今回の正月は、年賀状をあきらめてしまって、
それによってずいぶん楽だった
どうも自分は、新年の挨拶とか、年が明けたことを祝う気持ちとか、
違和感があってできないようだ
責任を転嫁するようだけど、そうやって育てられたからの
ような気がする。
いや、親父は正月は正月らしく振舞ってたか
ひと区切りついた感覚はあるけど、
まだ「途中」であるという気持ちが強い
(だいたいさ、年の区切りのほかに、年度の区切りがあったり、
誕生日による区切りがあったりと、区切りが多すぎる)
新たな目標を立てたり、心機一転したりする気にはならない
まだこの気持ちを持続させていく
年越しの瞬間は家の近くのバーで、友人と迎えた。
ヒューガルテンを飲み干したあとに、外に出たら、
確かに何かが変わった気がした
空気や街の気配が、2015年ではないものになったと
感じた
色が変わったように
それでも、自分の内側にある心の持ちようは持続している
2015年の正月に立てた目標は2015年に果たせなかった
2016年もそれを引き継いでいく