フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

アート: 2009年アーカイブ

あれは組物というらしい

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日曜日は選挙があったけど、
期日前投票で事前にすませてあって、
その日は千葉県の佐倉まで行ってきた。

国立歴史民族博物館というところで、
日本建築は特異なのか」という展示をやっていたので、
それを見てきた。

お寺とか神社とか古い建築を見るとき、
すっごく注意して見る部分があって、
それがこれである。

CIMG3628.JPG

これは京都御所のどこかで撮ったやつ。
この、柱と屋根が接するところにある太くて複雑なあれ。

名前はしらないのだけど、これがすきなのである。
奈良の五重塔を見たときに、
ここが異様にかっこよかった。
やたら入り組んでいて複雑なのに豪気なかっこよさがある。

それ以来、寺とかそういうものを見るときはここに注目するようになった。
注意してみるようになると、これは奈良とか平安とか古い時代の建築に多く、
江戸の頃の建築では滅多に見ない。

たぶん、古い時代にはその建築を成立させるためにそういう構造が必要だったのだけど、
時代を下るにつれて技術が向上したりあたらしい構造が生み出されて、
そういう構造は必要なくなった結果、
それは姿を消していったのだと思われる。

そんなわけで、昔からそれが気になっていたところに
「日本建築は特異なのか」展のポスターが目にとまった。

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まさに、あれである。
この展示会に行けばあれの正体がわかるんじゃないか!という期待を胸に、
浅草線と京成線を乗り継いで行ってきた。

浅草線と京成線は繋がっていて、
乗り継ぎはあるけれど乗り換えはないので、
何気に楽に行けた。

この展示は、日本と韓国と中国の古い建築を比べることで
日本建築は本当に特異なのか?という問いを考える展示である。
展示の詳細はめんどくさいので書かないが、
いろいろ勉強になりました。

で、肝心のあれだが、あれの正体がわかった。
なんと、あれの構造を発泡スチロールの模型で実際に作ったり崩したりできる
展示もあった!
組物好きにとっては垂涎ものの展示であった。

それで、あれの名前は「組物(くみもの, bracket system)」という名前だということがわかった。
そのまんまだ。
組物は主に「斗(ます, bearing block)」と「肘木(ひじき, a bracket arm)」からできていて、
それがいくつも組み合わさってあのような構造になっているらしい。

要は肘木を置いて、その両端に斗を置いて、
その斗の上にさらに肘木を重ねて、
柱が屋根を他の構造材も含めて支えられるようになっている。

その肘木と斗とその他の構造材との組み合わせ方は一通りではなく、
和様とか、大仏様とか禅宗様などがあるらしく、
建築ひとつひとつで少しずつ違うらしい。
また、中国や韓国など国による違いもあるらしい。

この展示のパンフレットを買ったら、
ご丁寧にCGで組物の構造を解説してくれている。

EPSON129.JPG

というわけで組物萌えな1日でした。

絶対涅槃ミュージック

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芸能山城組が毎年行うケチャのお祭りがあるという情報を受けて、
ゼミがひけたあとに行ってきた。

芸能山城組 - イベント情報

何年か前からケチャ祭りをやっているのは知っていたのだけど、
なんとなーく時間がなくて行けなかった。

でも今回はそれにあつらえたように時間が空いていて見ることができた。

夕方の6時に到着して、その時はブルガリアの民族合唱と
グルジアの民族合唱をやっていて、遠巻きに見ていた。

それから、なぜかバナナの叩き売りがはじまって、
そこに全身タイツ(黄色)に唐草模様のマント姿のバナナマンが登場して
最初100万円だったバナナが最後300円で売られていた。
バナナマンの奮闘の甲斐あって、最後の方には
それなりに客席がもりあがったけれど、
基本的には会場のひとびとはバナナマンのかけ声を
しーんと眺めているだけだった。
かわいそうになって何度も「買った!」といいそうになったけど、
雰囲気に飲まれて言えず、結局オレも同罪であった。

そのあとに、いよいよガムランの演奏。
ハイパーソニックエフェクトを存分に感じるために、
地面に敷かれた筵の最前列に腰掛けて、音ができるだけ肌にあたるように
そでまくりをして聞いた。

ハイパーソニックエフェクトというのは
日本語にすると超音波効果なわけだけど
人間の可聴領域を外れた高周波成分である超音波を聴く(浴びる)ことで、
"脳が活性化する"というものである。

人間の可聴域はせいぜい20kHzぐらいでそれ以上の音を聞けといわれても、
普通は聞こえない。
だからCDに録音されている音楽の周波数成分も上限は20kHzであるし、
ギターやピアノなど、日常的に目にすることができるような楽器を
鳴らしてもその程度の音域までしかでない。

