The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

読書: 2008年アーカイブ

like an abrupt light in the dark

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いま、LIbetのマインドタイムを読んでいる。

下条さんによる和訳 /原著

自分の自発的行動が起こるときのイメージは、
暗闇の中でぽっと明かりが灯るような感じで衝動・想念・意図が生まれて、
素直にそれに従う感じ。

その場合、ぽっと灯る感じと素直に従う感じが大事で、
「Aにしようか、Bにしようか、どっちにしよう?」
「するか、しないか、それが問題だ」
というような逡巡は全然ない。

修論の時にやったタスクで被験者にやって欲しかったのは、
前者のような行動なのだけど、
やはりそのような統制は難しかった。

そこには時間的な制約があったといのも大きいけれども、
ぽっと灯る感じと逡巡する感じは、
そうしたいと思ったときにボタンを押してくださいという教示では
どちらもOKになってしまう。

結局、その両者を分離して、前者だけを起こすようなインストラクションを
考えあぐねて1年経ってしまった感じだ。

Libetはそこらへんのところをどう考えていたのだろう、と
気になって読んでいくと、やっぱりLibetもそこは気にしていて、
やはりLibetの実験は僕がそうしたかったように、
ぽっと明かりが灯る感じの行動をして欲しかったらしい。

Our experimental objective was to study freely voluntary acts, performed with no external restrictions as to when to act. In most of our series, each of forty trials, there were no reports of preplanning by the subjects.

For some series of trials the subjects reported having preplanned a range of clock time in which they would act, in spite of of our encouragement not to do that.
(Mind Time, P129-130)

当時も今も、EEGで「行動をしようかどうか逡巡しているときの脳活動」と、
「行動する意図が生まれて即座に行動したときの脳活動」を
区別できるだろうか。

時間制限がある問題に関しては、
Libetの先人であるKornhuber とDeeckeの準備電位の実験で
6秒以内にアクションを起こさなければいけないという
制限があるらしい。

Their subjects knew they should perform the act within 6 sec, and that may have encouraged some preplanning of when to act. Our subjects had no such restriction.
(Mind Time, P130)

ちなみに、あらかじめ計画して行動した場合、準備電位は-800msから-1000ms行動に専先行する。

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Reading in Toilet

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最近は某指導教官の人もなさっているという
トイレに「積ん読」をしている。
(いや、トイレで積ん読のほうが正しいか?)

どうもこの方式は自分の性質に合っていたらしく、
用を足すついでに1,2分でさくっと読んで出るというのが
習慣になってしまった。
興が乗ると5分とか"延長"してトイレにこもっている。

いまや読む文章のほとんどが英語なので、
単純に日本語の文章を読むというだけで心地よい。
用を足してほっとしつつ、日本語が読めて気持ちいい。
2重に気持ちいいのである。

いま読んでいるのは中古で105円で買ってきた、
清水幾太郎の「論文の書き方」という本。


アマゾンの書評に次のような一節があった:
"あなたのキーワードが「清水幾太郎」なら勧める。
「論文の書き方」なら勧めない。"
この評が的を射ていると思った。

読んでいて、いろいろと納得することがあり、
やはり一流の物書きというのは
これぐらい日本語という武器の扱いに自覚的でなくてはだめなんだなと、
知ることができた。

長年かけて丁寧に手入れしてきた絶大な切れ味のナイフを
見せてもらったような感じだった。

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Japanese, only just a local language

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「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」
水村 美苗


この本がとてもすばらしい。

彼女に、「これ、いいんだよ、はい」と
ちょっと押しつけがましく渡されたのがきっかけで、
読み始めたのだけど、
いつのまにか真剣に読んでいた。

まず、この本の日本語が美しい。
何よりも先にその点において不意打ちを食らった。
そうして自分がいかに美しい日本語を書くこと・読むことに無自覚であり
それらに関する感性が低いことを猛省した。

