誰だってそうだろうけど、その人をどの文脈から見るかで、
求められることや、是とされることが違う。
だから板挟みになるわけだよね。
今日もトラブルが起きて、でもそれは解決できて、
やっとこういう現場のトラブルに慣れてきたと思った。
だから、気分がよかった。
でも、そのトラブルの困難さも、解決したときの心地よさも、
違う文脈のひととは共有できない。
この場所では、自分しかなんとかできる人間はいないんだというロジックと
それでも、それは君の人生だから君の好きなようにしたって
誰も文句は言えないはずさというロジックが拮抗するのだ。
どうやったら、異なる文脈の人にその必要性が説明できるだろう?
どうやれば、同じ文脈の人にその文脈を削ぎ落とした視点からの価値観を
認めさせることができるだろうか?
どちらも不可能じゃないけど、スムーズにはいかないと思う。
自分はいま、囚われてしまっていて、
一種のストックホルム・シンドロームなのである。
その囚われの閉鎖系で過剰適応していて、
外に出るのが怖いのかもしれない。
でも、二度と金魚鉢からでられないのなら、
それはもうシンドロームじゃないよねと思った。