大変お世話になった先輩のお身内に不幸があり、お通夜に参列させてもらった。
ただただ、駆け付けたかった。そうしてできれば何か力になりたかった。
10年前に、自分の親父が亡くなって葬儀をしたとき、
その先輩や当時の仲間がわあっと集まってくれたのを忘れていない。
今度は自分が駆けつける番なのだと思った。
自分が喪服を買ったのは、10年前のその時で、その時は冬だったから
冬用の喪服しか持ってなかった。
夏の葬儀をこれまで経験したことがないわけではないけど、
いつも冬用の喪服でしのいでいた。
夏の葬儀の暑さはわかっていたし、今回は万全の体勢で臨みたかったから、
紳士服の量販店に駆け込んで、夏用のものを調達した。
値札をよく見なかったのは迂闊だったけど、
たぶんどの道、あれを買うしかなかった。
10年前の自分とまったく逆の立場に先輩がなったわけではないので、
あの頃にしてもらったことを単純に返すことはできない。
10年前にくらべると、今の自分と先輩は、ずいぶん違った境遇になっている。
自分が実務的に必要になるようなことはまずないのだろうけど、
いつでも飛び出していけるような心づもりは消さないし消えないだろう。
10年前に、突然にそれまで生きていた文脈を断ち切られて、
零細企業の社長になって、その文脈で Tanzenする(踊る) ことを余儀なくされた。
肉親を失った悲しみと、理不尽さと、未知のものと対峙せざるをえない恐怖と、
将来への不安。
そのような感傷と感情が硬質化して、踊り手の体は構成されていた、
とでもいえそうな強度だった。
あの時に、もう一人の先輩と共にその先輩が、
週に一度ぐらいのペースで職場に遊びに来てくれて、
それぞれの時間を過ごし、時には仕事を手伝ってもらったり、
研究のこと、経済のこと、ラーメンのこと、未来のこと、
そういうことを話したり話さなかったりした。
その時間が、自分の正気を保たせてくれた。
突然違う世界に放り込まれて、あまりに急で徹底的だったので、
これが本来の世界だったのかと錯覚しそうだったけど、
そこではない別の場所に確かに自分はいて、
今の世界だけがすべてではないということを思い出させてくれた。
水面下に潜りつつも窒息しないように、
あのとき、時折僕を引き揚げて、息継ぎさせてくれた。
いまでも忘れないし感謝している。
恩を返す気持ちは準備万端です。
いまの悲しみは、克服することはできないから。
喪失と一体化していくことが弔いであり回復である。
葬儀がひと段落したら、ゆっくりしてくださいませ。