文体に冬の早朝の空気のような凛とした緊張感がある。
硬質な文体なのだけど、無機質さや冷たさは感じられず、
むしろ熱を感じる。

実はまだ半分しかよんでなくて、これを書いているのだけど、
冒頭は「熱い」というより「けだるい」熱っぽさを帯びている。
それが次第に危機感をまとった熱さになってくる。

いや、ほんと、こうやって日本語を書き連ねているのが
恥ずかしくなるぐらいきれいな文章なのだ。
普段目にしている日本語が薄汚れてみえるほどに。

内容はタイトルからいくらか推測できるだろうか。
「日本語が亡びるとき」
かなりラディカルなタイトルだと思う。

最近の若い人のしゃべる日本語は乱れてしまって仕方がない、
とかいう話では全然ない。
端的に言ってしまえば英語の台頭によって、
日本語はその存在感をなくす、というものだ。

まだ半分までしか読んでいないので、
最後まで読んだら違うことが書いてあるのかもしれないけれど、
日本語が亡びるというのは日本語を話す人がいなくなるというわけではなくて、
日本語によって世界で最高の水準の知的生産活動がなされなくなる、
ということだと思う。

それは、現段階でももうかなり進行してしまっていて、
日本語で書かれた論文は、その存在感がゼロに等しい。
現在では研究者は研究した内容を英語で発表しなければ、
それは研究しなかったのと同じことだし、
研究者が読むものあるいは聞くものといったら英語によるものだ。
そうしてそれは日本語だけではなくドイツ語やフランス語でも同じなのである。

この本を読む前は
「いまは英語が流行っているけど、昔は物理はドイツ語だったし、
 外交ではフランス語だった。
 そのうちまた違う言語が流行るだろう。
 その時は日本語が流行るかもしれない。」
というぐらいに思っていたが、
その認識は甘かったことを痛感した。

言語にはネットワーク外部性の性質があるのだ。
使っている人が多ければそれを覚える方が有利である。
だからそれを使うようになる。
そうして使う人が増えて、さらに便利になる。

現在の英語の普及率を考えると、
もはや正のフィードバックを押しとどめることはほとんど不可能だろう。

「英語はラテン語のような普遍語になりつつある」という指摘は、
目から鱗だった。
そうか、英語は現代のラテン語なのか。
いままで、英語というものを読んだり書いたり話したりしなくては
(研究者としては)やっていけないということに関して、
苦々しくやや屈辱的な気持ちがあったが、
昔の人々にとってのラテン語である、という指摘で、
その負の感情はすとんと落ちた気がした。
ラテン語ならば仕方がない、と思える。

それにしても本当に、日本語は亡びるだろうか?
それは、あり得そうな気がする。
実際、現在見るべき日本語でなされた知的生産物は少ない。

本だけでなく、新聞、テレビなどを通じて日本語で伝えられる言説に
現在の人類が生み出し得るもっとも高い水準の知的な営為を
感じられることは少ない。
本屋の店頭には「またこの著者は本を出したのか」と
本屋に入るたび思うほどに、
決まった著者の本が平積みになっていたりする。
それも内容は前著の希釈か反復であることが往々にして。

実はこの本はネット上でも物議を醸していることを
いまさらながらに知る。

梅田望夫さんがこの本のことをブログ上で絶賛して、
数百のハテブが付き、コメントが付いた。
しかしそのコメントの質の低さを梅田さんがtwitterで漏らしたら、
それに対する反発でtwitterが炎上して
さらに注目を集め、amazonではこの本が一時品薄になったらしい。

ネットをサーフして、適当に"典型的"と思われる反応を
ザップしてみたのだけど、
日本語で発言したり日本語で情報を収集したりする気を
大幅に削ぐものばかりだった。

日本語は亡ぶだろうか?
100年後にタイ語やリトアニア語のような完全にローカルな言語に
なっているということはあると思う。
でも、日本語を話す人がいなくなるということはないと思う。

でも、200年、300年経ったときはわからない。
極度の愛国主義者たちが片言の日本語で会話するのが関の山で
人々の日常会話は英語になっているかもしれない。

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Cycle 8.0 complete

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昨日はバイトで、その後もつ鍋屋さんでごはん。
今日は、すずかけ台でブザキ輪講。

G. Buzsaki のRhythms of the Brain。

BuzakiじゃなくてBuzsakiね。(ブジャキ?)

