扉が閉まった。
嫁は歯磨きをしに洗面台まで来たようだった。

実は土曜日からふたりで沖縄に旅行に行く。
嫁にとっては初めての沖縄。
沖縄に行けるのが余程楽しみらしい。

スモールワールドネットワーク入門

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スモールワールドネットワーク(SWN)のことについて調べようと思い、
グラフ理論を題する本を物色してみた。

グラフ理論の教科書は数が少なかった。
ある人に聞いた話だと、
「一時期流行ったけれど最近はめっきり下火になった」
とのことだったから、そういうことなのかもしれない。

それでその数少ないグラフ理論の教科書のなかで、
SWNが載っているものは皆無だった。
そもそもワッツとストロガッツのスモールワールドに関する論文が
でたのが1998年。

グラフ理論の教科書のうちで
出版年がそれより後というのはみあたらなかったから、
それは当然といえば当然か。

スモールワールドの話が出る前は、
グラフ理論という分野は四色問題が(一応の)解決をみて、
その進展が止まってしまったのかもしれないなと思った。

グラフ理論の教科書にはエルデシュの
ランダムネットワークの話もでてこない。
おそらくそれまでのグラフ理論となじまなかったからだろう。

で、「グラフ理論」「図学」などのキーワードで本を探すのやめて、
それまで見ていた棚のあたりにある本をつらつらと眺めていたら
「スモールワールド」というそのものずばりなタイトルの本があった。
灯台もと暗し。

しかしてそれは、当のワッツが書いたものだった。

一般向けに噛み砕いた本ではなく、
数学的な論考がきちんと書いてあって、
SWNに関して日本語で読めて、数学的に厳密なことが書いてあり、
ある程度まとまっている読み物は、
これをおいて他にないように思われる。

ワッツ
スモールワールド

最近、バラバシが一般向けに書いた、スモールワールドやスケールフリー
に関した本を読み終えた。
これがとてもよい本だった。訳もよし。

スモールワールドネットワーク、スケールフリー性、など、
そのあたりの話題についてクリアに、具体的に書いてあり、
この分野のざっくりとした俯瞰図と急速な発展の様を
見事に描き出している。
スモールワールドについて知りたい人はまずはこれを読むのがお奨めです。

バラバシ
新ネットワーク思考


ちなみに、ワッツの指導教官ストロガッツはSYNCという本を書いている。

ストロガッツ
SYNC

この本はまだ一部を読んだだけだけど、これも面白い。
同期現象についていろいろ面白いことが書いてある。
この”同期”に関しては今読んでいるブザキのRhythms of the brainにも関わる話で、
このあたりを一般向けレベルでもいいから読んでおけば、
もっとブザキの本もスイスイと読み進められたのにと思う。
(たぶん)

hidden figure(正確にはmoony face)を知覚できたときに
脳全体でガンマ周波数帯の位相同期が起こる話も書いてあったり。

大盛り卵かけご飯

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買いたい物があったので、横浜まで遠出した。
なのに、買いたかった物がふたつとも買えなかったってどういうことなんだ。

片方は定休日、片方はすでに商品の取り扱いをしていなかった。
うーん無駄脚だった。

ランチで食べた刺身定食がリーズナブルだったのが救いか。
その定食屋”なか一”ではテーブルの上の小さなカゴに卵が盛ってあって、
追加注文など無しに、自由にその卵を食べていい。
定食のご飯がどんぶりにこんもりだったので、
卵をふたつも失敬して、卵かけご飯にしていただいてしまった。

* * *

茂木さんの「欲望する脳」を読了。


これは倫理の問題を論じた本なのであった。

茂木さんは「プロセス・アイ」でも倫理を重大な問題として扱っていて、
ある主要な登場人物は倫理学で博士号を取得したという設定が
なされている。

ただ自分にとってはやはり”倫理”というのはアクチュアルな問題には
なりにくい。
それでも、「欲望とどう向き合うか」という問いに転換すると、
不意にそれが切実な問題として立ち現れてくるように思われる。

「七十而従心所欲不踰矩」

この言葉からは確かに、不思議な魔力を感じる。
ようになった。

孔子を読んでみようと思った。

books 0903

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今月読み終わった本。

サブリミナル・インパクト
下條信輔

下條さんの10年ぶりの新刊。

下條さんはリベットのマインド・タイムを翻訳しているだけあって、
やはり自由意志の問題を意識している。
ただ、一般的な自由意志の議論とは違った視点から論じている。

最近、デネットの「自由は進化する」や、サールの「行為と合理性」、
ノーレットランダーシュの「ユーザーイリュージョン」などを
ぱらぱらめくっているのだけど、
自由意志を論じるための話題はどの本もだいたい同じだったりする。
リベット然り、決定論然り、リバタリアニズム然り。
そういう意味ではいまや閉塞感が強いので、
下條さんのような「潜在認知」「無意識にしてしまう行動」という観点からの
論じ方はむしろ自分にとっては新鮮だった。
そっちの方面から自由の問題を論じる手腕に感服させられた。

