五反田経由(CSLで途中下車)ですずかけ台へ。
出して来ました。
人生初の退学願。
出して来ました。
最初に専攻長にお会いする。
退学が正当な理由があってのことだということを説明する。
(いじめられて辞めるとかじゃないと確認してもらう)
それから名目上の指導教官のN先生のところに行き、
退学願に判子を押して貰う。
元々の指導教官だった茂木さんはもう東工大の先生じゃなくなってしまったので、
いまは別の先生が名目上の指導教官ということになっている。
(指導委託をN先生が茂木さんに出すことで実質的な指導教官は茂木さんになってる)
そうして記入の要件を満たした退学願を専攻事務に提出してきた。
その退学願は、次の教授会で間違いなく受理される。
ついで、大学院教務課に寄って、奨学金の返還のことと、
退学のための手続きのことを聞いてきた。
奨学金に関してはとくにやることはないとのこと。
退学の手続きは、残るは学生証の返却だけで、
そのためだけにまた大学に来るのは大変だから、
学生証は3月末まで持っていられたのだけど、
その場で返却してしまった。
財布の中で7年もの間、
ある地位を占めていたカードがなくなった。
その喪失感たるや。
そんなわけで。
自分はもはや学生ではなくなったどー!
生まれてはじめての中退をしてやったどー!
博士課程の5年間(そのうち3年が休学)を水泡に帰してやったぞー!
ついでに修士の2年間も反故にしたようなもんだぞー!
せつなくてせつなくて。
心のなかで絶叫してた。
オレはっ
博士課程をっ
退学っ
したっ
ぞっ
退学したぞっ
退学するしかなかったぞっ
博士号、取れなかった。
情けなくて情けなくて。
博士課程の学生であるということが、
休学中だったにせよ、自分の重要なアイデンティティだった。
「学生である」という自覚によるある種のエクスキューズが、
自分を甘やかし慰めてくれた。
もしあのままの状態だったにしても
いまだに学位は取れてないだろうし、
取れる見込みも相変わらず低かろうし、
ポスドクになったところで働き口はないだろうし、
その先には死屍累々のデスマーチしかなかった。
それでもやはりあの道を断念することは断腸の思いである。
せめて、査読付きの論文を1本出してから去りたかった。
アカデミアの世界に自分がいたんだという痕跡を残しておきたかった。
悔しくて悔しくて。
悔しくて悔しくて。
この復讐は必ずさせてもらう。