前も書いたけど、オレ、石川、青木さんの3人でこの輪講をやってて、
一行ずつ読んでいき、曖昧なところやわからないことは、
ともかくつっこみを入れていくというスタイルなので、
なかなかはかどらない。

今回は8章後半。
もとい、Cycle 8の後半。
この本は章を章と呼ばずにCycleと呼ぶ。
Cycle 8: Perturbation of the Default Patterns by Experience

3人とも英語ができるほうではないし、
毎回、3人で四苦八苦しながら読むのだけれど、
今回のサイクルはなかなか読みやすかった。

前半は睡眠が記憶を増進する話とか、
ヨガや禅の瞑想中の脳波の話とか、
BMIの話とか。
後半はもろにsensory-motor couplingの話で、
行動なしに知覚は生まれないという話。
これがなかなか読み応えがあった。

Theodosius Dobzhanskyという人が、
「Nothing in biology makes sense except in the light of evolution.」
(進化論の考え方なしでは生物学の一切は無意味だ)
ということを言ったらしいのだが、
これをもじって、ブザキはこういっている。
「nothing in the brain makes sense except in the light of behavior.」

actionを起こすことでしかsensory perceptionにおける計量は生まれない。

輪講のあと、長津田駅の小ぎれいな焼鳥屋で打ち上げ。
本当は前期にCycle 7が終わったあとにやろうぜと言っていたけれど
みんな時間がなくてお流れになっていた。

青木さんがニューラルネットに関することをやっているらしく、
その関係で確率過程を勉強しているらしい。
そこでいろいろ数学の証明をやるのだけど、
背理法ってどう思う?と言い出す。
そこからゲーデルの不完全性定理や
カントールの創始した無限集合論や、
自己言及する系の話になって、
なんか珍しく深い話ができた。

持つべきものは酒を飲みながら忌憚なく議論できる友なり。

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Tome Hane!

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「とめはねっ! 鈴里高校書道部」という漫画がおもしろいです。


ヤングサンデーが休刊して、
そこで連載されていた作品の一部がビックコミックスピリッツに
移籍してきた。
そのうちのひとつがこの「とめはねっ」だ。

書道を題材にした漫画で、
帰国子女で書道の経験のない主人公が、
漫画的な経緯で書道部に入部し、
書道の成長を描く、というもの。

アマゾンの書評で

> 文化部の書道を扱っているのに
> 「スポーツまんが」のように展開していくので
> 面白いです。

というコメントがあって、確かに、その通りだなと思う。

移籍後第一号のスピリッツに付録としてついてきた
とめはねっの一話を読んだらはまってしまい、
即、1〜3巻まで買ってしまった。

主人公がシンジ君のようなへたれキャラです。

読んでいると書道がやりたくなる。
小学校の時、書道の時間があったけど、あまり好きではなかった。
なんで好きではないかというと、

・書道の道具を持って行くのが重くてめんどくさい
・終わった後、筆を洗ったりするのがめんどくさ
・書き始めるのにいろいろ取り出さないといけないのでめんどくさい
・字が下手だから楽しくない

という、主にめんどくさい、が原因。

ただ、字を書くのに没入しているときの
無我の境地のような意識状態は好きだった。

書道をすれば毎回そうなる、というわけではなかったけど、
字を書くことにに専念することで、
筆と半紙と墨にしか注意が向かなくて、
周りの音や光景を全く忘れてしまう心理状態に
ときどきなった。

今度苔寺に行くんだけど、そのときに写経をさせられるらしいので、
とりあえず、筆を買わなきゃ、と思う今日この頃。

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Still life

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金曜日:
上野でピザ。

土曜日:
ベラスケス見たさに「静物画の秘密展」を国立新美術館に見に行く。
http://wien2008.jp/
夜は今話題の「Sex and the City」の3話〜5話ぐらいまでみた。