新奇性選好と親近性選好が一見矛盾するのだけど、
両立するあたりの話は、具体的な心理物理実験に基づいているだけに
説得力があったし、
その応用としてのコマーシャルの例はうまいと思った。
(背景・シチュエーションは変わる(新奇性)けど、
 登場人物は一緒(親近性)、というやつ)

そのほか、「この研究も下條さんのグループのだったのか!」と
驚くほどのレパートリーだったし、どれもセンスがいいものだったと思う。
この実験をこう語るか、という部分で勉強になった。

受験国語が君を救う
石原千秋

現代文というのは「どれだけ普通の感性をしているかを問うもの」という
言い切りが心地よかった。

自分の中に歴史を見る
阿部謹也

山本義隆氏が「磁力と重力の発見」などで、繰り返し問うている
「なぜ科学はヨーロッパで生まれたのか(日本では生まれなかったのか)」
という問いに通底することを問うていたのが印象的だった。

ヤバい経済学(Freakonomics)

刺激的なタイトルな割には、至極まっとうな本に思えた。
面白かった。

相撲の八百長の話を読んでとてもすかっとした。
以前、相撲をやっていた人に
「あれは見る人がみればあからさまにわかるんだよ」
と教えられていたことが、見事に示されていた。

Honeymoon salad

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少し前にハネムーンサラダを作ってみた。

IMG_0038.JPG

むかし、高校生のころ読んだ漫画で、
二宮ひかるの「ハネムーンサラダ」というのがあって、
あれは強烈な漫画だったからずっと覚えている。

ハネムーンサラダ(5)
二宮ひかる

その中に件(くだん)の”ハネムーンサラダ”が出てくる。

ハネムーンサラダというのはレタスだけのサラダのこと、らしい。

lettus only (レタスだけ)

これは音だけだと次と(ほぼ)同じ

let us only (私たちだけにして=二人きりにして)

だから新婚の二人が食べるのだ、というようなエピソードが
作中で出てくる。

これがずーっと頭の中にあって、
結婚したらこれを食べてみようと思っていた。
けど忘れてた。

で、結婚3ヶ月が過ぎた頃、ふと思い出して作ってみた。

作るといってもレタスちぎって終了なのだけど。
でもこれだとたぶんおいしくないので、
イタリアンドレッシングをかけて食べた。

奥さんと「草食動物みたいだね」といいながら食べた。
まぁだから何だって感じですが。

* * *

ただこの話、高校生の頃は素直に信じていたけど、
今になって聞くと、どことなくうさんくさい。
作者の創作かな?とhoneymoon saladでググってくると、
極僅かだけど英語でそれらしいことを書いてある記事があるので、
たぶん本当なんだと思う。
(でも検索結果の上位をこの漫画がほとんど占めている)

ハネムーンサラダは他にも

Lettus alone without dressing (ドレッシングなしでレタスのみ)

=Let us alone without dressing (私たちを裸で二人だけにして)

という言い回しもあるらしい。
というか、こっちが正統っぽい。
露骨だー。

こっちが正しいとすると、ドレッシングをかけたのは邪道だったかも。

* * *

それはともかく、「Honeymoon、蜜月」という言葉の持つ質感がすきだ。

蜜、なのである。
甘いのである。
砂糖じゃなくて蜜だから、あまあまだ。

付き合いたてのカップルなんか、まさにこういう状態だ。

今までずっと蜜月の"蜜"の方に注意が向いていたけど、
実は"月"の字の方にも思っていたより深い意味があると知った。

HotForWords : Happy Holidays!

HotForWordsが上記リンクで
Honeymoonの語源について解説しているのを見て知った。

英語のHoneymoonというのは他の言語から借用してきた言葉のようだ。
すなわち、蜜月という言葉がHoneymoonの直訳であるように、
Honeymoonというのはフランス語の lune de miel の直訳なのだ。
(そういう単語をcalqueと呼ぶ)

それで、lune de mielも結局 "月 (lune)" と "はちみつ(miel)" なわけだけど、
"月"という表現には「ひと月で満ちて欠けてしまう」、
という含意があるということ。
つまり一定の期間しか続かない、ということ。

この"月"という文字に込められた意味を知ったとき、
頭の中に感嘆符が5個ぐらい並んで、大発見をした気がした。

どんなにお互いが好き合って熱愛中でも、
じきに冷めてしまうということが古今東西問わず、
普遍的にそうなっていたというのが、
おかしいようなせつないような気がした。

* * *

ちなみに、ハネムーンの語源はこの他に、
古代ゲルマン人の風習で子作りのために
一ヶ月間ミード(はちみつを発酵させたビールのようなお酒)を飲んで
精力をつけたために由来するという説があるらしい。

