フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

自発性: 2008年アーカイブ

like an abrupt light in the dark

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いま、LIbetのマインドタイムを読んでいる。

下条さんによる和訳 /原著

自分の自発的行動が起こるときのイメージは、
暗闇の中でぽっと明かりが灯るような感じで衝動・想念・意図が生まれて、
素直にそれに従う感じ。

その場合、ぽっと灯る感じと素直に従う感じが大事で、
「Aにしようか、Bにしようか、どっちにしよう?」
「するか、しないか、それが問題だ」
というような逡巡は全然ない。

修論の時にやったタスクで被験者にやって欲しかったのは、
前者のような行動なのだけど、
やはりそのような統制は難しかった。

そこには時間的な制約があったといのも大きいけれども、
ぽっと灯る感じと逡巡する感じは、
そうしたいと思ったときにボタンを押してくださいという教示では
どちらもOKになってしまう。

結局、その両者を分離して、前者だけを起こすようなインストラクションを
考えあぐねて1年経ってしまった感じだ。

Libetはそこらへんのところをどう考えていたのだろう、と
気になって読んでいくと、やっぱりLibetもそこは気にしていて、
やはりLibetの実験は僕がそうしたかったように、
ぽっと明かりが灯る感じの行動をして欲しかったらしい。

Our experimental objective was to study freely voluntary acts, performed with no external restrictions as to when to act. In most of our series, each of forty trials, there were no reports of preplanning by the subjects.

For some series of trials the subjects reported having preplanned a range of clock time in which they would act, in spite of of our encouragement not to do that.
(Mind Time, P129-130)

当時も今も、EEGで「行動をしようかどうか逡巡しているときの脳活動」と、
「行動する意図が生まれて即座に行動したときの脳活動」を
区別できるだろうか。

時間制限がある問題に関しては、
Libetの先人であるKornhuber とDeeckeの準備電位の実験で
6秒以内にアクションを起こさなければいけないという
制限があるらしい。

Their subjects knew they should perform the act within 6 sec, and that may have encouraged some preplanning of when to act. Our subjects had no such restriction.
(Mind Time, P130)

ちなみに、あらかじめ計画して行動した場合、準備電位は-800msから-1000ms行動に専先行する。

confidence unreasonable

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ふと気を緩めると、すべてが瓦解しそうになる。
根拠のない自信だけを拠り所にして立っている。
あまりにも性急に、背負いすぎだと言われても、自分もそう思う。

目を閉じて、また開くだけ。
それぐらいの簡単さで
世界をまっくらにすることもできる。
だから、また閉じてまた開いて、明るい世界を見るようにする。

それでも今日はなんだか、そうすることがとても難しかった。
けれど、明日になれば、また、大丈夫でしょう。

いまだかつて、こんなにやる気になっていることはない。
でも、功を急いではいけない。
それでも糊口をしのがなければならない。

自由意志の問題は、自分の中では、答えがでていて、
それは幻想なのだ。
ただ、そういう「感じ」がしているだけなのだ。
でも悲しむ必要はなくて、
その幻想、その「感じ」だけで十分で、ちゃんと我々は自由なのだ。

自由というのはそういう感じを抱けることを指すのだ。
微分方程式で厳密に決められていても、
確率的にしか決まっていない予測のできないものであって、
それがどっちであるかということと自由は関係がない。

我々の次の瞬間以降の行動が、すべてこの瞬間に記述できたとしても
やはり我々は自由である。

未来に我々がどう行動するか分からない限り、
それは決まっていないのと一緒である。

未来の行動が決まっていようがいまいが、
「自由だ」という感触さえあれば、それでよい。

と、いまそう思ってしまっているので、
「自由な感じ」というものを生み出している機構がどのようなものかを
考えた方がいいのではないかという気になっている。

そもそも、そのような「感じ」をうむ機構は
主観的意識体験(意識)を生じさせている機構によって
生じているはずである。
意識が生じるメカニズムを知ることなしに、
「自由な感じ」を生み出しているメカニズムを
調べることができるのか?

