来月に会社の移転があるので、それはそれで大型案件だ。
一時期ほどではないと思っていたけど、
思っているよりもストレスを受けているのかもしれない。
はたから見たらわからないと思うけど、
内観的にはズタボロだ。
遠い昔が色褪せるならともかく、
今この瞬間が色褪せてみえる。
ということに最近気がついた。
いまこの瞬間が懐かしく、愛しく、悔しくて、
諦観と傍観で埋め尽くされている。
かつての決して覆らない過去の、
大切な一場面を思い返しているような気持ちで、
いまを見てる。
自分は満足してないし、自分の周りの大切な人たちも
きっと幸せにしてあげられてはいないと思う。
現実が不本意すぎて、
いまここの現実をほんとうだと認めることができないのかもしれない。
文脈は全然違うのだけど、「餅つき」は、
自分一人が必死になっているようだった。
自分はこれまで3回の餅つきで、「満足」していないし、
「大変だったけど楽しかったからそれでいい」と思えてない。
「もっとうまくやるにはどうしたらよかったのか」
敗北感の中で思っていることはそういうことだった。
でもそこまで危機感と悲壮感を抱いていたのは、
もしかしたら自分だけだったのかもしれない。
そんな風に思う必要はなかったのかもしれない。
それでも、あれは自分が満足できるクオリティではなかったから
仕方ない。
結局、理想が高すぎて、墓穴をほっているということなのだろうか。