昨日のブログで「いま自分が出馬したとしたら、どうやれば当選するか考えている」
とか書いたけれど、
そういうことを考えたりするくせに、
いまの自分の年齢では参議院議員の被選挙権がないのだということを忘れていた。
小学生で習うことなのに!
選挙結果をみて、やはりイデオロギーで政治をやる時代は終わったなと思った。
イデオロギー先行で政策を決定する政党はこぞって凋落したような印象がある。
日本はもう、まったなしの状態に追い込まれているので、
日本国はかくあるべき、という理想によってアクションを選択していくのではなく、
現状で打つことができる手をできるだけ速やかに次々と打っていけなくてはならない。
現状で打つことができる手は非常に限られているし、
迅速に行動に移さなくては手遅れになる公算が高い。
そんな状況では正直言って、どの政党が政権を担っても、
「打つべきだし、打つことが出来る手」というのは変わらないと思う。
福田前首相は「誰が(首相を)やっても同じだ」と言ったけれども、
いまはどの党が政権を担っても打てる手・打つべき手は同じなのだと思う。
だから、そういう状況下ではマーケティングに長けた党が選挙に有利になる。
(選ぶ国民がきちんとした知性を持っていればというのが前提だが)
前回の民主党が圧勝した衆議院選挙の時、
自民党には是非とも壊滅していただきたいと思っていた。
実際、あの選挙の開票結果を見たあと、
もうこれで自民党は陽の目をみることはないだろうと確信したけれど、
残念ながら自民党は歴史の遺物にはまだならないみたい。
最初に消費税10%を言い出したときに
あの自民党がここまで言えるようになったのなら、もしや?と思ったが、
あの党はやはりしぶとい。
オレの予想は外れて、まだまだ生き続けるかもしれない。
マニフェスト的には民主党も自民党もそれほど大きな違いはあるとは思わない。
それは「打つべきだし、打つことが出来る手」というのは現状でかなり限られているし、
それを実現しようとすれば結果的に同じようなアクションプランになり、
そういう手を選ぶことが結果的に選挙で勝つ道へつながるという
合理的な判断の行き着く、必然的な帰結なのだろう。
今回、民主党よりも自民党が議席を増やしたのは、
その分、マニフェストが優れていたというよりは、
単に民主党の”好感度”が相対的に低かっただけだで、
誤差の範囲内みたいなものなのではないか。
一方で今回の結果は、イデオロギー政治の終焉を象徴しているのだと思う。
この国ではいま、選挙という民主主義のシステムが有効に機能している。
選挙という淘汰のシステムが無機的に旧来の秩序をなぎ払っていく。
末期症状を呈すこの国は一度や二度の政権交代や首相の交代では蘇らない。
おそらくすべてを入れ替えるような勢いでなければ。
選挙と道連れに、たくさんの国会議員を消し、
新しい国会議員を生み出すことで変わっていく。
100%を一辺に取り替えてしまうと
国家としてのアイデンティティが失われてしまうから、
部分的に、しかし網羅的に。
3ヶ月経つと体の細胞はすべて入れ替わっている、というイメージで。
次の"踊り場"はどこだろう?
その踊場が、次の殺戮の場になる。