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The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

読書: 2012年アーカイブ

「Googleの脳みそ」を読んだ

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三宅伸吾さんの「Googleの脳みそ」を読みました。

Googleの脳みそ―変革者たちの思考回路


この本はタイトルこそ「Google」という単語が入ってますが、
Googleのことを論じた本ではなく、日本の法に関して論じた本です。
Googleに関しては、第一章でYouTubeが著作権に抵触するリスクを持っていたり、
Google Mapのストリートビュー機能も肖像権の侵害の可能性があり、
それでもリスクを忌避せずサービスを公開し、
訴訟を起こされもしたが違法な動画は即時に削除するなどの対応をすることで
合法と判断された事例を挙げ、
新しい技術によって既存の権利が制限されることはあると論じている。

本のタイトルにGoogleと入れたのは、
法律上グレーであっても、リスクをきちんと認識したうえで、
世界にとって必要とされるサービスを信念を持って提供するプレイヤーの
代表例としてGoogleをとりあげたからだと思う。
少しでもリスクがあると決して手を出さない日本のほとんどの企業とは逆だ。

この本は豊富な事件・裁判例をもとにさまざまなことを考えさせてくれる。

・日教組対プリンスホテル事件
・一人一票の格差問題
・郵便料金不正事件の村木さんのえん罪事件
・村上ファンド事件
・原発事故による東京電力の破綻処理問題
・日本航空(JAL)の破綻処理問題
・GMの再建問題
・役員報酬開示ルール

どれも興味深い内容で、それぞれの事柄に関して
メディアの報道を眺めていただけではわからなかったことが多くあり、
それぞれの事柄に関して以前よりも立体的な視点を得ることができた。

一人一票の格差問題で、2009年8月の衆院選挙で最大2.3倍の一票の格差があり、
それを裁判所が黙認しているような状態になっている。
裁判所は、一応「一票の格差は違憲な状態」と述べつつも、
「選挙のやり直しは混乱が起こるからそこまではしなくていい」という判決になっている。

一票の価値を厳密に等しく揃えるのは確かに難しそうだから、
ある程度の格差は許容しなければならないとは思うが、
果たしてどの程度まで許容できるのかという根拠はなさそうだ。
だけど、2倍以上の格差は問題なのではないかと思うし、
参院選に至っては5倍を超える。
なので、もっと裁判所は強権を発動すべきだと思う。

個人的にすごく驚きだったのは、米国のニュージャージー州で1983年に起こった
一票の格差の判決で、
このときの一票の格差 1.007倍 に対して連邦最高裁の違憲判決がでて、
そのときの選挙は無効になり、
最終的に裁判所が決めた区割りをもとに再選挙になったという事件だ。
日本は参院の5倍以上の格差でも黙認状態なのに、
米国では1.007倍の格差で選挙が無効になり再選挙になっている。
このあたりの憲法に対する忠実さの追求の姿勢は見習うべきだと思う。

JALの破綻処理に関しては、なんとなく報道を見聞きした程度で
あまり理解していなかったのだが、この本では内閣の動きや
再生支援寄稿の動きなどについて時間を追って書いており、
JALの破綻処理のどういう点が問題でどう処理されていったのかということが
詳細に書かれており、その分読むのに骨が折れたが、
かなり理解できたように思う。

最後の章で10の解毒剤として、日本の閉塞感を打破するための方策が
述べられている。
その中のどれも賛成だが、特に下記のものは自分がこれまで思ったことと近い。

・整理解雇の規制緩和
・フェアユース制度の導入
・ネット選挙の解禁

「整理解雇の規制緩和」は硬直化した労働環境の緩和になるだろう。
新卒一括採用問題や正規社員と非正規社員の格差などの諸々の問題は
それぞれが個別の問題ではなく、日本の労働関係の法律や
戦後の高度経済成長を通して培われた雇用慣習により、
労働市場の流動性が極端に低下していることに起因している。
労働市場の流動性を取り戻すためのひとつの方策として、
整理解雇の規制緩和は適したカンフル剤になると思う。

「フェアユース制度の導入」は、日本の著作権制度の見直しである。
いまの著作権制度は過剰に著作者を保護しすぎていて、
利用者の利便性を著しく書いていると思う。
消費者保護が過剰で、過度に生産者に責任を追わせている製造業に関してとは
逆の状況になっている。
デジタル技術やインターネットによって、それまで想定されていた
著作権の概念は完全に時代遅れになっているのだから、
早急に著作権制度の見直しを行ってほしい。

「ネット選挙の解禁」に関しては、それを禁止していることは
もう言語道断と言わざるを得ない。
インターネットを選挙活動に使えないのは日本ぐらいだ、と筆者も述べている。
そのあたりの記述のところで、面白いと思ったことがあったのだが、
それは、不特定多数へのメールの送信は「文書図画の頒布」にあたり禁止されているが、
音声は「文書図画」ではないため、音声を電子メールで送信することは構わないそうだ。
もしネット選挙が解禁されないのなら、
次回の選挙でこの手法を使うのはどうだろうか?
ネットで選挙は戦える! 「ネット街頭演説」解禁はできなかったが、秘策あり(2) | 社会・政治 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

