日銀が、二度目の金融緩和宣言をしたことで、
1ドル110円の壁を突き破り、いっきに円安にすすんだ。
自分が物心ついたあとで、円高から円安に向かう局面は
何度かあったと思う。
円高とか円安とかそういうのがニュースになるたびに、
それはつまりどういうことだろうと
思いを巡らせてみたりしたが、しっくり来たことがなかった。
というか、為替がどっちに動こうが自分にはあまり関係がなかったし、
そのリスクをヘッジしたりチャンスを掴むために制御する資金や才覚も
持ちあわせてなかった。
自分に影響もなく制御もできないことには、
しっくり来ないのは当然といえば当然だと思うのだけど、
今回は、わりと当事者意識をもって感じられる。
わざわざブログにそのことを書いてしまうほどには。
そう遠くない将来に、自分がその影響をもろに受けるかもしれないので、
「当事者」に以前よりもずっと近い立場になったということは
その要因としてあるけど、
でもやっぱり30歳を過ぎたあたりから、
そういうこと(経済事象・政治事象)が
ポツポツとわかってくるようになってきたという方が大きい。
その理解に対する確信は年々高まっている。(年々といっても2年だけど)
ガキの頃は、政治や経済のことがよくわからなかった。
ガキの頃は大人になったらわかるようになるのかな、と
思っていたフシもあったが、ハタチを超えてもわかるように
ならなかった。
だから、もっと積極的に理解しようと努めないと、
わかるようにはならないのだと思い、
時々思い出したように政治・経済のことを本を読んだり
時事ネタを調べたりして勉強しようとしては、
また他のことに興味がうつるというようなことを繰り返した。
20代の終わりになって、政治とか経済って、
一生わかるようにならないのかも・・・と半ばあきらめていた。
ところが、30歳を超えたあたりから、
政治や経済のニュースがわかるようになってきた。
わかるというのは、そのニュース単品が他のニュースや過去に起こったことと
どんな風につながるか、とか、こういうことが起こった後は
たいがい次にこういうことが起こってこうなる、とか、
そういうことが想起出来るようになったというような意味合いで、
あるニュースを聞いて、「うん、だからなに?」と思うことが
少なくなった。
他人ごとだった社会や世界のニュースが、
自分事のように聞こえるようになると、
ニュースを聞くことに対する体重のかけ方も強くなるし、
それによって新たな学びや成長も加速する。
やっぱり世の中のことを理解するには30年ぐらいかかるっていう
ことなのだろうか。
それとも、自分がちまちま断片的に勉強していたせいで、
世の中の出来事を理解するために必要なある一定の総知識量に達するのが
遅くなりたまたま30歳ぐらいだったのかは定かではない。
世界はつながっていて、なんと、驚くことに自分もそこにつながっている。
ほんと、この、「自分もそこにつながっている」ことに
気付くのが難しい。
世界のさまざまな場所がさまざまにつながりあっている、
そのことは想像できても(できているつもりでも)
自分もそこにつながっていることをリアルに想像することは
とてもむずかしい。
1ドル 120円ぐらいまでは行くんじゃないか。
140円もそう遠くない時期にあるかも。
160円まではなさそう。
とか、思っております。(根拠もなく、宝くじあたるかな的な)
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