ハネムーン - 語源由来辞典

* * *

そういえば、日本語で「ハネムーン」というと、
"新婚旅行"という意味で使われるのが普通か。

こういう、言葉が本来持っていた豊かな意味が失われて、
別な、しかも大して深みのない意味に言葉が置き換わってしまうのは
個人的には悲しいなと思う。

B semi, final inch

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すずかけへ。

ブザキを読む会。通称Bゼミ。
3人でひたらすらブザキを読む。

Rhythms of the Brain
G. Buzsaki

いまはCycle 11で、海馬、Place cell、θオシレーションの話。
2次元平面でのPlace cellのomnidirectionalな性質と
1次元通路でのPhase precessionによる左右の非対称性の話。

今のところの読書速度は2~3ページ毎時。
おそろしくのろのろと3人であーでもないこーでもないと言いながら、
「解読」作業をしている。

Bゼミ Wiki*

いつまでたっても終わらないぃぃ!と、業を煮やす時期は過ぎ、
すでにこれがいつか読み終わるものなのだということも
忘れかけていた今日この頃。

最近は読むペースも安定してきて、
一回に読めるページ数が勘案できるようになり、
二週間に1回という開催ペースがちょうど良いということが
体感としてわかってきて、
最後まで読むのにどれぐらいかかるか、というのが
見積もれるようになった。

  • 3月25日(水)Cycle 11.0 石川 4th /4
  • 4月 8日(水)Cycle 12.0 野澤 1st /2
  • 4月15日(水)Cycle 12.0 野澤 2nd /2
  • 4月28日(火)Cycle 13.0 青木 1st /1

予定を立ててみてびっくり。
これだとゴールデンウィークの前には終わるではないか!
永遠に続く気がしていたので、
このような見通しが立って嬉しかった。

第一回開催が去年の3/11なので、
すでに1年経過したことになる。

それなりの時間が経過したわけで、
議論の仕方はうまくなってきたと思う。

無闇にわからないことを追求しすぎない。
適度に休憩を挟む。
ある程度いったらやめにする。欲張りすぎない。
分かった気にして流さない。
できるだけ正確に誠実に疑問や違和感を表現して共有する。
次の予定はその日に決める。
あまりつよくスケジュールを強制しない。

など。

肝心の内容は、見事に頭のなかから流れ去ってしまっている。
それでもきっと、大量の砂の中からほんのわずかな砂金が残るぐらいには、
頭の中にその痕跡が残っているのではないかと思う。

在りし日のBゼミ風景。

bsemi.JPG

Ume at hot water island

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本郷に行った。

電車代をケチってお茶の水から歩いてみた。

途中で湯島天神を通りがかって、思いがけず梅の花を見ることができた。

湯島天神、いいですなー。
梅の季節、いいですなー。

* * *

プロセス・アイを読み終わった。

文体が全然違う!と言ったけれど、
内容は茂木さんそのもの!って感じだった。

ラストの一行がよかった。

* * *

砂で曼荼羅を描くシーンがあって、
聖☆おにいさんの以下のヒトコマ(s)を思い出してしまった。

聖☆おにいさん

2巻

* * *

like water ec*tacy

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神田にある如水会館というところで、
普段のランチよりは少し割高の、
だけど本来のその料理の価格にしては大幅に割安のランチを食べた。

スモークサーモンとスズキのマリネ
はまぐりと白魚のスープ
牛ヒレ肉のステーキ
デザート
コーヒー

奥さんと、うめーうめー言いながら食べた。

その後、品川で映画をば。
ヤッターマン。
最近のCGはすごいんだなーと思った。
グラビアアイドルの写真が
フォトレタッチソフトでいろいろ修正されて美化されるみたいに、
CGで役者の演技を上手に見せられるような時代が
早晩来るのではないか、という皮肉を考えた。

制作者がヤッターマンという作品を通してどんな映画を作ろうとしたのか、
その意図のようなものは感じ取れたのだけど、
でもその意図を達成することにどれくらい意味があるのかはわからなかった。

*  *  *

こないだのことが気になって、
帰ってきてから奥さんの本棚をガサゴソと漁る。

あった。

プロセス・アイ
茂木健一郎

いつか読もう、と思ってのびのびになっていたのだけど、
この間の日記でも書いたように、
デジャ・ブを感じるぐらい自分に重なる記述を見つけて、
それで俄然、読んでみたくなった。

少し読んでみて、軽く驚いた。
いつもの茂木さんの文体ではないから。

ズバズバとまるではじめから切れ目がついていたかのような鋭利さで、
情景や心境を表現していく。
表現と内容がぴったりとマッチしているので、
一行一行がスッスッと頭に難なく入ってくる。

これを読んだ後だと、クオリア日記の文体が異様に緩慢に見える。
異様に、というのは生身の茂木さんの口調に近い
速度と切れ味があるから。

物語はチュニジアからはじまる。
しばらくは、本を読める時間ができるのが待ち遠しくなりそうだ。

Sense of already seen

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今朝の茂木さんのブログにプロセス・アイの抜粋があって、
それを読んだら軽くデジャ・ブを感じてしまった。

