今月読み終わった本。
下條さんの10年ぶりの新刊。
下條さんはリベットのマインド・タイムを翻訳しているだけあって、
やはり自由意志の問題を意識している。
ただ、一般的な自由意志の議論とは違った視点から論じている。
最近、デネットの「自由は進化する」や、サールの「行為と合理性」、
ノーレットランダーシュの「ユーザーイリュージョン」などを
ぱらぱらめくっているのだけど、
自由意志を論じるための話題はどの本もだいたい同じだったりする。
リベット然り、決定論然り、リバタリアニズム然り。
そういう意味ではいまや閉塞感が強いので、
下條さんのような「潜在認知」「無意識にしてしまう行動」という観点からの
論じ方はむしろ自分にとっては新鮮だった。
そっちの方面から自由の問題を論じる手腕に感服させられた。
新奇性選好と親近性選好が一見矛盾するのだけど、
両立するあたりの話は、具体的な心理物理実験に基づいているだけに
説得力があったし、
その応用としてのコマーシャルの例はうまいと思った。
(背景・シチュエーションは変わる(新奇性)けど、
登場人物は一緒(親近性)、というやつ)
そのほか、「この研究も下條さんのグループのだったのか!」と
驚くほどのレパートリーだったし、どれもセンスがいいものだったと思う。
この実験をこう語るか、という部分で勉強になった。
現代文というのは「どれだけ普通の感性をしているかを問うもの」という
言い切りが心地よかった。
山本義隆氏が「磁力と重力の発見」などで、繰り返し問うている
「なぜ科学はヨーロッパで生まれたのか(日本では生まれなかったのか)」
という問いに通底することを問うていたのが印象的だった。
刺激的なタイトルな割には、至極まっとうな本に思えた。
面白かった。
相撲の八百長の話を読んでとてもすかっとした。
以前、相撲をやっていた人に
「あれは見る人がみればあからさまにわかるんだよ」
と教えられていたことが、見事に示されていた。