ところが、ガムランは20kHzどころか100kHzを越える音域まで
音を奏でることができる。
と、まあうんちくはココでもみてください。

ともかくその、ハイパーソニックエフェクトを一度体験してみたかったのだ。

以前聴いた話では
ハイパーソニックエフェクトは音を数分は聞き続けないと
その実感が湧かないということだったけど、
演奏がはじまって2秒ぐらいで即座に自分の体に異変が起こっているのがわかった。
確かに高周波部分がリッチなのもよくわかった。
普段は使わない、10kHzとか20kHzに対応する耳の奥の部分が
久々に出番がきたとばかりに喜んでいた。

そしてさらに2秒ぐらいあとに、
ハイパーソニックエフェクトがどうとかがどうでもよくなった。

音楽が、ひたすらに心地よくて、
「可聴域以上の高周波を本当に感じるのか?」
「ガムランてどんな音でバリの民族音楽はどんなか?」
そういうことを観察しようとする冷静な視点はあっさりと放棄した。

うそみたいなんだ、本当に。
これはきっと天国、いや涅槃で鳴り響いている音楽に違いないと思った。
ガムランの音楽には明確なパターンがない。
パターンは絶えず変化して、
時間が流れているのか止まっているのかわからなくなる。
それでも力強いうねりが心をさらい、
心の中には動きが生まれ続ける。

あんな鍋と蓋をくっつけたみたいな楽器や
どことなく木琴に似た形の楽器や、
おもちゃの猿がもっているような小さなシンバルみたいのや、
日本の鼓を大きくしたような太鼓を20人ぐらいで演奏するのだけど、
精巧さとはほど遠いような原始的な印象を受ける楽器達。
それが一斉に複雑に打ち鳴らされて、
それでいて絶妙に旋律やリズムが絡み合った音を鳴らしているというのは
驚異だった。

確かに手が早く動いているのは分かる。
だけど、その手の動きでどうしてそんな複雑で豊かな音が出るの?
不思議で仕方ない野田kど、それでも確かに音は鳴っている。
そして音が非常な"細部"まで鳴っている。
それは厳密に制御されているのではなく、
楽器や空間に委ねられて鳴る。

演奏者たちの手の動きも複雑だが調和していた。
昔、手話で話しているのをみて、
まるで蝶が舞っているみたいだな、と思ったことがある。
手話の手の動きはひらひらと優美で、複雑で、繊細ではっきりしていた。
演奏者達の手の動きも同じようだった。
確実に規則的な軌跡を描くのだけど、
つぎにどんな軌跡を描くかはまったく予測不可能。

そして踊り。
女性二人が、舞う。
息をのんだ。
ああ、美しいってこういう意味だったんだと、
美しいという言葉の意味をまるではじめて発見したかのようだった。

生々しく優美で途方もなく高貴な舞だった。

体の表面積からしたらごく僅かなはずの目玉の動きが、
まるでその人の体全体の動きのように感じられたり、
肘や肩の角度は変えず両の手首だけが動く動きが
まるでカニッツァの三角形のようにないはずの何か
大きな力や姿がそこに現れているかのように見えた。

動きが速いわけでも強靱な筋力を必要とするわけでもないのに、
信じられないほど動きがダイナミックで、
ひとつひとつの所作・姿勢からは
意味がそのまま具現化しているような象徴性が感じられた。

目が離せなかった。
音楽と踊りで発狂するのと正気を保つのが紙一重の状態になった。
たぶん、一種の意識変性状態だと思う。

見終わった後は、泣きはらした後みたいに、
頭を締め付けるような微かな頭痛を感じてぼーっとした。
それこそ涙を流した後にそっくりな感覚。

ガムラン演奏が一時間続いたあとは、
しばらく準備に時間がかかった後、ケチャだった。
この頃には、住友ビルの前の広場は人でぎっしりと埋め尽くされていた。

ケチャは中学のときに音楽の授業でやったことがある。
僕の行ってた中学は地元の何の変哲もない普通の公立校だったのだけど、
何故かそのときの音楽の先生が、
芸能山城組でAKIRAの制作にも関わった松本智津子先生で
中一の時の担任の先生でもあった。
この先生が和田あき子バリに豪気な人で、
音楽の授業でケチャをやるぜと言い出した。

当時の僕らはケチャのことなんかまるきりわかんないし、
それでもケチャをやること自体はそれほど難しいことではないので、
わけのわからないままケチャをやっていた。
わけがわからなかったけれど、
その時の高揚感だけは覚えている。
「チャ」という音が漫画の擬音のように具現化して
音楽室全体にぎっしり埋まって瞬間ごとにその配置を変えていくような
「チャ」の洪水に包まれて、一種の恍惚状態を味わったのだった。

