停電は思ったよりも心理的な負荷が大きい。
幸運なことに、ここ数日は停電を回避しているけど、
その日の停電がなくても明日はどうかわからない状態だと、やはり。
すこし前のブログに、「iPhoneがないとオレの能力は半減する」と、
書いたことがあったけれど、
今回、電力に不自由してみると、
自分がやっている仕事の8割は、「電気がやってくれている」という
感想を得た。
ガソリンの給油困難は峠を超えたようで、
まだ並ぶけれども三時間待ちとかではなくなった。
これで物流は回復するから、あとは製造だろう。
製造は、電力と同じく回復に時間がかかるだろう。
短期的には在庫があるからいいけれど、
そろそろ在庫が切れ始めるころで、
これから慢性的な物不足が続くだろう。
ただし、食料品で困ることはないと思う。
放射能の影響で風評被害は出ているが、
何せ日本は食料自給率の低い国ですから。
地震に端を発して起こった変化が、
いよいよ一般の人の生活への影響が強くなっていくだろう。
停電と電車の運休で十分影響をうけていると
見る向きもあると思うけど、
これからじわじわと広範囲に薄く不便が目立つようになっていくだろう。
これまで当たり前すぎて気づかなかったものが
なくなってみて、始めて気づいたということに何度も出くわすことだろう。
風が吹けば桶屋が儲かるとはよくいったもので、
いろんな人や物は幾重にも繋がった連鎖の中にある。
末端は消費者で、単に消費者の立場に立つだけでは見えないことが
働くようになってよく見えるようになった。
それで、途方もない連鎖の中に自分がいて、
自分は確かにこの世界の一部で他の全てと繋がっていたんだ
ということを実感してすごく楽しかったのを覚えている。
そう言えば、「その繋がっている」感じが、
来月発売される雑誌・母の友に連載されている僕のエッセイの
一つのモチーフになっている。
すごく苦心して書いたのけど、
客観的に見るとその繋がってる感じは伝わらないかなと思っていた。
けれどこういう状態になって、
そういうことを実感する人が増えたんじゃないかと思う。
ちなみに、いま発売中の母の友にはその連載の二回目が掲載されています。
告知を書こうと思っている間に時間が経ち、
そして地震が来てしまってそれどころではなくなってしまった。
地震からもう10日以上経って、そろそろ平常にもどって来ているつもりだけど、
ここのところちっとも仕事がはかどらない。
疲れているんだけど、眠れないような状態。
優先順位をつけようにも事態は流動的で、
すかさず様々な情報が入ってきて、
次の瞬間には仕事の電話が鳴っている。
意思決定ができなくなっている。
会社のトップマネジメントとしてそれはあるまじきことなんだけど、
停電と一緒に思考も停電してる。