今週は毎日帰宅がいつもより1時間遅くなってしまって、
息子を風呂に入れることが出来ない日が続いた。
確実に仕事をこなす速さは早くなっているはずなのに、
帰る時間が遅くなってしまうのはなぜなんだろう。
そうして、とうさんが息子にかまってやれなくても、
息子はスクスクと育っている様子。
二日見ないだけでもずいぶん様相が変わっていたりする。
ここのところ寝返りが激しくて、
親子3人で「川」の字に寝ていたのに、
5分もすると「1ー1」になってる。
さらに「い」になってたりもする。
そして、朝になるとだいたい布団と布団の間にはさまって寝てる。
様々なconstellationを試して、
最終的にエネルギー的に一番安定な状態に収まっているという、
極めて物理法則に則った所作である。
もう、生まれた頃とは比べようのないぐらい、
身体はしっかりしたものになって、
五感はいまや完全に機能している。
生まれたときは目が開いてなくて、
数日すると目が開いた。
その開いた目は何を見ていて何を見ていないかわからなかったが、
体を揺らすとそれを補完して一定の位置に視線をあわせるかのように
眼球だけが動いた。
三ヶ月ぐらいたつと、動く物体を目で追うようになり、
同時に首も動かして物体の行方を追うようになった。
そして、6ヶ月経ったいまだと、さらに体全体を捻ることで
さらにしっかりと動く物体の動きを追従するようになった。
また、背後で声を出したり音を出したりすると、
きちんと音の鳴った方向を向くことができる。
完全に音源の定位ができるといっていいだろう。
感覚と身体がずいぶんと連携して機能するようになったのがよくわかる。
感覚が機能しているのを表すのに、
「目が見えている」とか「耳が聞こえている」とかいうけれど、
結局それが外部からみて分かるにはアクションを必要とするということに
気付かされる。
その感覚が機能しているということは、
それによって巧みなアクションが支えられているということによってしか
わからない。
目の前に何かものを差し出すと、両手を広げてぎこちなく掴もうとする。
まだまだぎこちなくて、クレーンゲームでぬいぐるみをとりそびれるような
みていて歯がゆさがあるが、それでもちゃんと掴めるときは掴む。
そして掴んだあとどうするか?
十中八九、パク!っと口の中に入れる。
あるいは入れようとする。
そして全力であむあむあむあむとやる。
もうその、ひたむきさとバカっぽさが同じ分量で濃厚に入り交じっている光景は
見ていて幸せそのものである。
彼にとってその物体が口の中に入るかどうかという観念はおそらくなくて、
ともかく手につかんだものは片っ端から口にいれようとする。
(それで唾液でべたべたにする。)
まさしく「口唇期」である。
それがフロイトの言うように「性的サディズムの芽生え」であるとか、
そういう考えには同意できないけれど、
この時期の子供の行動を口に象徴させるのは子供の行動を見ていると
至極自然に見える。
歯も生えてきて、日に日に伸びていってる。
歯茎と歯では、やはり噛まれた時の痛みが段違いで、
時々腕とか指を噛まれるけど、相当痛い。
もう生後3ヶ月ごろからだけど、
人がご飯をもぐもぐ食べていると、
その姿をしげしげと眺めたりする。
こちらは、もぐもぐ食べながら「見てるなぁ、こいつ」と思うわけだが、
そのとき、認知科学をやっていた(いる)人間としては
やはりミラーシステムのことが気になってしまう。
こいつはいまミラーシステムがあるのだろうかと。
最近でこそ、離乳食をほんのちょびっと食べるようになったけれども、
基本的には乳しかのまないので、
僕が箸でものをつまんで口に入れて、
それをもぐもぐやって飲み込むという一連の動作を
「食べる」という動作として認識できないはずである。
そんな彼にとってミラーシステムとは一体どう機能しうるのか。
よく、自己がなければ他者は存在しないなんてことを言うが、
息子を観察していると自己があるようには思えない。
だけど、何か動くものがいたら目で追うし、
モノがあったら手で掴む。
他者ではないけれど、自分の外部にある対象を認識はしている。
それは他者とは違うのか、その延長線上にあるのか、気になるところである。
そのうち、楽しんでる自分、泣いてる自分、お腹がすいている自分に
気付く時がくる。
それが、フロイトの言うところの「肛門期」なのかな。
観察を続けるであります。
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