The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

自発性: 2009年アーカイブ

音が聞こえたらやめてください

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昨日のゼミでは、論文紹介の担当で、
Libet実験をちょっと違ったアプローチで行った論文を紹介。
半年ぐらいまえに石川くんに教えてもらった論文。

指を動かしたいと思ったら素直に指を動かしてくださいとインストラクションしつつ、
ランダムに音を鳴らすので、
動かしたいと思っている時にその音が鳴ったら動かすのはやめてください
という教示をする。

そして音の分布をアクションの時刻でソーティングして再構築することで
意図が生じた時刻を推定するというもの。

従来のLibet実験だと意志の発生は行動の0.2sec前なのに対して、
今回推定された意志発生時間は1.4sec前と大幅に早くなっている。
それでもReadiness Potentialの発生の方が早いが。

この従来の実験との大きな差から、
意志が有る・無い、の二値的な状態ではなく、
mind-wonderingの実験でself-monitoredなものとprobedなものだと
self-monitoredのほうがずっと少ないという話を引き合いに出して、
意志をメタ的に認識している状態(self-monitored)と
問われれば意志を持っていたと分かる状態(probed)というものが
あるのではないかということをディスカッションで述べている。
そうやって意志の形成の過程にもいろいろあるかもしれないという
視点が興味をひいた。

あと、Readiness Potentialの発生時刻などの生理学的な時間と、
意志が発生したという主観的な時間の間の相関が
かなり低いということにも驚いた。
Readiness Potentialって意志の発生のメカニズムとは
実は全然関係ないんじゃない?とも言うことができるかもしれない

石の意志(鉄の意志ではなく)

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バイトのため、午後1時に渋谷におもむいたら、
やたらと高校生の姿が目についた。
もう終業式か?それとも自主的に夏休みを前倒しか?

この頃バイトの作業が行き詰まっていて、
ほとんど何もできずに数時間経ってることが多い。
ある情報をMTからどうやって取り出すのか、
スマートにやろうとするあまり深みにはまっているのかもしれないが、
MTのプログラムに慣れてきたいま、
ステップアップするにはアドホックなコードを書いていてはだめで、
ちゃんとMTの構造に即したコードをかかないとダメだと思っているので、
もっと苦しむしかない。

渋谷のハチ公前やその周辺の歩道は、
歩行者が完全にキャパシティをオーバーしていると思う。
あの場にいるひと達が一斉にその気になって、
無理矢理歩行者天国を始めたら、
完全にあの道路は車が通れなくなるだろう。
実際、最近は歩行者のマナーが悪くなっていて、
歩道者用信号が赤になってもあまり焦ることなく歩いている人が多い。
あまりにも周りに人がいすぎるので、
車は歩行者をよけて発進することもできず、
また、歩行者もすでに赤になっていると気付かなかったりする。
でっかいペデストリアンデッキを作ればいいのに。
それか、車道を完全に地下化。

* * *


石を空に向けて投げたら、放物線を描いて飛んでいく。
その軌跡は微分方程式によって記述できてしまって、
その石にはその軌跡を辿る以外に方法がない。
もし石に意志があって、
「もっとも高いところまで来たらそこで静止しよう」とか、
「一切減速せずに加速し続けよう」という
意志をもったとしても、
その意志が叶うことはない。

さてこれをして、石には自由意志はない、と言えるだろうか?

これを人間に置き換えてみる。

人間が人間投石機にセットされて、
バチコーンと飛ばされたとする。
このとき飛ばされた人間が、
石と同じようなことを飛ばされている間に思ったとしても
やはり石と同じ運命を辿ることになる。

このとき、抱いた意志はもちろん叶わないのだけど、
うわーんと飛ばされる中で人間が抱いた思いは、
果たして自由意志ではないだろうか?

意志が叶うか叶わないかで
自由意志が存在するか否かは決まらない。

自由意志というと、何かをしようと思って、
実際にそれをすることが
自由さなのだと考えるけど、
実は意図したことができなくても、
自由さは損なわれない。

かといって自由意志の全面的肯定にもならないのだが。

「自由な感覚」のクオリア

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自由意志関連のイベントがあったそうで、
行ってみたかったなあと思う。

以下がイベントのWebページ。
Yours to Decide  Fate, Free Will, Neither or Both? | World Science Festival

ハガードが参加している。

このイベントのことは、この記事で知った。
The Swingy Brain: 自由意志を自由に感じる

この記事の中で、次のように書かれている。

コンセンサスとして、自由意志があるかないかという議論よりは、自由意志という感覚・フィーリングがあるのは良いとして、その先をどう生物学的な視点から考えていくか、という方向性はしっかり伝わってきて、良いブレーンストーミングになった。

やっぱり「自由である」という感覚の方に重点を置く方向に
向かっていっているというのがわかってよかった。

意識が存在することの生物学的・機能的な意義と、
「自由である」という感覚の生物学的・機能的な意義は
どのような関係にあるだろうか?

意識の問題と自由意志の問題は同型だと思っていたけれども、
「自由な感覚」をクオリアの一つだと考えると、
そうでもないような気がしてくる。

意識という平面上にある種のクオリアとして「自由な感覚」が乗っていると
自分は考えているけれど、
クオリアを感じる場としての意識の存在意義と、
無数にあるクオリアのうち「自由な感覚」のクオリアの存在意義は、
そう考えると異なるように思う。

instant memo 090106

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あ、ゴプニックさんだ!

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Free Will: Children and the Scientific Worldview

JOSHUA KNOBE
---- University of North Carolina-Chapel Hill

ALISON GOPNIK
--- University of California-Berkeley

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