日曜日:
駒場に進化学会に行った。
雨だった。

月曜日:
CSLに行ったけれど、誰もいなかった。
誰とも会わなかった一日。

新潟の万代島美術館とか
http://www.lalanet.gr.jp/banbi/
バッファロー66を見た話とか、
書いときたいことがたまってます。

あ、「男の子のための軍隊学習のススメ」を読了。

静物画って「Still life」って言うんだ。

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leverage

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メモ、です。
最近読んだ本。
こういうことを書くのは恥ずかしいんだけども、
あとで見返すための記録は大事なので。

***


こういう類の本て、読んだら負けだ、って思うんだけど、
たまたま近くにあったので読んでしまった。

こういう本て、読むと元気になる。
「そうか、こうすればオレの人生バラ色!」的な興奮を味わえる。
リポビタンDとかコーラみたく。

で、それで味をしめて、似たような本を読みたくなって
本屋に平積みにされていたこの本を買ってしまった。


レバレッジって、「てこ」です。
アルキメデスが
「それに見合ったテコと足場を用意してくれれば、
私は地球をも動かせる」
といった、あのテコ。

最近、ホントーに自分の英語力に危機感を感じている。
この本の冒頭でとても重要な指摘をしていて、
書店でぱらっと見たときにそれが目に入って気に入ったので、
それに対する対価という意味でこの本を買ってしまった。

曰く、
『九0年代初め「パソコンはできるやつに任せておけばいい」と
のんきに構えていた人が、あっという間に「パソコンが使えないと
就職すらできない」という急展開に飲み込まれたのと同じ現象が、
英語に関しても早晩、起こると思います。』

たぶんまさにその通りだと思う。
PCやインターネットというツールは今や必須で、
これ無しでこれを持った人々と戦うのは相当に苦戦すると
思われる。

PCやインターネットのリテラシーがないことは
現代において致命的だ!という認識は、
実は気付いている人は気付いているけれども、
一部の人たちは気付かないふりをしている。
それで逃げ切れるなら、それでもいいんだけど、
そうでない人はいつかはツケを払わないといけない。

オプションとして持っておくと便利、なのではなくて、
持っていないと即死の必須ツール。
ITリテラシ、英語力の他に金融リテラシも
これからはそういうものになると思う。

***

それはともかく、英語ができるようになりたいです。
今自分がどれくらいの英語力なのか客観的な指標が知りたくて、
しょーもないと思いつつTOEICの模試問題集をやってみたら
690点でした。(listening325, reading365)

ああ、恥ずかしい。
見ないで・・・。

博士課程の学生をやっていて思うのは、
いまのこの英語力は博士の学位をとるにあたって
致命的であるということ。

英語なんかできなくたって、
きちんと物事を考える能力があればなんとかなるはず!
と思って英語の勉強をしなかった学部時代。
その考えは甘かったというのが偽らざる今の心境。

確かに、博士の学位をとるということにおいて
英語の能力は本質的な能力ではないかもしれない。
だけど、オプショナルな能力=あれば便利な能力かというと
そうしゃなくて、実は運転免許のようなものだ。
なかったら運転すらできません。


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Rhythms of the brain

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G. BuzsakiのRhythms of the brain、読んでます。

「りずむすおぶざぶれいん」は言いづらいし、
「脳のリズム」と日本語訳しても通じないので、
「ブザキ読んでます」という。

神経科学の標準的な教科書である「カンデル」も
本当は「Principles of the Neural Science」という名前があるけど、
「神経科学の原理」とか「神経科学入門」とか訳しても
いまいち雰囲気でないし、そもそも同名の本は他にもあるので、
結局「カンデル」と呼ぶことになるわけで。
(あ、カンデル翻訳サイト「カンデル読んでる」は細々更新中)