修論の時にやりたかったことが、
やっとこさ、自覚できて、
さらに言語化して表現する勇気がでてきた。
厳密には、当時もそれなりに自覚はあったのだけど、
言語化して表現する"勇気"がなかったのだとわかってきた。

つっ、と生まれる衝動、あるいは意図、あるいは志向性について考えていた。
それは、

「AにするかBにするか、うんBにしよう」

というように意識の俎上で判断がなされ、
Bという出力が出てくる過程とは異なっていると思っていた。
しかしやはり、それらをempirialに区別することができない。

「AにするかBにするか、うんBにしよう」←[1]
「・・・・・・・・・・、あ、Bしよう」←[2]

この両者の本質的な差異は何か?
あるいは本質的には違わないのか?

Bというdecisionをする前に、その決定に関する
意識的な逡巡の有無が違いと言えば違いである。
だけど、それは本質的な差なのか?

そのためには、脳と心の関係について嫌な言明をしないといけない。
物質である脳がその複雑な活動によって意識的体験を
なんらかの方法で生み出している。
これは、コンセンサスが得られているはずだ。
では、意識的体験が脳活動に影響を及ぼす力を持っているか。
ここは正直わからない。
わからないけれども、YESと答えると怪しい宗教みたいになってくる。
だから、脳科学的なpolitically correctはNOである。
すなわち、意識的体験は脳活動に影響を及ぼさない。

そうなると、 [1]と[2]に本質的な差はないことになる。
何故なら、[1]のようにBをするという判断をするのに、
その前のAをしようかBをしようかという意識的体験が
あろうがなかろうが、関係ないからである。

それで、あのとき、オレが捉えたかったのは、
つっと湧き起こる感情についてである。

感情が、つっと湧き起こる時刻およびその内容は
当然その前に意識的には規定できない。
それは必ず無意識のプロセスによって、
そして到底意識化されない膨大で複雑な神経活動によって
生成される。

無意識というのは意識化されていない脳の神経活動のすべてのことで
それ以上でも以下でもない。

結局、あるイベントが起こる機序は到底わからなそうだから、
その発生確率を見積もるようなことをすればいいのか。

でも、あのトライアル数、あの制限時間で
分布の形の推定を統計的に十分な精度で行えるとはとても思えない。
では、どの程度だったらよかったのか?
それを正確に計算したあとに、追試を行うのはどうだろうか。

ただ、もっとも近い分布が分かったとして、
それはやっぱり自由とは関係ない。
じゃあ、なんななんだ?


R and RNG

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朝、会場に行って何食わぬ顔で会場内を物色する。
く、くそう!
すべての部屋の入り口に、係員が立っていやがる!
あきらめて当日参加の申し込みをした。

まあでもそれはいい。
問題はこれだ。

nisshinbook.JPG

14,000円がこれに化けたとでも言うのかああああ
かさばりすぎ。

* * *

午前に「Rによるデータマイニング入門」というワークショップを聞き、
午後に乱数生成課題に関するワークショップに参加した。

Rというフリーの統計解析ソフトのことは知っていたけど、
Octaveを試したり、Matlabを試したりするので精一杯だったので、
まだ使ったことはない。

で、今回のRのワークショップでかなり使ってみようかなという気になった。
R-Tips セットアップ
きちんとMac版もある。

本当は基本的な統計処理の話を聞きたかったんだけど、
データマイニングがテーマということで
SOMやベイジアン的なルール探索の方法などが扱われた。
しかし、SOMができるのか!と驚いた。
SOMってMatlabでも別にtoolbox買わないとできないんじゃない?
実はRってすごいんじゃない?