だから自分の中のケチャのイメージはそんな感じで、
大人数が口々に「チャ」を連発して「チャ」の圧倒的な洪水に
包まれる体験を予想していたけれど、
それはケチャの本来の体験ではないということが今回よくわかった。

男達が幾重にも円上に並んで、
その中心に向かって座る。
円の中心部の空いたスペースが舞台である。
円陣の男達は舞台そのものであり、
波打ったり倒れたり盛り上がったりする舞台装置でもあり、
BGMを奏でる音響装置でもあり、
演舞に華を添える脇役でもある。

そしてその"人間ステージ"の中心で
神話のような物語が演じられる。

先行していたケチャのイメージの騒がしさとは裏腹に、
繊細で神々しさに富んだ物語だった。

民族民謡とか民族舞踊と呼ばれるものに
こんなにも感銘を受けたのははじめてだと思う。

去年、YouTubeを検索してケチャの模様を撮影した動画を見たときと
うけた印象はまったく異なる。
写真が動画の1コマであるように、
動画もあの体験のほんの1コマに過ぎないのだということがよくわかった。
そもそもがYouTubeの動画では音質も画質も不十分すぎる。
CDの音質でさえ、ガムランの音は収録しきれないのだから当然だが。

もしこの生のケチャを見に行く気がないななら、
YouTubeなどでケチャやガムラン音楽の片鱗をみようとしないほうがいい。
まったく別物だから。
そういうので見ただけでは、
ケチャはただの呪術的な儀式にしか見えないだろうし、
ガムランだって騒がしい音楽にしか聞こえないだろう。

なんとこのケチャ祭りは明日と明後日もやっているので、
ちょっと行ってみたいけど、でもちょっとめんどくさいという人は
がんばって閾値を超えてみることをお奨めする。

* * *

去年の関連記事:
Memory of CAK - フェムトセカンド

たゆたう金魚の意志

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チェゴヤ。

チェゴヤの一角を茂木研が占拠。
あれ?なぜか就職して出て行ったはずの後輩がいる。

・・・そうか、ゴールデンウィークか。
ーーーーーーーー。

茂木さんが隣に座ったので少し研究の話をする。
「俺はさぁ、海にいこうとか何かをしようとか、
そういう自発性をやってほしいんだよ。
今言ったような確率分布の話も大事だけどさぁ・・・」
というようなことを言われた。

自分がいま考えているのは
ポリア・エッゲンベルガー分布という分布。
確率変数を10個にしてシミュレーションすると、
多峰性の分布ができたりできなかったりして面白い。
ある種の自己組織化が起こる動的な分布と捉えることができる(と思う)。

茂木さんはやはり多動症を地でいく人なので、
よっぽどこちらが面白い応答をバンバンしないと、
一定の話題を保ち続けることができない。
そうするだけの研究の話題がないのがいけないのだけれど、
やはりこういう時ぐらいしか茂木さんと話す時間がないので、
大した話もできず終わってしまったのが
(いつものことながら)惜しい。

今日のゼミには芸大のノブクニさんがいらしてトークしてくださった。
「いらしてトーク」というか、これから茂木研の一員になるのかしら?

その後、論文紹介2件。
催眠術をかけて記憶を抑圧したときの脳活動の話と、
漢字仮名交じり分、ひらがな分、それぞれのスペースありなし、という
4パターンの文章を読むときの速度を比較した論文。

それらはつつがなく終了し、
ゼミのあとのまったりとした雰囲気に後ろ髪をひかれながらも、
さっさとCSLを後にした。

向かった先は、銀座のギャラリー小柳

内藤 礼 Rei NAITO

color beginning
March 24 - May 16, 2009

内藤礼さんの展覧会である。

20点ほどの作品数で、内藤さんにはめずらしく、
普通の意味でのドローイングが大半だった。

5分ぐらいでひとしきり見て、
やはり戻ってきてしまうのは、
先日の横浜トリエンナーレでもみた作品であった。

このサイトに写真が載っている。
無題(母型) 内藤礼 横浜トリエンナーレ2008|ON THE STREET CORNER インディーズ取材日記

電気コンロが床にふたつ並んでいて、
その電熱線は赤々としている。
それだけか、と一瞬思うのだけど、
そうではなくて、その上に一本の糸が垂れている。

その糸が、電熱線の作る上昇気流によって、
狂ったように舞い、漂い、落ちてゆき、また舞い上がる。
糸は絶え間なく変化し続け、上昇しては下降する。

横浜トリエンナーレの時も、今回も、その糸の動きに魅入った。
横トリの時は茶室のような小さな小屋の中にそれがおいてあり、
遠くから眺めるしかなかった。
いまは、すぐ足下で熱せられた空気が上昇し糸を震わせ、
自分の頬をなでてゆくのを感じられる。

