結局、フラフラになりながらかろうじて破綻を免れているのは、
運が良かったからだと思う。
ほんと、運がよかった。
いまに限らずうまれてから何度も何度も、
つまづきと再生を繰り返して、
ぬか喜びは十分してきたから、もうその感覚はあてにしない。
でも見えていなかったパズルのピースと
その組み合わせ方がわかった気がしたから、
ぬか喜びはもういやだけど、これを最後に歯を食いしばろうと思った。
あれこれ手計算してみて、
漸く、数学の解法を思いついた感じ。
数学の解法を思いついてもその解法が通用するかわからないし、
途中の手計算を間違えると結局は問題を解決できないので
それは解決したことにはならないけど、
その解法を試してみたいというわくわく感は本物で。
この世界に入って、ずっと先が見えなかったけれど、
やっと突破口らしきモノがみえた気がしてるんだ。
。。。。。。
そうやって、自分を鼓舞して、正気を保ってる。
元来、そういうヒロイックなナルシシズムが大好きで、
でも少しうまく行けば、その後に待っているのはうまくいかないことで、
繰り返しているうちに表現のインフレーションが起こって
自己陶酔が自分でも鼻持ちならないほどになってしまった。
だから自分語りみたいなのはやめてたんだけど、
webの世界がblogのようなstaticな記事から
twitterやfacebookのような流れていくことを基本とするflagmentalなものに
変質してきて、このブログもすっかり日陰になってしまったように思う。
このブログで良く読まれるのはHowTo系の記事で、
iPhoneをSIMなしでactivationする方法とか
OctaveをMacにインストールする方法とかで、
ナルシストの感傷記事はGoogleにはひっかからない。
自分の感傷を愛する自分としてはそれが切なかったのだけど、
でもその閑散とした感じがよくなってきて、
逆に誰も見てないからこそこの場所に回帰する気になってきた。
そもそもWebの空間はかつては、そういう空間だった。
この記事に共感。
かつて、俺たちはインターネットだった
それがWeb 2.0的なものに席巻されてそうではなくなってしまったけど、
twitter的なものがそれを更に押し流して、空き地をつくってくれた。
と思う。
見苦しいなんていってられないぐらいせっぱ詰まってるから、
こうして自分の作り出した物語の中に自分を引き篭もらせて、
その中をヒーロー気取りで突き進ませるんだよ。
必死で絡まるツタをかき分けるような仕草をしながらな。