プロセス・アイ
茂木健一郎

連雀町の"たけむら"や松屋。
御徒町から本郷へ向かう途中の上り坂とその途中にある湯島。
ツヨと軍司の引っ張る者と引っ張られる者の関係性。
ツヨと千佳の切ない関係性。

浪人生のころの自分がそのまま描かれているようだった。

東大に在籍していたことは一度もないにも関わらず、
本郷、湯島、御徒町、上野、秋葉原、お茶の水は
その頃の自分にとって庭であり、たくさん思い出がある。

連雀町もそのころよく行った場所だ。
夏の盛りの昼間に松栄亭に行って、
「授業があるからビールは一本だけにしておこう」
と言いつつメンチカツや洋風かき揚げを肴に
ビール瓶がさらに2、3本空になったりならなかったり。

プロセス・アイに描かれている松屋での酒の飲み方の記述が"正しい"。

ほとんどの人が勘違いしているけれど、
ラーメン屋でラーメンを食べたり、
牛丼屋で牛丼を食べたりするように
そば屋でそばを食べたりはしない。

元来、そば屋というのはそばを食べる場所ではなくて、
酒を飲む場所である。

"いたわさ"や、玉丼(親子丼にあらず)や、"とりわさ"や、
"そばがき"や、天種や、ニシンや、”そばみそ”や、
”のり”などを肴にお酒を飲む場所であり、
「そばを食わずに腹が一杯になっちまった。
 そばはまた今度にするか」
とそば屋を後にするのがそば屋の正しい在り方である。

まあ、池波正太郎の受け売りですけど。
あるいは杉浦日向子さんもそういうことをおっしゃっていた。
そば好きとそば屋好きは違うのである。


そもそも、そばなんて腹がはち切れるぐらい食べたところで
2時間もすれば食べたことが疑わしくなるぐらい腹が減る食い物じゃないか。
消化が良すぎるのである。
そばというのはおやつみたいなものなのである。
実際、そばがきはおやつとして食べられていたわけだし。
- 蕎麦がき - Wikipedia

そんなことを考えたせいか、
今日のお昼はCSLからすぐのところにある立ち食いそばのお店で、
もりそばと牛丼のセットを食べてしまった。
立ち食いそばのお店なのに、4脚だけイスがある不思議。

そば屋は酒を飲むところだと言っておきながら、
そば屋でランチを食ってるじゃん!とツッコまれそうだが、
ラーメンとカップラーメンが本質的に違う食べ物であるように、
そば屋と立ち食いそば屋もやはり本質的に違う飲食店である。
(ということにしておいてください。)

imagine the structure

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親父に頼まれてとあるデータベースをMySQLとPHPを組み合わせて作っている。

参考図書はこれ。

標準MySQL 改訂第3版

この本の内容は中途半端といえば、中途半端なのだけど、
PHPもMySQLも扱ったことがない者にとってはこの本は良書である。
Web経由でデータベースを扱う一連の必要な手順を
一通り網羅してくれているので助かる。

  • MySQLとPHPのインストール
  • データベース(RDBMS)についての概論
  • PHPの基本的な文法
  • MySQLの操作法
  • PHPやPerlを使ってMySQLを操作するプログラムの方法

それらをすべて書いてくれている。

PHPもMySQLも、これまでもいくらかかじったことはあったけれど、
今回のお勉強でまた一歩前進、という感じ。
ただ、PHPよりはPerlの方が100倍はプログラム速度が速いので、
PHPとMySQLの相性の良さをさっぴいても、
PerlでMySQLをいじった方がはやいのではないかと、思ったり。
あとはもっとまともにJavaScriptが使えるようになれば、
もうWebサービスを作る分には怖いもの無しだ。

ただ、そうやって言語のことを勉強しても、
結局はプログラミングのスキルよりも適切なモデリングができるかどうか、
ということであるということを改めて思う。

修士の時の授業でUMLでモデリングする授業があったけど、
ああいったモデリングをする訓練は、確かに大切だと思った。
(あの授業で訓練の効果があったかは疑問だけれども)

データベースを作るにしても、
どういうテーブルを作って、その中のフィールドをいくつ作って、
ひとつひとつのフィールドの型を決めないといけない。
それはプログラムのスキルと関係なくて、
どんな風にデータ構造を作るかということであり、
システムを作る上で一番の肝になる。

それは何にでも言えることで、構造を頭の中でイメージできていないと
構造を作るスキルがあってもシステムはつくれない。
一方で、構造を構成する部品にはどのようなものがあり得るか、
ということは具体的なスキルがないとわからないし、
構成する部品をそれなりに具体的にイメージできないと
全体像をイメージすることは苦しくなる。

* * *

そんなこんなで、PHPとMySQLで日が暮れたりするのだが、
こんなことよりももっと優先すべきことがあるんじゃないか
とも思ったりする。

やりたいことはいろいろあるけども、
pendingに次ぐpending、stuckingに次ぐstucking。

プログラムの速度と英語を読む速度があと10倍ぐらい速くなれば、
思いついたことをすぐ実現できるようになる、
気がする。

Dr. Isolated Island

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奥さんが仕事のために「Dr.コトー診療所」の既刊のもの(1~22)をすべて購入したので、
勝手に借りてものすごい勢いで読破。