話を聞いていてわかったのは、心理学科のような心理学専門のコースには
「心理統計」という科目があるということ。
そこで、心理学で用いられる統計理論とそれを行うための
ソフトウェアの扱い方を学ぶらしい。
なんと!
心理統計はからきしだめなので、
そういう授業にもぐりに行った方が効率よく勉強できるかもしれない。
そういう授業で使われているのは大抵SPSSというソフトであるという。

SPSSも名前だけ知っていて使ったことはない。
RはフリーソフトだがSPSSは商用ソフトでけっこう高価らしい。
討論者の一人が、
「教授会で心理統計の授業では
SPSSはやめてRを使いましょうと提案するのだが、
教授陣がSPSSしか使えないという理由で却下されてしまう」
ということを話していた。
また、
「Rはオブジェクト指向の現代的なプログラム言語であるのに、
SPSSはオブジェクト指向であるどころか構造化言語ですらないのに、
いまだに圧倒的にシェアがナンバーワン」
という内容のことを言っていた。
そうなのか。がんばれR。負けるなR。

Octaveでもある程度統計検定の関数は備えている。
GNU Octave: 25.2 検定
T検定、F検定、χ自乗検定、コルモゴロフ-スミルノフ検定、
ANOVA、U検定、ウェルチ検定など。
でも、いまいちOctaveのこれらの統計検定関数はあぶなっかしい、気がする。

でも、Rはもともとが統計に特化したソフトだから、
安心して使える、気がする。

* * *

午後の乱数生成課題のワークショップは、
聴衆がまばらで、これは外したかなぁと思ったが、
日本の乱数生成課題の大家的な先生のお話が聞けて、
とてもよかった。
大家、というかたぶんその人たちのグループ以外で
乱数生成課題をやっているところはないんだと思うけど。
海外でもRandom Number Generation Task(RNG Task)はほとんど
やられていなそうだし。

それでも、RNG課題がワーキングメモリーを調べるのに
有力な手法であるとか、
RNG課題をするためのわりと厳密なモデルができていることとか、
ポアソン分布よりも弱い伝搬のあるデなんとかかんとか分布に
よく合うとか、そういう話が聞けて、勉強になった。

帰ったら乱数生成課題をやろうと思う。

* * *

夕方の講演はめぼしいものがなかったので宿に戻った。
慌ただしく昨日は入れなかったお風呂に入り、
コインランドリーで洗濯をした。
着替えは一日分しかもってきてなかったりする。

SHYHbed.JPG

この宿(札幌ハウスユースホステル)は
建物の古さは目立つものの、
掃除は行き届いてけっこう衛生的なので目をつぶることができる。
試してみたら無線LANが入ったし、100円のコインロッカーもあるし、
一泊3150円だから、けっこういいかもしれない。

しかし、北大を歩いていたら芝生があちこちにあって、
野宿できそうだなーとか思ってしまって、
そう思うと3150円はやはり高い気がしてきたのだった。

* * *

夜は一人でスープカレー。
孤独が身に沁みました。

soupcurry.JPG

libertarian, sceptic, compatibilist

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まだ読み進められなくて、相変わらず一章をうろうろ。
でもこの本で語られている考え方が頭の中でまとまってきた。

***

自由意志と決定論は両立しないものだと
考えられてきたし、
直感的にはそう考えるのが自然だろう。

われわれがどのように振る舞うかということは
われわれの意志にもとづいていて、
その意志は何者にも束縛されない。
それが直感的に浮かぶ自由意志のイメージだろう。

しかし、そこに17世紀に誕生した近代物理学が立ちはだかる。
すべての物質の振る舞いは、
究極的には方程式で記述することができ、
ある時刻の物質の状態がすべてわかれば、
その後の時間発展はすべて方程式によって
演繹可能であるというのが決定論である。

意志を生み出す臓器として現時点でもっとも確からしいのは
脳であり、脳もまた物質によって構成されている。
決定論が成立するならば、
意志を生み出す臓器である脳の振る舞いが記述できたとときに、
われわれの意志というものも予測可能になってしまい、
もはや自由とは呼べなくなってしまう。

量子力学によると物質の運動量と位置を同時に決定することは
できず、運動量を精確に測定しようとすれば位置の精確さが
犠牲になり、位置を精確に測定しようとすれば
逆に運動量の精確さが犠牲になり、
両方を同時に一定以上の精確さで決定することはできない。
これによりミクロな世界における決定論は崩れ去るのであるが、
世界を決定的に記述することができないということは
自由意志を救うであろうか?

