自由意志関連のイベントがあったそうで、
行ってみたかったなあと思う。
以下がイベントのWebページ。
Yours to Decide Fate, Free Will, Neither or Both? | World Science Festival
ハガードが参加している。
このイベントのことは、この記事で知った。
The Swingy Brain: 自由意志を自由に感じる
この記事の中で、次のように書かれている。
コンセンサスとして、自由意志があるかないかという議論よりは、自由意志という感覚・フィーリングがあるのは良いとして、その先をどう生物学的な視点から考えていくか、という方向性はしっかり伝わってきて、良いブレーンストーミングになった。
やっぱり「自由である」という感覚の方に重点を置く方向に
向かっていっているというのがわかってよかった。
意識が存在することの生物学的・機能的な意義と、
「自由である」という感覚の生物学的・機能的な意義は
どのような関係にあるだろうか?
意識の問題と自由意志の問題は同型だと思っていたけれども、
「自由な感覚」をクオリアの一つだと考えると、
そうでもないような気がしてくる。
意識という平面上にある種のクオリアとして「自由な感覚」が乗っていると
自分は考えているけれど、
クオリアを感じる場としての意識の存在意義と、
無数にあるクオリアのうち「自由な感覚」のクオリアの存在意義は、
そう考えると異なるように思う。