Dr.コトーはヤングサンデーでやっていて、
ヤンサンはもう廃刊なので、
Dr.コトーも連載が終わったのだと思っていたけど、
別の雑誌で連載を継続しているらしい。

巻が10巻を超えたあたりから、
どんどん読むのがしんどくなってきた。
つまらないとか難解という意味ではなくて、
"重い"話になっていった。
はじめは離島で孤軍奮闘する爽やかな医療漫画だったのに。

話が一段落すると、きちんとハッピーエンドを見せてくれるのだけど、
次第次第に、単純なハッピーエンドではなくなってきて、
話が一段落してもスカッとはさせてくれなくなる。

通奏低音のように作中には拭いがたい重圧が漂い、次第に濃くなる。
やがてその重圧の正体が鮮明になってきて、
作者は、生を悲劇としてとらえて描いているのだと思った。

それは、ただ悲しいとか絶望的だとか、暗い話だとか、
そういう意味で「悲劇」と言っているのではなくて、
同じ事象の異なる見え方として喜劇性と悲劇性とがあって、
その悲劇性の方を描いているということ。

「いま、ここ」の奇跡のような巡り合わせと、
今この瞬間のかけがえのなさとその脆さ。
今の自分も今のこの世界も絶対じゃない。
時間が容赦なくすべてを相対していくことの無慈悲と救い。

そのセンチメンタルのせいで、
本郷からの帰りの電車の中で、
久々の晴れ間に差し込む光と、
それを照り返す街の彩度がやけに鮮やかにみえた。

「いま、ここ」の生の輪郭を否応なく魅せてくれる
悲劇の効用を、
ひさしぶりに思い出した。

erg

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ブザキの輪講のためすずかけへ。
Cycle 11。
海馬、場所細胞、グリッドセル、episodic memory、θ波といったトピックを
すべて扱うので、この章は異様に長い。

海馬体と皮質の連絡は入力出力ともに嗅内皮質(entorhinal cortex)が担い、
ECのlayer 2のstellate cellからDG(dentate gyrus)のgranule cellへ投射、
さらにそのgcからCA3のpyramidal cellへ。
CA3は自己回帰的なネットワークになっている。
CA3からはCA2,CA1へ投射があり、それがまたECに戻ってneocortexへ出てゆく。
CA2かCA1のどちらかからは脳弓を通って視床へ投射する経路もある。

という感じで、やっと海馬・嗅内野あたりのネットワーク構造が
頭に定着してきた。
たぶん、同じようなことは5,6回は文献で目にしているはずだけど、
断片的に読んだだけでは到底覚えられない。

今日読んだところはplace cell、grid cellの話で、
place cellの発見自体は1970年代で、
思っていたよりも全然古いのでびっくりした。

そうか、そういうO'Keefeらの一連の研究があったから、ロンドンのタクシードライバーのMRI研究
みたいなものが出てくるのか、と思った。

* * *

大阪の帰りの電車の中でふと思ったこと。

GABAergic neuronとかDopamin-ergic neuronという言葉があって、
それらはそれぞれGABA作動性ニューロン、ドーパミン作動性ニューロンと
訳される。
(ちなみにGABAもドーパミンも神経伝達物資のひとつ。)

GABA作動性ニューロンと聞くと、
「ああ、GABAのニューロン(神経細胞)なんだ」
ととりあえず納得できる。

だけど、もっとよく考えてみると、混乱する。

「GABAergic neuronはGABAがなんなわけ?
 GABA作動性ってことはGABAで作動するわけ?
 つまりGABAが入ってくると動くわけ?」

とこんな風に思ってしまうわけだが、
正解は「GABAを放出するニューロン」なのである。
と、ここら辺は昔にも書いたことがあるのだけど、
また別のことに気付いた。

emergentとかenergyの中に入っている「erg」って、
GABAergicの中の「erg」と同じなんじゃね?
emergentもenergyも締め付けられていた場所から
何かがほとばしるイメージがあてはまる。

「あ、ぴったりだ!」と思ったら、もう昔の状態には戻れない。
GABAergicのergとemergentやenergyの中のergが同じものだとは
ちっとも思っていなかった状態には戻れなくなってしまった。
いわゆる一つのAHA体験。

というわけで世界の成り立ちがどうであろうと、
GABAergicもemergentもenergyもergは共通であり、
ergは何かが迸るイメージこそ相応しい、とひとり確信している。

moss aficionado

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森山和道さんが発行しているメールマガジンScience Mailのいま配信されているシリーズが面白い。