「ブザキ読んでるんだ」
「カンデルに書いてあったよ」

いつか、人名がその本のリファレンスとして機能するような
大著を書いてみたいっすね。
ええ。

「もう"ノザワ"は読んだかい?」
「うん、あの表紙、いいよね」
とか。

***

ブザキは3人で輪講形式で読んでいて、
3/11に第一章を読み始めてから、
やっと、7章まできた。
当初は、一章ごとに担当者を決めて、
二週に1回のペースで開催するつもりだったのだけど、
なかなか進まなくて、3〜4週で一章のペース。
オレが担当した6章はまる一ヶ月かかった。

普段の輪講と違うのは、
担当者以外も当該の章を読んでくるという形式にしたこと。
そして、一行一行、「これってこういうことだよね?」と
3人で確認しながら読み進めていく。
予習しないで担当者の話を聞く、形式だと
、 分かった気になって通り過ぎてしまうことが
往々にしてあって、
それを阻止するためにこのような形式にした。
全員が同意するまで
「だからこういう意味でしょ」
「えー、でもじゃあここにこう書いてあるのは?」
「うーんそれは○△×で・・・」
と執拗に続ける。

こういう形式の輪講を大人数でやると収集がつかなくなると
思ったので、
3人という少人数でやっている。
普通の輪講だと、人数が増えるので1人当たりの負担は減るけど、
この場合は、人数が増えても負担は変わらない。

***

このブザキの本は各所で絶賛されてて、
いい本なんだと思う。

が、個人的には
「んんんんー、いい、本、だ、よ、なぁ?」
という感じ。

そもそも
いい本かそうでないか、を判断できるレベルには
まだ至っていないと思う。
英語読解能力にしても脳科学リテラシにしても。

いや、でも、まあ、うん、面白いです、この本。

この本は一体、何の本といったらいいのだろう。
「脳のリズム」といわれても、なんか漠然としている。
リズムって聞くと、睡眠のサイクルとか?
サーカディアンリズムとか?視交叉上核とか?
あるいはα波とかγバーストとか、脳波の話?

とりあえず、そういう話は全部今のところ出てきている。
けど、そういうことがこの本の本質じゃなくて、
もっとメタな視点からも脳というシステムの本質に関して、
突っ込んでて、ギリギリ勇み足で、時々ぶっ飛んでて、
だけど、100%真剣で本気な議論が繰り広げられている。

複雑系の話やニューラルネットやスモールワールドネットワークや
tensegrityやバックミンスター・フラー。
wetな神経生理学的アプローチだけでなく、
力学系やコンピュータ科学、グラフ理論の話なども交えて、
脳を解体する方向からだけではなく、
脳を構築する方向からの議論もしている。
こういう議論をここまでタフにしている人は
なかなか見あたらないと思う。

個人的に興味がある、神経回路の自発発火の話もでてきた。
自発発火の問題について、答えがでているわけではないけれど、
ノイズと自発発火の関係が堂々巡りしている感じが書かれていて、
やっぱり同じところでみんな悩んでいるんだというのが、
わかってホッとした。

いま読んでる7章は脳のdefault stateとして睡眠状態を扱っていて、
なかなか面白い。
視床のコネクティビティについて書いてあって、
なかなか勉強になる。
睡眠に関してにわかに興味がでてきた。

今後、できるだけ、この本の感想やまとめなどを
書いていこうと思います。

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libertarian, sceptic, compatibilist

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まだ読み進められなくて、相変わらず一章をうろうろ。
でもこの本で語られている考え方が頭の中でまとまってきた。

***

自由意志と決定論は両立しないものだと
考えられてきたし、
直感的にはそう考えるのが自然だろう。

われわれがどのように振る舞うかということは
われわれの意志にもとづいていて、
その意志は何者にも束縛されない。
それが直感的に浮かぶ自由意志のイメージだろう。

しかし、そこに17世紀に誕生した近代物理学が立ちはだかる。
すべての物質の振る舞いは、
究極的には方程式で記述することができ、
ある時刻の物質の状態がすべてわかれば、
その後の時間発展はすべて方程式によって
演繹可能であるというのが決定論である。

