先日、知り合いの方がドコモのスマートフォン「GALAXY S」を持っていたので、
見せてもらった。
そうしたら、iPhoneにそっくりだった。
デスクトップ画面のインターフェースはボタンのテカリの付け方や
配置や個数までほぼ一緒だった。
例えばiPhoneにはヤフーオークションのアプリがあるんだけど、
GALAXY Sにも同じアプリがあって、アプリのアイコンがまったく一緒だった。
アプリの追加の仕方はAppleのApp Storeに相当するAndroid Marketが
あって、そこから購入する模様。
特筆すべきは機種の軽さでiPhoneの半分か3分の2ぐらいの軽さだった。
もっとダメダメな端末を想像していたので、
予想以上によくできていて感心した。
iPhoneの良さの本質は、端末として優れていることではなくて、
その端末に様々なサービスを提供するインフラがすでに完備されていることである。
iTunes Music Storeの延長線上にあり、
登録したクレジットカードで簡単に決済ができるApp Storeであり、
それと同じような枠組みで音楽が購入できたりすることや、
Macと同期させることでメールアカウントや音楽や写真が簡単に
iPhoneにもコピーできることである。
Android端末だとそうはいかないだろうと思っていたのだが、
Android Marketでアプリが買えるみたいなので、
そういう端末の外部のインフラ環境も
大分整備されているのかもしれないと思った。
それで、そういうAndroid端末を見て、これなら普及するかもなと思った次第。
端末を1,2分しか触らせてもらってないので、
あまりエラソーなことを書くのもあれなのだが、
現時点では間違いなくiPhoneの方がリッチなユーザーエクスペリエンスを
与えてくれると思うし、おそらくその差は縮まっても
当分はそのままだと思う。
だけれども、いずれはAndroidのシェアがiPhoneのシェアを逆転するのだろうな
という直感を持った。
それはつまり、「悪貨が良貨を駆逐する」という意味で。
あるスマートフォンがある程度の水準に達していれば、
あとは品質ではなくて、価格や手に入りやすさでそのシェアは
決まってくるだろうという予想。
昔はそういう事が解せなかったけれども、
最近はわかるようになった。
昔は「悪貨が良貨を駆逐する」ということわざは、
「良くない現象でも、はびこるときははびこる」というような
意味で捉えていた。
でも最近は、それとは違う含意がそのことわざには有るんじゃないかなという
気がしてきた。
「流通すること・普及すること」と「品質がよい」ことは等価じゃない
ということなのだと思う。
流通する通貨は「良貨」でなければいけないか?と考えると、
実はそうでもないことに気付く。
通貨が金や銀そのものの価値を体現していた場合は、
悪貨を掴まされることは損をすることになるので、よくないことだったが、
現代のように通貨が抽象的な価値を担保する存在になると、
もはや良貨や悪貨という概念がそもそもなりたたない。
新札の千円だろうが、よれよれの千円だろうが、千円は千円で、
そもそもそれはただの紙でしかない。
お金の本質的な価値は流通することそのものにあるので、
お金とされているものの価値は流通することとはあまり関係ない。
流通量が多いお金こそが価値があるのであって、
そのお金に具体的な形を与える何かは
(それを扱う人が気にしなければ)
なんだっていいのである。それこそ紙切れでOK。
そういうことを考えると、
「品質がよい」ものが普及するのではなくて、
まさに「普及しやすい」ものが普及しているに過ぎないじゃんということになる。
もっとも普及しているレストランはなんですか?っていうと、
それは高級フレンチのお店じゃなくて、
ファストフード店なわけで。
もっとも多数の視聴者を獲得できるメディアはなんですかと聞かれれば、
やっぱりテレビなわけで。
だから、爆発的に流行したり、巷にはびこっていたりするものをみて、
「なんでこんなものが普及しているんだ!」と憤るのは、
「質がいい物が普及する」「質がよくなければ普及してはならない」という
ドグマにその人の頭が支配されているからで、
何かが普及する原理と、質のよいものを構成する原理は
別のものなのだよということをよくよく理解する必要がある。