今回は、井藤賀 操さんという方でコケの研究をされているかた。

いまはコケを使った重金属の水質処理をしているらしいのだけど、
もともとのモチベーションはコケに対する飽くなき好奇心で、
「苔が好きだ!」という情熱がひしひしとつたわってくる。
よく「最初は○○をやっていたんだけど、それから××をやるようになって、
気付いたら△△をやっていたんですよ」というひとはいて、
それはそれでありなのだけど、
こういう「苔一筋でやってます。」みたいなひとをみると、
なんか、和む。

それに、苔を使った重金属の回収という今のテーマも、
なんか昔、学部の頃にいた研究室は
微生物を使って水をきれいにしています、
みたいなことをやっている場所だったから、
「苔で重金属か!」とそういう意味でも興味がそそられた。
微生物使って(厳密には活性汚泥、つまり泥)水質浄化は、
はっきりいって枯れた技術になっていて、  
それ自体はもうあんまやることがない感じだったけど、
この苔で重金属はまだ全然やられていない分野らしく、
たぶんこれからが一番面白い時期なんだろうなーという気がする。

次はこの人、上野健さん
インタビューを聞いてみたいなぁ。
上野さんに関してもやはり森山さんの日記で知った。

▼「タモリ倶楽部」はコケの話。極地研の上野健氏という研究者がゲストとして呼ばれていた。「何を研究しているんですか」と聞かれて「コケの生き様です」。その答えに惹かれて検索したら、すぐにブログが見つかった。コケの論理(ロジック)。機会があれば話を伺ってみたい。

08.5 K.Moriyama's diary - 08.05.16 より

苔の生き様・・・。
なに、その凄み。
「苔の生き様」というフレーズを真剣に発する人がいるなんて、衝撃だ。
世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。

そのフレーズを目にしてから、俄然、コケに興味が出てきて、
この間京都に行ったときは苔寺に行ったのだった。
苔寺すげーっすよ!
緑が萌えて(燃えて)いる!

http://nozawashinichi.sakura.ne.jp/fs/2008/09/moss-temple-matsunoo-grand-shr.html

Up and Down

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すずかけへ。

茂木研のお隣さんの研究室、中村研が主催の研究会があった。

この研究会は年に一回この時期に開催されるもので、
今年の講演者は理研の深井さんだった。

UP state, DOWN stateの話を中心に、
神経回路網のモデルと脳の可塑性や発生を絡めた研究の話を聞けた。

例年、参加者は中村研のメンバー+オレ、という
なんともつつましい感じなのだけど、
今年は他研究室からの参加者が大勢来て
中村先生をして「こんなに来るとは思っていませんでした」と
言わしめる盛況ぶりだった。
青西先生と宮下先生も見えていた。
中村先生があんなに目を輝かせて議論する姿は初めてみた。

UP/DOWN stateとSlow-wave sleepのつながりのあたりは
面白いと思った。
そういえばそのようなことがブザキにも書いてあった。

そしてそれは、記憶の話にもつながっていくし、
海馬とも関連があるので、
たぶんこれからは記憶周辺の話が進展するだろうと思った。

睡眠はレム睡眠とノンレム睡眠に大別される。
そしてノンレム睡眠は1から4のステージにさらに分けられ、
1が浅い眠りで4が深い眠りになる。
深い眠りの方のステージ3、4では脳波を測定すると
波長の長い"ゆっくりとした波(slow wave)"が観測される。
このslow waveがみられるステージ3,4が
記憶の固定化(consolidation)において重要だというのがわかっている。

この時期の睡眠が妨害されると記憶の課題の成績が下がるし、
逆にこの睡眠のあとなら向上する。
面白いのは昼寝はステージ3、4が多いらしく、
だから昼寝でも記憶向上の効果は十分にあるということ。

逆にレム睡眠は記憶とほとんど関係ないらしい。
ある種の抗鬱剤にはレム睡眠をなくしてしまう効果があるものがあるらしく、
その薬を処方され服用する鬱病の患者はレム睡眠がなくなるが、
それでも一向に記憶障害は生じないのだという。

このあたりの話はブザキのCycle 7と8に詳しい。

Slow waveはUPとDOWNの遷移からくるのではないかと  勝手に思っている。
そうなると、記憶に関してはUPのときの機能がこれこれで、
DOWNのときはこうで、という風ではなくて、
UPとDOWNの間を入れ替わること自体が重要になるのではないか。

睡眠と記憶のあたりの話題に興味が湧いてきた。

newly-published

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「お金は銀行に預けるな」を読了。
明日から投資信託を始めます(うそ)

decarutoruさんがほぼ一年前にブログでこの本のレビューを書いていて、
その記事で表現される読後感がよく分かる。
2008-01-05 [本]勝間和代 お金は銀行に預けるな

光文社新書は偉いと思う。
こないだの「すべての経済はバブルに通じる」も良くできていた。
この本のおかげで、証券て何かわかったし、
"サブプライムローン問題に端を発し、世界的な金融危機になった"
過程も理解できた。

