地震発生からの初動は成功だったように思うし、
発生の翌日が土曜日、その次が日曜日でそれも幸運だったように思う。
そんで月曜日の鉄道の壊滅的な運休。
コンビニやスーパーの買い占め騒ぎ。
停電。
給油がまったくできない状態。
初動がはやかったのは、阪神淡路大震災のときに比べれば雲泥の差だろう。
当時の教訓が生かされているということかもしれないが、
単に、大きな揺れを感じる場所にこの国の首相がいたからなのかもしれない。
停電はやむを得ない措置だと思うし、
棚から物がなくなる心理もわかる。
電力を供給する主力の発電所が何台も止まったのだ。
仕方ないだろう。
食料や電池がなくなるのだって、
「次にもしかしたら自分の住んでいる地域にもあれぐらい大きい地震が来て
めちゃめちゃになるかもしれない!」と不安に駆られるほうが普通だろう。
そう思いこませようとするかのように、余震は何度もくるのだし。
今回の停電でどんだけ自分が電力を浪費しているのかがよくわかった。
「もし電気がなくなったら?水道がなくなったら?ガスが使えなかったら?」
とときどき考えてみたりして、
結構そのあたりのインフラに関しては意識していた。
例えば今回新しい家を建てるにあたって、
プロパンガスを入れるかどうかでかなり悩んだ。
全部電気の方が余計な配線をせずに済むし、
建物の内装も耐火性能をそこまで気にしなくて済むが、
もしも電力の供給が途絶えたら、
オール電化だとエネルギー源がなくなるという危惧があって、
プロパンガスを入れるかどうかなかなか決められなかった。
水に関しては断水が起きても数日は飲み水を確保できるように
水ボトルサーバーを置いてある。(お金がかかるけど)
一方で過剰に心配をしていたわけでもなくて、
例えば新潟中越沖地震の時はインフラの復旧はかなり早くて、
電気(数日)、水道(1週間)、都市ガス(1ヶ月)のタイムスケールで
復旧していたから、風呂はしばらく入れないだろうけど、
電気は1,2日我慢すれば復旧するからそれをしのげば大丈夫だろう
というのが有事が起こったときの予測だった。
そんな風にある程度自分の生活を支えているインフラについて
考えてはいたのだが、やはりなくなってみてはじめてわかることは多くて
今回、様々なインフラが失われてみていろいろと学んだ。
いま住んでいるところは別に道路が陥没したりしているわけではないので、
多少混乱はあるだろうが物が不足することはないだろうと思っていた。
自分のやっている仕事が物流に近いこともあって、
日本の物流力がいかに強靱なものであるかは肌で感じていた。
しかし、それはあまかった。
たしかに日本の物流は強靱だが、
同時にそれは需給予測が完璧になされることで成立している。
人々が不安に駆られて物を普段とは異なった買い方をすると
途端にそれまでの需給予測は反故になり、
そのあまりの急激な需給の変化に物流が対応できなくなる。
そこにガソリン不足も追い打ちをかける。
これで負のフィードバックになるわけだ。
みんな一斉にものを買いに行く、
クルマを動かす、
渋滞する、
ガソリンも足りなくなくなるかもしれないとGSに殺到する、
GSに殺到したせいでさらに渋滞する、
物流のトラックに遅れがでる、
店の棚が空になってさらに物不足の不安がかそくする、
渋滞がひどくなる、
ガソリンを運ぶタンクローリーも渋滞によって供給が送れる。
それでも、需要が一巡すればおさまるかなと思っていたら
やっぱりまだ収まらないし。
今日はなんとかうちの会社は営業できたけど、
いよいよガス欠の心配がでてきた。
3台ぐらいのクルマが残りのガソリンが僅かで、
ガソリンの備蓄が充分あるのはよくわかっている。
だけどそれのGSへの供給が間に合うか。
黒字倒産みたいな状態にならなければいいが。