物理過程が非決定的ならば、
物事の振る舞いは何によって決まるのか。
木から落ちる葉っぱの振る舞いや、
つま先で蹴った石ころの行き先。
それらは偶然そのような軌跡を辿っただけなのだろうか。
それならば意志をもって行った"つもり"のあなたのその行為も
偶然にそのようになっただけということになりはしないか。
偶然になったことを意志と呼んでいいのか。
そしてあらかじめ決めることの出来なかったその行為は
自由であるのか。

自由意志と決定論が両立しない(incompatible)とする立場をとる人は、
結局次のどちらかになってしまう。
決定論を認めて、自由なんてないとする懐疑論者(scepticism)。
決定論を認めず、我々はあくまで自由だと主張する自由論者(libertarianism)。
そうして、自由論者は風に舞い上がる砂の粒の振る舞いと
コーヒーカップに手を伸ばすという意志を持った行動のうち、
後者が真に自由な行動であることを説明できなくてはならない。
おそらく、誰も出来ないだろう。

Libertarians must be able to explain how the causally undetermined
events that they see as free actions really that: genuine free actions.
They must explain, despite of its being to some degree of chancy whether they occur,
these purported free actions differ from movements, such as reflexes and twitches,
that are blindly random.
(うまく表現できないので抜粋)

だから、現代の哲学者のほとんどは、懐疑論者になるか、
そもそも自由意志と決定論が両立"しなくはない"とする
両立論者(compatibilism)の立場をとる。

  • incompatibilism
    • sceptism
    • libertatianism
  • compatibilism

***

libertarian、libertarianismという言葉遣いがよく分からなかったんだけど、
incompatibilismな立場においてややナイーブに自由意志が
成立しうることを主張する、ようなスタンスのことかと思う。

レヴィ飛行

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カオスと偶然の数学
アイヴァース・ピーターソン著

ハエの自由意志の論文としてちょっと話題になった、
PLoS ONE: Order in Spontaneous behavior
という論文に、
レヴィ飛行(Levy flight)とかフラクタル秩序(fractal order)という言葉がでてくる。
(但し、論文中には自由意志という言葉は1回も出てこない。)

カオスとか力学系の世界で使われる言葉だろうなというのはわかるのだけど、
読んでいてもピンとこなかったのでググり、
森山和道さんの書評で、この本が引っかかった。

全部読んだわけじゃないけど、
自分の研究に関係ありそうなところをメモ。

***

レヴィ飛行

無限小から無限大まで歩幅が変化して
その平均距離や特有の距離が計算できないようなランダムウォーク。

レヴィのランダムウォークはさまざまな歩幅で歩き回り、
大きな歩幅で歩く確率は小さな歩幅で歩く確率よりも
比例して低くなる。
飛行距離を横軸、発生確率を縦軸にとったときに、
power-lowになっているようなランダムウォークか?
ブラウン運動のようなランダムウォークは歩幅はいつも一定。

短い飛行を間にはさんだ長い飛行からなっていて、
ある部分あるいはその中の一部分を拡大しても、
元の尺度でのパターンに非常に似ているパターンが必ず現れてくる。
このことから、レヴィ飛行はフラクタル幾何学であることがわかる。

この本の中には、
アホウドリの飛び方がレヴィ飛行になっていると書いてあるんだけど、
最近の研究でそうではないことがわかったらしい。
http://d.hatena.ne.jp/tatsuamano/20071115

Levy flight in wikipedia

***

近似エントロピー(approximate entropy)

一定の間隔で観測されたデータが決定論的な系から得られたものなのか、
またはランダムな系から得られたものなのかを区別する新しい方法のひとつ。

近似エントロピーは不規則さを測る方法のひとつ。
数列のランダムさを特徴付ける。
この方法は、数列がどのように生み出されたかなど、課程に関する
どんな仮定にも依存していないので、様々なデータに応用できる。

例えば、データが二進数で表されていたとしよう。
この場合には、三つの連続した数字からなる8つのブロック
ー000,001,010,011,100,101,110,111ー
がそれぞれ与えられた列の中にどのくらいの頻度で
現れるかが問題となる。
八つのブロックが全て等しい割合であらわれた時に、
もっとも不規則であると考えられる。