自分が高校生の頃と「新書」という分野はずいぶん変わった気がする。
いまの新書は発売されてからできるだけ早く読むのがよい。
新書はだいたい定食一食分の値段だし、
今日のお昼はナポリタンにしようか?カツ丼にしようか?という
気軽さで読むのがよい。
情報の鮮度がよく、かつ、手頃なサイズにまとまっており、
それなりに読み応えがある、そんな本になっている。

reading more

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コンセントと知的生産の技術を読んだ。


それからぼくは落ち着きがないとすべての経済はバブルに通じる。


現在、サブリミナル・インパクトと、
お金は銀行に預けるなと、自分の中に歴史を読むを
読んでいる。

何故か活字中毒状態になっていて、
手が空くと字を読みたくなる。

で、手近にある本を適当に取り出しては読んでしまう。

奥さんが本に関わる仕事をしているだけあって、
読んでいない本が本棚にはたくさんある。

a coup d'état

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ここのところ、よくクーデターを起こす夢を見る。

国会を占拠して議員を全員解任。
無能な政治家に代わって、一時的に政治を執りしきる。
自衛隊の急襲を牽制するためにつねに首相ののど元にナイフを突きつけておき、
24時間の監視。

破竹の勢いで行政改革を行い、
日本の経済は活気をとりもどすのだけど、
経済問題以外の問題が浮上すると、
途端にそれらを改善するビジョンをもっておらず
あたふたし、猛烈に困る。

とか、ネット上で全国民的なムーブメントを起こし、
現国会や現政府、現行政をすべてボイコットする。

とか、そもそも議会制民主主義を否定して、
手の届く範囲での機能単位、地域単位をつくり、
その中の無数の自治と連携により
国家が有していた機能をすべて代替するための、
Webを使ったシステムを作る。

他愛もないし途方もない。
幼稚すぎて、笑えるけれども、
夢の中の自分は大まじめにそんなことをやっている。

現在の日本という国は、うまくつつけば
簡単に転覆させられるのではないかと思う。
国会と内閣はまったくこの経済危機に際して機能していない。

そういう夢を見るのは、
たぶん、この間みたチェ・ゲバラの映画のせいだと思う。

歴史を見れば明らかなように、
国や行政というものには寿命がある。
今の体制は明治からひと続きだと考えれば
150年近く経つことになる。
江戸は260年続いたわけだけど、
まあそれは長い方で100年経つと老朽化が目立つ感じだろう。

そういう意味でもう日本は寿命なのだ。

ゲバラの映画を見て
村上龍の小説「愛と幻想のファシズム」を連想した。

あれもクーデターの小説なのだけど、
今思うと、カストロ率いるキューバの革命を
意識していたのではないだろうか。
村上龍はキューバ好きだし。

愛と幻想のファシズムを読んだときは中学生で、
クーデターなんて非現実的で社会が安定した現代では
まったくのフィクションだと思っていたけれど、
いまならああいう小説を書いてしまう
モチベーションや必然性や危機感を共有できる気がする。


The lowest class

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少し前に、「最底辺」という本を読んだ。

ルポ 最底辺 ー不安定就労と野宿
生田武志・著



この本に関しては子飼弾さんが書評を書いている。
404 Blog not found - 書評 - ルポ 最底辺

この本には驚くべきことが書いてある。

よく知られているように、生活保護制度は「生活に困ったときは、その原因が何であろうと、生活保護法の定める要件にあてはまるときは、平等に保護を受けることができます」(無差別平等の原理/生活保護法第二条)をその原理としてもっている。しかし、野宿者が福祉事務所に相談に行くと、たいていの場合こう言われて追い返されていた。「あなたはまだお若いじゃないですか。まだ働けるでしょう」「あなたには住む家がないじゃないですか。住所のない人には生活保護はかけられませんよ」。

行政は長年、アパートなどへの生活保護の適用は「住所があって」「65歳以上」の人に限るという方針を採ってきた。実は、これは法的根拠がまったくないただの「慣例」である。住所があって収入がなくなった人については保護をかける(はず)なのに、住むところさえ失った野宿者には生活保護を拒否するという、わけのわからない対応が今までまかり通ってきた。その結果、「仕事には行けないし、生活保護も受けられない」という「五十代で体のどこかが調子の悪い人が日本の野宿者の大多数になった。

前掲書 - 129ページ

そうして、実際にそのような人々の例がたくさんでてくる。

もはや日本を福祉国家などとは呼べない現状がそこにあることが見えてくる。

現在の失業問題は、社会の構造的な問題であることは
いよいよ明白になってきたが、
相変わらず、役所のみならず僕を含めた一般市民もホームレスに冷たい。

そのような経緯から、去年の大晦日の年越し派遣村のニュースで、
生活保護の申請が通ったという話を聞いたときは驚いた。

河北新報ニュース:派遣村、生活保護「ほぼ全員に」 210人既に受給

千代田区によると、5日から7日までの3日間に派遣村の計223人が区に生活保護の支給を申請。うち206人について8日と9日に生活費や住宅費の支給を決定、即日支給した。また「郷里に帰る」とした1人についても、生活保護の一種の旅費を支給したという。