日本では、法律に抵触するようなことをやったら、即 悪と判断されてしまい、
ただそれだけで忌避の対象となってしまうことに違和感を感じている。
確かに、法治国家においては、悪法も法なりという姿勢が大事かもしれないが、
数学においては、前提となる条件が間違っている場合は、
その後のどんな推論も正しくなってしまうのと同じで、
悪い法律でも長いものには巻かれろ方式で従い続けるのは、
人を不自由にし、国家的な損失を招いていると思う。

すくなくとも悪法に対しては敏感に反応し、NOと声をあげることが大事だし、
場合によってはその法にたいして挑戦的な態度で臨むことも必要なのでは
ないかと思う。

以前はうまく機能していた法律も時間の経過とともにそぐわなくなったり、
新しい技術がうまれて革新が起こるときの足枷になったりもするということを
肝に銘じておくべきだ。

法は国民を守るためのもので、既得権者を守る者のためでない。
また、競争や効率化を阻害するのではなく、
そういうものをうまく引き出すインセンティブとなるような仕組みとして
法律を生み出し・改変していくべきだと思う。

そういうことを考えさせてくれるよい本でした。


2011年に読んだ本を晒してみる

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まったくお恥ずかしい限りなんですが、2011年に読んだ(読了した)本です。
特に感想はなし。

2011-book-list.png

野澤真一の本棚 カテゴリー:2011

一年で18冊しか読めなかったとは、悲しい限り。
読みかけの本と積んである本がこれと同じぐらいの冊数かそれ以上ある。

学部2年生の頃に、読書の重要性を認識し、それ以来、年間100冊を目指して
読書に励んでいるが、いまだに達成できていない。
年間読書数の最高は読書を始めた年の翌年の49冊で、
それ以降は10冊〜30冊あたりで推移している。

年間100冊という数字に根拠はなくて、
小飼弾さんなら一か月で軽く読破する量だろうけど、
単に100という数字がきりがよくて、適度に”大きい”数字だからという以外にはない。

また、読む本の種類によって、
すぐ読める本(ビジネス書とか)とそうでない本(専門書とか)
が分かれるから、その比率で読む本の冊数は変わるだろうし、
また、本というメディア以外にも活字は読んでいて、
Webで読んだり、雑誌で読んだり、メールマガジンで読んだりもしているわけで、
そういう活字で読んだものを本の冊数に直すと何冊なのかという問題もあるのだけど、
そんなめんどくさいことやってられないので、
とりあえず本というメディアの形態のもので何冊ということにしている。
だからほんとに年間100冊とか意味ない。
それでもいまのところ飽きずにがんばっている。

毎年、「今年はわりと読んだほうじゃないか?」と思うのだけど、
きちんと集計してみると大したことないという結果を繰り返している。
なんで「わりと読んだほう」だと思ってしまうかというと、
時間ができたらとりあえず読書にあててるからだと思う。
「暇な時間があったらそれをすべて読書に注ぎ込んだから、
今年はたくさん読んだはずだ!」と、
感覚的にはなるのだが、結局”暇な時間”が毎年それほどでもなく、
読むスピードもそこまで変化していないので、
毎年誤差の範囲内的な冊数に落ち着いているわけである。

いつも、本を選ぶときはできるだけ自分に「新たな気付き」を与えてくれそうな
ものを選んで読むのだけど、今年読んだ中で自分にとって異質だった本は
東浩紀の「動物化するポストモダン」、
佐野眞一の「東電OL殺人事件」、
ニッサンにカルロス・ゴーンが就任したときのドキュメンタリの「起死回生」
南伸坊の「仙人の壺」
であった。

本なら、どんなジャンルでも貪欲に読むという姿勢でいるつもりだったが、
小説の場合は貪欲になれないということに最近気づいた。
気がついた、というか、やっと認めた。
この人の小説だったら読みたいなと思える作家は、
実は片手の指で足りてしまうかもしれない。
だから、小説はたくさん読むことを諦めた。

今年は上に晒した本の他に、村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読み直してみた。
本を読み直すことはいままでの人生でほぼしたことがないので、
自分としては珍しい体験だった。

「愛と幻想のファシズム」は、確か読んだの中学2年か3年だと思うのだけど、
その読書体験はいろいろな意味で強烈だった。
いまでもその読書体験は漠然としたクオリアとして目をとじると蘇る。

なんとなく、いろいろな意味で原点回帰してみたくなって、それを読み返した。
あの作中で起こるようなクーデターが、この国には必要なんじゃないかという思いが
日に日に募ってたり。

今年もできる限り本を読みたいと思う。
たしか茂木さんが「読んだ本の厚み分だけ高いところから世界を見ることができる」
というようなことをいっていて、自分もそう信じている。

ref. 「本が人生を変える」

2003年から2011年までの集計をしたら平均が24.11...冊だったので、
2012年の今年は、25冊を目指したいと思います。(月2冊か)
できればその中に、英語の本も含めたい。
いま、Kindleで買った本で途中まで読んで止まっている本が4,5冊あるので、
そのどれか1冊でも。

*追記:一冊、読んだけど本棚に反映されていないやつがあったので、2011年の読了数は19冊(本棚に追加済み)

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