ストレンジアトラクタの振る舞い、そのものである。
(そもそもローレンツアトラクタは乱流のモデルか)

しゃがんでじーっと見ていたけれど、飽きなかった。
絶え間なく落下し続けるのに、
限りなく跳ね上がり続ける。
落下と跳躍のせめぎ合いが、情動系に訴えかける。

もうひとつインスタレーションの作品があって、
それはみたことがなかった。

洗面台の上にビーカーのようなガラス製の円筒状の容器があって、
そこに上の蛇口から絶え間なく水が流れてくる作品。
少量の水があふれてゆき、入ってきた水がビーカの水面を乱す様が
なんとも言えず静謐かつダイナミックだった。
ぱっと見ただけでは気付かないけれど、
ビーカーの中には短冊状の薄い布が入っていて、
水の震えによって、微かにだが動き続けている。
それが何かを訴えかける。

受付には作品の名前の一覧表が置いてあって、
ほとんどが「無題」だった。
作品の横には値段が書いてあって、40万から150万ぐらいだった。
値段が書かれているのをみて、息がつまってしまった。
値段の高さに驚いたとか、そういうことではなくて、
内藤さんの作品に値段をつける、という行為にびっくりしてしまった。
芸術作品に値段をつけるなんてケシカランとかそういうのではなくて、
ただただ内藤礼の作品から受けるものと、
値段をつけるという行為のギャップにびっくりしただけ。
冷や水を浴びせられるかのような。

2005年にみた「地上はどんなところだったか」展みたときの衝撃は、
今でも覚えている。
アート、特に現代アートと呼ばれるものに懐疑的だった自分にとって、
そんなつまらない思いこみを吹き飛ばすには十分すぎる体験を、
内藤さんの作品は提供してくれた。

いつかもっとお金ができたら、あのとき見た、
「ナーメンロス/リヒト」を手に入れたいと願う。

虚空を漂う糸を見ていたら、
昔飼っていた金魚のことを思い出した。
アホのように水槽をたゆたう金魚も、やはり見ていて飽きなかった。

あの金魚は自発的にあのように泳いでいたのだろうか?
自由意志は?


***
http://melonsode.fem.jp/fs/log/2007/09/20070926.html
http://melonsode.fem.jp/ms/cgi-bin/0504.html
http://melonsode.fem.jp/fs/log/2007/11/20071126.html

海岸に石を一つ付け加える

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大槻あかね展 「広告批評」に描いたもの

に行ってきた。

http://akanet.diary1.nazca.co.jp/2009/diary_20090425_all.html

大槻あかね 展 「広告批評」に描いたもの

雑誌「広告批評」の休刊を機に、
1997年の表紙、
1996年からの「広告学校ニュウス」と、
「広告批評」に描いたものを展示します

この12年のあいだ描いてきたものたちの
こんなに奔放におよぎまわる姿から、
「広告批評」という川の
広さ、深さ、水の豊かさが
感じられるように思います

ありがとうございました
                
2009年4月25日(土)ー5月3日(日)13:00-19:00

gallary HAKUSEN
〒166-0044 東京都杉並区阿佐ケ谷南1-36-14 ハウス白鳥1FB
http://hakusen.jp 
info@hakusen.jp

大槻さんは芸大の授業のあとの飲み会で、
いつもぽよーんとしているイメージが強すぎる。

ほぼ日刊イトイ新聞の「」で、
作品はみたことあるけど、
それ以外は全然見たことがなかった。

今回は広告批評の余白を埋めていた(?)作品たち。

大槻さんの作品からは、海岸に石を一つ付け加えるような感じがした。
立ち止まって、手にとって見てみないと、
その石の醸す"旨み"はわからない。

ひとしきり、大槻さんにいろいろと作品のことを聞かせてもらって
楽しかった。

このほかにも大槻さんは絵本の仕事や装丁の仕事などもしている。
知らなかった。

絵くんとことばくん (たくさんのふしぎ傑作集) (大型本)

天野 祐吉 (著)
大槻 あかね (イラスト)

この絵本は読んでみたい。

あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫) (文庫)

鴻上 尚史 (著)

これの装丁とか。


* * *

今宵の月は、チェシャ猫の口。

阿佐ヶ谷から渋谷に戻って、交差点で信号待ちをしているときに、
それを見上げた。

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