- 上記リンクより抜粋

非合理的かつ法的に根拠のない理由で
生活保護の申請をはねのけていた役所が、
210人もの生活保護の申請を受け入れたのだから。

「最底辺」が出版されたあと、役所が変わったのか、
それともよっぽど手腕のある人が派遣村を仕切っているのか。
そんな簡単に役所が変わるはずがないから、
間違いなく後者だろう。

目に付いた関連記事:

検証・「年越し派遣村」 その実態は - Yahoo!ニュース

「派遣村」の偽善 - 池田信夫Blog

404 Blog Not Found:News - 年越し派遣村 - 「小失敗」*「小失敗」 = 「大成功」?


派遣村に集まった人たちのうち207人は生活保護を受けられたのね、
めでたしめでたし。

とはきっとならない。


<年越し派遣村>207人に生活保護 千代田区1カ月分支給

2009年01月09日22時22分 / 提供:毎日新聞

 東京・日比谷公園の「年越し派遣村」にいた失業者のうち、生活保護を申請していた207人に対し、東京都千代田区は1カ月分の保護費を支給することを決めた。申請者の大半は所持金がほとんどなく、住居や仕事を探すことが難しい事情を考慮、短期間での申請を認めた。

生活保護と言ったところで、一ヶ月分の保護費が支給されるだけだ。
たぶん、ほとぼりが冷めた頃、
彼らはもとのホームレスに戻っているのではないか。

この国には絶望感が蔓延しすぎている。

No more TV, No more Newspaper

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水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」を読み終わった。
読み終わって改めて、水村さんのもつ危機感は正当だと思った。
途中、「女のヒステリーではないか」と思ったときもあったが、
やはり日本語が亡びるという危機感は正しいと思った。
国語の祝祭の時代は終わりを告げる。

悪循環がほんとうにはじまるのは、<叡智を求める人>が<国語>で書かなくなるときではなく、<国語>を読まなくなるときからである。<叡智を求める人>ほど<普遍語>に惹かれてゆくとすれば、たとえ<普遍語>を書けない人でも、<叡智を求める人>ほど<普遍語>を読もうとするようになる。
---水村美苗「日本語が亡びるとき」254ページ

この部分を読んで、改めて自分がテレビを見なくなった理由がわかった。
テレビの必要性はそれなりにあるのだろうけれども、
それなりに教養のあるひとならば、もはやテレビというものを
積極的に見ようとは思わないだろう。

もちろん、自分の知的欲求を満足させてくれるすばらしい番組が
皆無と言うことはない。
だけど、数多ある番組の中でそういう番組に出会える確率はとても低く、
番組表をチェックしたりテレビをザップして試しに見てみたりする
時間を投資するほどの価値がもはやない。

もっとも見る価値があると思える番組が放送される確率が高いと
個人的に思っているNHKでさえ、
そのような視聴者を満足させようという気はないらしい。
池田信夫氏のブログで以下の記述を目にしたときに唖然とした。

古舘伊知郎氏が「格差社会」を語る気味悪さ - 池田信夫 blog

・・・しかしこういうドライな演出は、日本では受けない。素材の情報より、スタジオでみのもんたが大げさに憤ってみせるコメントのほうを視聴者(特に女性)は喜ぶからだ。私がNHKに勤務していたころ教わったのは、「典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え」ということだった(politically incorrectだが)。・・・

やってられるか。
テレビばかりを観る<叡智を求める人>というのはいるのだろうか?
テレビ<しか>見ないという例は? - 404 Blog Not Found

テレビマンと呼ばれる人たちが、とてつもない熱意を持って、
番組を制作しているのは否定しないし、実際そうなのだろう。
だけど、結局テレビの持つ因習的な狭い文脈にがんじがらめにされてしまっている。
いくら全力を尽くしたところで、
小さな檻の中でキャンキャン吠えてるのと大差ない。

テレビがマスメディアであることは今後も変わらないだろうけど、
メジャーなメディアの座から凋落していくのは間違いないと思う。
それは新聞も同じで、新聞の方がすでに危うい。

今の新聞はもうできあがったテンプレートに素材(情報)を流し込むだけで、
情報以上の価値がない。
むしろテンプレートのバイアスのおかげで価値が下がる。
複数あるテンプレート同士の矛盾や整合性のメンテナンスも
おざなりだし、
テンプレートに収まらない情報は捨てられる。

朝日、読売、毎日と、違う新聞社の記事を読みあさったところで
その多様性はたかがしれている。
アサヒとキリンみたいなものだ。

そういうことに気付いてしまっている人たちにとって、
もはや日本で流通するマスメディアを参照する気にはなれないだろう。
そうやって日本語衰退の道はすでにはじまっているんだ。

日本語という母語で学問ができる場所と時代に生きていることが、
実は奇跡であり、かつ奇跡"だった"のだと、
その幸運に感謝する。


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