---
それって、オレが修論で計算したエントロピーと近い。
修論では、試行間の差分の分布が偏りがある分布になっているかを、
フラットかを分布のエントロピーを計算することで
行動の時系列がランダムかどうか評価した。

だけども、
Approximate Entropy (ApEn)
by George B. Moody

この記事をみると、上記の説明が本当に正しいのか
疑わしい。

この近似エントロピーなる量ApEnは繰り返しのパターンがでる回数を
おもに評価しているらしい。
(A time series containing many repetitive patterns has a relatively small ApEn)

ApEn( S(n), m, r )

時系列S(n)があって、mは連続する何試行をひとつのブロックとしてみるかであり、
rはどれぐらいの差があっても同じと見なすか。
んで、・・・いろいろ計算して、・・・
すごく大雑把にいうと、
まず、mで同じと見なせるブロックの和を数えて、
次にm+1にしたときの同じと見なせるブロックの和を数えて
両者が近ければ近いほどエントロピーは小さくなるという
論法らしい。

***

ローレンツと自由意志

「ブラジルでのチョウの羽ばたきは、
テキサスで竜巻を起こすか?」

ローレンツの心にあったのは、
もしチョウの羽ばたきで竜巻がおこせるなら、
それが別の要因でおこる竜巻を防ぐこともあろう、
ということだ。

ある攪乱はたいてい別の攪乱で相殺されるのである。
とはいっても、カオスは存在する。
それはランダムなように見えるが、
コントロールすることが出来る。
初期状態への鋭敏性の効果は、
スタジアム型のビリヤードや、心臓や電気回路など
多くの状況で観察できる。
重要なのは、これらの事例を、多くの独立した作用因が働いて
結果が完全にランダムであるような現象から分離することである。

「知的な振る舞いによって生み出される場合を除いて、
全ての不規則性はランダムではなくカオス的なのだろうか?」
彼はこれを肯定する。

「わたしは、その見かけのランダムネスが基本的に生命の行動に
依存していない、他の現象の多くも、同様に分析できるのではないかと
考える」とローレンツは結論づけた。
同時に、彼は、宇宙の運命は全ての生命の行動も含めて
あらかじめ決まっているという厳格な決定論の概念を否定している。
「したがって、自由な意志を心から信じなければならない」と彼は言う。
「もし自由いない志が現実に存在するならば、
われわれは正しい選択を行えることになる。
もし存在しなくても、間違った選択をすることはない。
自由な意志がなければ、どんな選択も出来ないのだから。」

決定論と予測可能性は同義ではない。

---
・・・よくわからん。訳が悪いのだろうか。

***

ランダムネス

「純粋に数学的な立場から言うとランダムネスの概念は極めてとらえにくく、
その存在すら怪しくなるほどだ」と、
数学者マーク・カッツは1983年に述べていて、
状況に応じて異なった解釈をすることに批判的である。
モノーは「偶然と必然」のなかで、
「操作する上での不確定性」と「本質的な不確定性」とでは
差があるとほのめかし、
例として前者に放射性物質の崩壊、
後者に屋根からレンガが落ちて死んだ医者の数をあげた。

カッツはそうは思っていない。
馬に蹴られて死んだプロシア兵の数の大規模なデータは存在し、
放射性物質の崩壊する原子の数のデータと比べて
二つの事象の分布はとても似ている。

---
自発性の問題の裏返しとして、
何をランダムだと呼ぶか?という問いはあるかもしれない。


***

その他、
バックミンスター・フラーの作ったgeodesicドームの構造の話とか、
振動の同期を相転移に例える話なんかがあって、
いま読んでいるブザキのRhythms of the brainと
話題がかぶっている。

