一個前のエントリで、「高橋市長と越谷の未来を考える会 」 に
でることになりましたと書いたけど、
まあ、そういうことです。
そういうところにのこのこ出ていく余裕が有り余ってるわけではないし、
そういうことに気を回せるほど心理的に気楽な状態でもなし。
人から「そんなことしてる場合なの?」と聞かれたら、
そんな場合ではないと答えるわけだけど、
出てみようと思った。
以前はもっといろんな文脈の中に自分はいて、
それぞれの文脈のなかでそれぞれの役割や立ち回りをして、
違う自分を演じることで、心のバランスを保っていた、と思う。
物事がうまくいっている文脈もあれば、
そうでない文脈もあって、
それでなんとか前を向いていられた。
でも今は、特定の文脈にがんじがらめで
その文脈の中にいるのが辛くて仕方ないので、
少しでも違う空気に触れたくなったのだと思う。
挫折と諦めと自己嫌悪の毎日で、
何か「やった」「できた」という感触がない。
そんな自分でも何か意味のあることができるということを
確認したいんだと思う。
もちろんそれなりの重責ではあるが、
ヘマをしても誰かが食いっぱぐれたり路頭に迷ったりするわけではない。
求められてるのは、普通の越谷市民の素朴な意見なわけだから、
自然体でいい(はず)なのだから。
今日は2回目の打ち合わせだった。
久々に知的でロジカルでそれなりに難しい話をして、
その話の中で打って打ち返される手応えがあって、楽しかった。
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