今日は雨だった。
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自発性の問題を考えるといつのまにか自発性が揮発してしまう。
ある行動を見たときにそれが「自発的」に生じたと考えて、
それがどのようなメカニズムで生まれたものなのか解明しようとする。
そのメカニズムが解明されてしまって、
例えば、微分方程式のようなものでその行動が生じる前後の
行動の時間変化を書き表すことができてしまったとする。
そうすると結局はある規則に従ってその行動が生じていただけ
ということになって、
そもそもそのようにして生じた行動を「自発的」と呼ぶものなのか?
ことになってしまう。
それは温度という量は無数の分子の統計量なのであって、
分子1個を取り出してしまうと、
もはやどこにも温度などという量はないのと似ている。
花見の時に塩谷さんと話していたときに、
しきりに「それを自発的だと思うのは誰なの」と聞かれたのだけど、
「自発性」というものはそれを認識する主体抜きには
考えることができない。
自発性を認識する主体は、
何をもってしてある事象を自発的と呼ぶのか。
自発性の問題を考えると言うことは、
それを考えることなのかもしれない。
ランダムに振る舞うものは自発的であるとは言わないし、
レギュラーに動くものも自発的だと言わない。
あるregularityから逸脱したとき、
往々にして自発的と呼ぶのではないか。
それはcontingencyとはどう違うのだろうか。
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やっと生活にゆとりが出てきて、
自炊をする気が起きた。
でも、あまりわずらわしいことはしたくなくて、
結局 米を炊いただけでおかずはお惣菜屋さんで買ってきてしまった。
今日は雨とはいえ、シャツの上にコートを着ればしのげる寒さだった。
もうセーターはいらないぐらいの気温だ。
それでも、米を研ぐときの水の冷たさはまだ冬のそれだった。