意志を生み出す臓器として現時点でもっとも確からしいのは
脳であり、脳もまた物質によって構成されている。
決定論が成立するならば、
意志を生み出す臓器である脳の振る舞いが記述できたとときに、
われわれの意志というものも予測可能になってしまい、
もはや自由とは呼べなくなってしまう。

量子力学によると物質の運動量と位置を同時に決定することは
できず、運動量を精確に測定しようとすれば位置の精確さが
犠牲になり、位置を精確に測定しようとすれば
逆に運動量の精確さが犠牲になり、
両方を同時に一定以上の精確さで決定することはできない。
これによりミクロな世界における決定論は崩れ去るのであるが、
世界を決定的に記述することができないということは
自由意志を救うであろうか?

物理過程が非決定的ならば、
物事の振る舞いは何によって決まるのか。
木から落ちる葉っぱの振る舞いや、
つま先で蹴った石ころの行き先。
それらは偶然そのような軌跡を辿っただけなのだろうか。
それならば意志をもって行った"つもり"のあなたのその行為も
偶然にそのようになっただけということになりはしないか。
偶然になったことを意志と呼んでいいのか。
そしてあらかじめ決めることの出来なかったその行為は
自由であるのか。

自由意志と決定論が両立しない(incompatible)とする立場をとる人は、
結局次のどちらかになってしまう。
決定論を認めて、自由なんてないとする懐疑論者(scepticism)。
決定論を認めず、我々はあくまで自由だと主張する自由論者(libertarianism)。
そうして、自由論者は風に舞い上がる砂の粒の振る舞いと
コーヒーカップに手を伸ばすという意志を持った行動のうち、
後者が真に自由な行動であることを説明できなくてはならない。
おそらく、誰も出来ないだろう。

Libertarians must be able to explain how the causally undetermined
events that they see as free actions really that: genuine free actions.
They must explain, despite of its being to some degree of chancy whether they occur,
these purported free actions differ from movements, such as reflexes and twitches,
that are blindly random.
(うまく表現できないので抜粋)

だから、現代の哲学者のほとんどは、懐疑論者になるか、
そもそも自由意志と決定論が両立"しなくはない"とする
両立論者(compatibilism)の立場をとる。

  • incompatibilism
    • sceptism
    • libertatianism
  • compatibilism

***

libertarian、libertarianismという言葉遣いがよく分からなかったんだけど、
incompatibilismな立場においてややナイーブに自由意志が
成立しうることを主張する、ようなスタンスのことかと思う。

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short song

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小説  マンガ

帰り道、ふと立ち寄った本屋で買ってしまった。
「ショートソング」

もともとこの小説を小手川ゆあさんが
漫画化したものを読んで気に入っていて、
原作の小説を読みたいと思っていた。

「ショートソング」というタイトルが
あまりにストレートすぎて
灯台元暗し気味に
(タイトルの意味に)
気付かないのだけど、
これは童貞とプレイボーイの二人が織りなす
短歌の物語。

ともかく、出てくる短歌が切れる切れる!

:何もないところで転んだ時とかは何を恨めばいいのでしょうか

:遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった

:先っぽをしゃぶってもらう時にだけ愛されてると実感できた

:好きだった雨、雨だったあの頃の日々、あの頃の日々だった君

:それはもう「またね」も聞こえないくらい雨降ってます ドア閉まります

ここらへんでやめとこう。
あでも、もうひとつ。

:だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし

読書に熱中したせいで、
乗り換えの旗の台の駅を乗り過ごし、
反対方面の電車に乗ったら今度は戻りすぎで乗り過ごし、
さらに菊名でも乗り過ごして妙蓮寺までいって、
帰るのに1時間ぐらい長くかかった。

片方の主人公の妹の名前が若芽という。
若芽という名前は
漢字のバランスはいいのだが、
音にすると「ワカメ」だ。
ワカメという音は名前にしてはかなり不自然でダサい。
作者はなんでこんな名前を付けたんだろうと
しばらく不思議に思い、
そもそも若芽は「わかめ」とは読まないで
別の音で読ませるのではないかと
いろいろ思案をおもいめぐらせたが、
兄が「克夫」という名前なのに気付いて合点がいった。

カツオとワカメか!
あの日曜七時におなじみの
日本一有名な兄弟の妹と弟か!

