カオスと偶然の数学
アイヴァース・ピーターソン著
ハエの自由意志の論文としてちょっと話題になった、
PLoS ONE: Order in Spontaneous behaviorという論文に、
レヴィ飛行(Levy flight)とかフラクタル秩序(fractal order)という言葉がでてくる。
(但し、論文中には自由意志という言葉は1回も出てこない。)
カオスとか力学系の世界で使われる言葉だろうなというのはわかるのだけど、
読んでいてもピンとこなかったのでググり、
森山和道さんの書評で、この本が引っかかった。
全部読んだわけじゃないけど、
自分の研究に関係ありそうなところをメモ。
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レヴィ飛行
無限小から無限大まで歩幅が変化して
その平均距離や特有の距離が計算できないようなランダムウォーク。
レヴィのランダムウォークはさまざまな歩幅で歩き回り、
大きな歩幅で歩く確率は小さな歩幅で歩く確率よりも
比例して低くなる。
飛行距離を横軸、発生確率を縦軸にとったときに、
power-lowになっているようなランダムウォークか?
ブラウン運動のようなランダムウォークは歩幅はいつも一定。
短い飛行を間にはさんだ長い飛行からなっていて、
ある部分あるいはその中の一部分を拡大しても、
元の尺度でのパターンに非常に似ているパターンが必ず現れてくる。
このことから、レヴィ飛行はフラクタル幾何学であることがわかる。
この本の中には、
アホウドリの飛び方がレヴィ飛行になっていると書いてあるんだけど、
最近の研究でそうではないことがわかったらしい。
http://d.hatena.ne.jp/tatsuamano/20071115
Levy flight in wikipedia
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近似エントロピー(approximate entropy)
一定の間隔で観測されたデータが決定論的な系から得られたものなのか、
またはランダムな系から得られたものなのかを区別する新しい方法のひとつ。
近似エントロピーは不規則さを測る方法のひとつ。
数列のランダムさを特徴付ける。
この方法は、数列がどのように生み出されたかなど、課程に関する
どんな仮定にも依存していないので、様々なデータに応用できる。
例えば、データが二進数で表されていたとしよう。
この場合には、三つの連続した数字からなる8つのブロック
ー000,001,010,011,100,101,110,111ー
がそれぞれ与えられた列の中にどのくらいの頻度で
現れるかが問題となる。
八つのブロックが全て等しい割合であらわれた時に、
もっとも不規則であると考えられる。
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それって、オレが修論で計算したエントロピーと近い。
修論では、試行間の差分の分布が偏りがある分布になっているかを、
フラットかを分布のエントロピーを計算することで
行動の時系列がランダムかどうか評価した。
だけども、
Approximate Entropy (ApEn)
by George B. Moody
この記事をみると、上記の説明が本当に正しいのか
疑わしい。
この近似エントロピーなる量ApEnは繰り返しのパターンがでる回数を
おもに評価しているらしい。
(A time series containing many repetitive patterns has a relatively small ApEn)
ApEn( S(n), m, r )
時系列S(n)があって、mは連続する何試行をひとつのブロックとしてみるかであり、
rはどれぐらいの差があっても同じと見なすか。
んで、・・・いろいろ計算して、・・・
すごく大雑把にいうと、
まず、mで同じと見なせるブロックの和を数えて、
次にm+1にしたときの同じと見なせるブロックの和を数えて
両者が近ければ近いほどエントロピーは小さくなるという
論法らしい。
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ローレンツと自由意志
「ブラジルでのチョウの羽ばたきは、
テキサスで竜巻を起こすか?」
ローレンツの心にあったのは、
もしチョウの羽ばたきで竜巻がおこせるなら、
それが別の要因でおこる竜巻を防ぐこともあろう、
ということだ。
ある攪乱はたいてい別の攪乱で相殺されるのである。
とはいっても、カオスは存在する。
それはランダムなように見えるが、
コントロールすることが出来る。
初期状態への鋭敏性の効果は、
スタジアム型のビリヤードや、心臓や電気回路など
多くの状況で観察できる。
重要なのは、これらの事例を、多くの独立した作用因が働いて
結果が完全にランダムであるような現象から分離することである。
「知的な振る舞いによって生み出される場合を除いて、
全ての不規則性はランダムではなくカオス的なのだろうか?」
彼はこれを肯定する。
「わたしは、その見かけのランダムネスが基本的に生命の行動に
依存していない、他の現象の多くも、同様に分析できるのではないかと
考える」とローレンツは結論づけた。
同時に、彼は、宇宙の運命は全ての生命の行動も含めて
あらかじめ決まっているという厳格な決定論の概念を否定している。
「したがって、自由な意志を心から信じなければならない」と彼は言う。
「もし自由いない志が現実に存在するならば、
われわれは正しい選択を行えることになる。
もし存在しなくても、間違った選択をすることはない。
自由な意志がなければ、どんな選択も出来ないのだから。」
決定論と予測可能性は同義ではない。
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・・・よくわからん。訳が悪いのだろうか。
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ランダムネス
「純粋に数学的な立場から言うとランダムネスの概念は極めてとらえにくく、
その存在すら怪しくなるほどだ」と、
数学者マーク・カッツは1983年に述べていて、
状況に応じて異なった解釈をすることに批判的である。
モノーは「偶然と必然」のなかで、
「操作する上での不確定性」と「本質的な不確定性」とでは
差があるとほのめかし、
例として前者に放射性物質の崩壊、
後者に屋根からレンガが落ちて死んだ医者の数をあげた。
カッツはそうは思っていない。
馬に蹴られて死んだプロシア兵の数の大規模なデータは存在し、
放射性物質の崩壊する原子の数のデータと比べて
二つの事象の分布はとても似ている。
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自発性の問題の裏返しとして、
何をランダムだと呼ぶか?という問いはあるかもしれない。
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その他、
バックミンスター・フラーの作ったgeodesicドームの構造の話とか、
振動の同期を相転移に例える話なんかがあって、
いま読んでいるブザキのRhythms of the brainと
話題がかぶっている。
学部時代に数学科の学生に混じって聞いた数学基礎論という授業で、
ラムゼーの定理というのをやった。
「無限集合があって、
すべての元からすべての元へいくように赤か白の糸でつなぐとする。
この場合、赤い糸としつながっていないような元が必ず存在する
ということを証明してごらん」、と先生に言われて、
皆目見当がつかなかった。
いや、無限集合とか赤と白の糸でつなぐとか、そういうキーワードは
覚えているんだけど、実際、そういう問題だったかどうかは
あやしくて、一本だけ白であとは赤、とかそういう問題だったかもしれない。
ともかく、そのわけのわからなかったラムゼーの定理がでてきて、
無限集合論の分野の話だと思っていたら
グラフ理論の話の背景になっているのだということを知って、
知的な興奮を覚えた。
ラムゼーの定理 in Wikipedia
これよんでも全然わからん。
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