学部時代に数学科の学生に混じって聞いた数学基礎論という授業で、
ラムゼーの定理というのをやった。
「無限集合があって、
すべての元からすべての元へいくように赤か白の糸でつなぐとする。
この場合、赤い糸としつながっていないような元が必ず存在する
ということを証明してごらん」、と先生に言われて、
皆目見当がつかなかった。
いや、無限集合とか赤と白の糸でつなぐとか、そういうキーワードは
覚えているんだけど、実際、そういう問題だったかどうかは
あやしくて、一本だけ白であとは赤、とかそういう問題だったかもしれない。

ともかく、そのわけのわからなかったラムゼーの定理がでてきて、
無限集合論の分野の話だと思っていたら
グラフ理論の話の背景になっているのだということを知って、
知的な興奮を覚えた。

ラムゼーの定理 in Wikipedia
これよんでも全然わからん。

ひとりボーイスカウト

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日帰りで越谷に来る。
ひとりローバースカウト活動。

BS隊が使用している竹倉庫の修繕をするプロジェクトを
走らせていて、
今回は修繕作業をするための視察。
どんくらい倉庫はボロくなったかを確かめる。
まわりを取り囲む布はボロきれになっていて、
天井のブルーシートはほとんどがはげてベニヤが剥き出しになり、
おそらく雨が振ると中に水が入ってしまう模様。
帰りにホームセンターで修繕に使えそうな材料を物色した。
塩ビのナミイタが安いし、使えそう。

茂木さんにならって、今日の成果をここにかく。
たかが4行ですが。

When we investigate the spontaneous action, a mechanism from which spontaneous actions are generated are considered.

But such concidering makes spontaneity evaporated.

Once the spontaneous actions were described and predicted by some equations, it wouldn't be likely that we call the actions as "spontaneous".

Of cource, it is not a matter whether the mechanism follows either a deterministic process like Newton mechanics or an undeterministic process like the quantum mechanics.


***

ナチョ・リブレという映画を見た。
メキシコの修道僧がプロレスをやるおはなし。
徹頭徹尾清く正しい平和な映画だった。
そこが好感をもてた。
ブランキージェットシティーの「C.B. Jim」という歌には
こういうくだりがある。

"ある日ストリッパーの腕に抱かれて眠ってたボスが目を覚ました
青ざめた顔に冷や汗を浮かべながら

天国行きのエスカレーター
その手すりは、ワニの皮だったぜ

ねむけまなこで台詞を吐き捨て
エンジンふかしたズボンを履き忘れたまま!"

そんな雰囲気の映画。

揮発性自発性

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今日は雨だった。

***

自発性の問題を考えるといつのまにか自発性が揮発してしまう。

ある行動を見たときにそれが「自発的」に生じたと考えて、
それがどのようなメカニズムで生まれたものなのか解明しようとする。
そのメカニズムが解明されてしまって、
例えば、微分方程式のようなものでその行動が生じる前後の
行動の時間変化を書き表すことができてしまったとする。
そうすると結局はある規則に従ってその行動が生じていただけ
ということになって、
そもそもそのようにして生じた行動を「自発的」と呼ぶものなのか?
ことになってしまう。

それは温度という量は無数の分子の統計量なのであって、
分子1個を取り出してしまうと、
もはやどこにも温度などという量はないのと似ている。

花見の時に塩谷さんと話していたときに、
しきりに「それを自発的だと思うのは誰なの」と聞かれたのだけど、
「自発性」というものはそれを認識する主体抜きには
考えることができない。

自発性を認識する主体は、
何をもってしてある事象を自発的と呼ぶのか。
自発性の問題を考えると言うことは、
それを考えることなのかもしれない。

ランダムに振る舞うものは自発的であるとは言わないし、
レギュラーに動くものも自発的だと言わない。
あるregularityから逸脱したとき、
往々にして自発的と呼ぶのではないか。
それはcontingencyとはどう違うのだろうか。

***

やっと生活にゆとりが出てきて、
自炊をする気が起きた。
でも、あまりわずらわしいことはしたくなくて、
結局 米を炊いただけでおかずはお惣菜屋さんで買ってきてしまった。

今日は雨とはいえ、シャツの上にコートを着ればしのげる寒さだった。
もうセーターはいらないぐらいの気温だ。
それでも、米を研ぐときの水の冷たさはまだ冬のそれだった。


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