わかったら
思わずにやけた顔になり
近くに立ってた人にみられた

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subliminal mind

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重い体をひきずって、CSL。

学会発表間近の後輩がテンパりながらプログラミングをしている。
サブリミナルに刺激を呈示したいのだが、
刺激呈示時間を10ミリ秒にしても見えてしまうのだという。
サブリミナルというのは「閾下」という意味で、
悪名高いサブリミナル効果で有名だ。
サブリミナル刺激とは「何かを見た」
という感覚を生じさせないほど
短時間で些細な刺激のこと。

映画のフィルムの中に3ミリ秒だけ
「コーラを飲もう」「ポップコーンを食べよう」
というメッセージを入れて上映したところ、
コーラの売り上げが57%、ポップコーンが18%伸びたらしい。

サブリミナルに関しては、
自分でも実験でやってみようと思ったことがあって、
だけど、うまくいったことがない。
プログラムを見せてもらいながら
一緒にあーだこーだ言っていたけど
結局、わからずに時間切れになった。

以前サブリミナル刺激を実験に組み込もうと思って、
参考にした論文がこれ。

[PDF]Cerebral mechanisms of word masking and unconscious repetition priming

多数の正方形が様々な角度と位置で同時に表示され、
時間経過とともにそれらの配置は変化している映像の流れの中に、
一瞬だけ文字の情報が入るというもの。

再現しようと思ったけどうまくできなかった。

ずっとパソコンからモニタに出力する際に何かしら
不具合が起こっているのではないかと思っていたけど、
いま軽く調べたらリフレッシュレートとフレームレートを
勘違いしていたことに気付いた。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2299974.html
http://yuiricher.blog42.fc2.com/blog-entry-44.html
http://e-words.jp/w/E59E82E79BB4E8B5B0E69FBBE591A8E6B3A2E695B0.html

リフレッシュレートとフレームレートはイコールではない。
うーん、でも、リフレッシュレートはフレームレートの上限を制限する
ものではあるのか?


リフレッシュレートが100Hzの場合、
100fpsより大きいフレームレートは実現できないし、
フレームレートの取り得る値も制限がかかる。
1描画1フレームで100fpsが実現できるが、
2描画1フレームだと50fpsになる。
3描画1フレームだと33.333fpsになり、
4描画1フレームだと25fps。

100/n fps (n=1,2,3, ...)というフレームレートしか実現できない
ということか?

帰ってきて、サブリミナルといえば、と思ってこの本を引っぱり出した。


下條信輔さんの「サブリミナル・マインド」

上で述べた映画館の話はこの本から引いた。
あの話の出典はヴィカリイ 1957年らしい。
(そしてそれ以上の情報が載っていない。)

映画のフレームレートは24fpsか30fpsらしいのだが、
サブリミナルとして挿入された映像は3ミリ秒らしい。(p.142)
どうやって挿入してるんだ?
30fpsでも1フレームあたり30ミリ秒以上かかる。
挿入された映像は30msの間違いじゃないのか?

周辺のページをパラパラめくっていて、
刺激をうまく閾下で呈示できないのは、
そいういう技術的な問題じゃなくて、
もっと呈示する刺激に依存した問題なんじゃないか
と思い始めた。

(p.141)
「また図形や単語をごく短い時間
(たとえば百分の一秒)呈示してから、
より強い刺激(マスク)を呈示すると、
最初の図形や単語は文字通り
「覆われて」見えなくなります。
これを「逆行性マスキング」と呼びます。」

と書いてあって、
サブリミナル刺激では、
サブリミナル刺激とマスク刺激のsaliencyの違いが
重要なのでは、
と思った。

****

下條さんのこの本をパラパラめくって、
あることに気付いた。
実は持ってるだけでこの本読んでなかったのだけど、
「サブリミナル・マインド」というタイトルから
サブリミナル効果に関することばかり書いてある本だろう
とばかり思っていたら、
全然そんなことなくて、
視覚心理物理のハードコアな部分がキチンと書いてあるし、
「悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか?」という
情動の認知科学では定番の話や、
ガザニガの分離脳の話、
今でいうニューロエコノミクス系の話や、
リベットの実験が絡んだ自由意志の議論などが書いてあって、
かなり良質な認知神経科学の教科書になっている。

暇を見つけてページを繰ろうと思う。

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Part time job as escape

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昨日は、またお台場に出掛けていった。
前回は長沼さんと池上さんの対談だったけど、
今回は長沼さんと武者小路千家の千宗屋さんとの対談だった。

長沼さんブログ
炎と酒の夢日記 2008年05月19日 畠山重篤さん 千宗屋さん


「へうげもの」を読んでから、茶道というものに対する見方が
劇的に変わって、茶道というものに興味を持った。
それで今回、この異色の組み合わせの対談に参加した。

千さんに「茶道におけるお作法やお点前と合理性の関係」について
質問したらきちんと答えてくださって、
とても好感がもてた。

***

今日はまたバイトでした。
取り組んでいたひとつの仕事が一応完成して、
次からはまた新しい仕事につく。

バイトが面白い。
だけども、バイトは自分にとって一種の現実逃避だったりする。

オレの本業は自発性の研究であるが、
その本業が一向にうまくいってない。
「何かをやっている」という感触が全然なくて、苦しい。
何かやってみても手応えはないし、
「これをやればいい」みたいな見込みも持てなくて、
五里霧中で徒手空拳で四面楚歌。

バイトでは「何かをやっている」という手応えがすごくある。
プログラムを書けば動くし、
動かなくてもエラーを解析して修正するし、
ひとつひとつのプログラムが組み合わさってあるシステムになって、
いままでなかった「モノ」ができる。

おまけにプログラムに関する知識をぐんぐん吸収している感覚が
とても心地よい。
吸収した知識をもとにさらに手の「稼働域」が広がる。
いままでできなかったこと、難しかったことができるようになって、
自分が自由になっていく感覚。
そういう成長している手応えが堪らない。

現実逃避にしちゃあ、
時給が発生していて生産的なのであるが、
その時間を研究にあてて未来の自分に対する"投資"にした場合、
その時給と投資どっちが価値が高いか?

そんなのは投資に決まっているわけですが。

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秋山兄弟の豪胆さ

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ひたすらゴロゴロしたこないだの日曜日。
体力と気力の回復につとめる。

***

司馬遼太郎の坂の上の雲、一巻を読み終わった。
かなりおもしろい。

明治初期の秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟と正岡子規のお話。
江戸から明治に変わって、激動の時代。
人は何かをして身を立てようとする。
それは今も変わらないのだと思う。

秋山兄弟の豪胆さが読んでいてすごく気持ちがいい。

今年の読書3冊目か?
http://melonsode.fem.jp/fs/log/2008/01/20080105.html
http://melonsode.fem.jp/fs/log/2008/01/20080107.html



***

それから、こちらはモーニングで連載中の「へうげもの」というマンガの
一巻から五巻までを読んだ。
これも抜群におもしろい。

戦国時代、織田信長の本能寺の変の少し前から始まる。
主人公は古田織部(左介)と千利休(宗易)。
数奇物(すきもの)のお話。

数奇物とはスキ者のことではなく、
美しいもの、洒落たものを愛でる者のことである。

これを読んで豊臣秀吉のイメージが一変した。
オレの中には昔大河ドラマでみた
竹中直人演じる秀吉のイメージしかなかったのだが、
これを読んでその狡猾さ、貪欲さ、冷酷さ、を備えた新たなイメージができた。

「侘び」の概念や、千利休がやったこと・やろうとしたことの壮大さも
これをよくとよくわかる。
いままで千利休をお茶をやったひと、程度の認識しかなかったけれど、
千利休が茶の湯を通して成そうとしていたことは
世界を変えるようなすごいことだった。



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