フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

大胆に、素早く

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もうすぐ自分が乗っている車ともおさらばで、
新しい中古車が来る。
いま乗ってる車が15年落ちの10万キロの車で、
かなりオンボロである。
まず、パワステが付いてなくてハンドルがとても重い。
大きく早くハンドルをきるときは腹筋に力を入れて、
気合いを入れないと回らない。

エアコンをつけると目に見えてエンジンの出力が低下し、
今年の夏はクーラーを最強にして走るとエンストするのでマイッタ。

他にも細々と使いづらいところはあるが、
一番厄介なのが走っていると勝手にエンジンオイルが減っていくことである。
普通、エンジンオイルは減らない。
汚れていく。
だから一定期間ごとに車のエンジンオイルは交換する。
自分がのっている車はオイルが減っていくので、
交換せずに継ぎ足している。
なんで減っていくかというと、おそらくガソリンと一緒にオイルが
燃えているのである。
その証拠に車の後部は洗車をしても三日ほどで黒く汚れてしまう。
おそらく、オイルが燃えた排ガスだろう。

免許をとってから親父にあの車をあてがわれて、
それからずっとあの車が愛車だった。
だから愛着もひとしおだし、あのオンボロに乗っていることが自分の
アイデンティティの一部の様な気もしているので、
後ろ髪ひかれないこともないのだが、
いかんせん、毎日車に乗るようになると、
どうしたってその不便さが積もり積もってしまう。
それでひと月ぐらい前から知り合いの中古ディーラーさんに、
代わりとなる車を探してもらって、
やっと見つかったという連絡があった。
だからもうすぐこの車ともお別れである。

寂しいけれど、これで運転に伴うストレスがかなり軽減されるのではないか
という期待のほうが上回っている。

車といえば、嫁の方も遂に車を買った。
車社会のこの街で、よくもまあ車無しで育児ともどもがんばったと思う。
ずっとどうしようか悩んでいたけど、やっと決断してくれてよかった。
車があると便利だけど、職場復帰して電車通勤になったら不要になるかもしれないし、
それにそもそも運転は苦手だしというのでどうしようかこうしようかと
数ヶ月悩んでいた。
だけど、一度中古車を店に連れて行ったら、
その一週間後には、買うという意思決定をすることができた。

その変化がとてもうれしかった。
どちらかというと優柔不断な彼女がスパっと決意を固めることができて、
成長したな、と思った。
具体的な選択肢を見せることで具体的に様々な想像をすることができるようになって、
判断を先延ばしすることの損失に気付いたのだろうと思う。

大事な決断をするときは慎重に考え抜くことが大事であるが、
大胆に素早く決断を下すことも同じぐらいに重要である。
考えて考えて、結局判断できないのが一番よくない。

素早く大胆に意思決定をすることの大事さは、
何度も真剣な意思決定を繰り返さないと身につかない。
慎重に考え抜くことは大切ではあるけれど、
考えてもわからないことが多くて、
結局そのことばかりを考えていても仕方がないという
諦観と表裏一体になっていると思う。
考えたってわからないんだから決めてしまえ!という大胆さがうまれ、
考えたってわからないことを考え続けて、意思決定が遅れて、
最終的にもっとはやく決断していたときとの機会損失の差が大きくなるのが
わかるから、決定が素早くなる。

真剣な意思決定を何度も繰り返すためには、
結局、責任のある行動の主体となって、
判断の矢面に立たないといけない。

そういう意味で僕の母は、親父が死んだことで、
舞台裏から判断の表舞台にひっぱりだされて慣れないことの連続だったろうと思う。
そんな中で母も成長して、僕が何もかも考えて判断しなければ
ならなかった七ヶ月前よりはずいぶん楽になった。

自分は家庭でも会社でもマネージャー的な立場にいる。
だから、複雑で深刻な意思決定を何度もすることになる。
もちろん家族のことも会社のことも、
全責任は自分が持つという覚悟はできているし、
そういう立場にいることをきちんと理解している。
けれど、苦しいことは苦しかった。
半年と少し経って、いままで自分でやっていた意思決定を
肩代わりしてくれるようになって、
まわりが成長したのを実感しているし、
悲壮感でいっぱいだった気分もずいぶん気楽なものになった。

この表現が正確なのかどうかわからないけれど、
いまの「楽になった気がする」という感覚は、
たぶんそういうことなんじゃないかとおもう。

自分の能力を向上させることばかり考えても、
有効ではないのだなと思い始めた。
マネージャーなら特にそうだろう。
マネージャーは個々のプレーヤーの能力を如何にあげるのか、
そして、個々のプレイヤーの能力向上に時間を割かずに
いかにチーム全体の力を上げるのかを考えないといけないだろう。
マネージャーがいかにプレイヤーとして能力が高くても仕方ないのだ。

よく、「一流の人は一流の人を同じバスに乗せたがり、
二流のひとは三流のひとをバスに乗せたがる」ということを言う。
これは、一流のひとは一流の人と仕事をしたがるし、
二流の人は自分よりも劣ったひとと仕事をしたがる、という意味だが、
この警句には昔から違和感があった。

ひとを能力でわけて、そこから選りすぐりをして、
良いチームをつくることができるという考えが前提としてあるようにみえるが、
僕はそんなことは普通はできないのではないかと思う。

誰と同じバスに乗り合わせるか。
それは個人ではコントロールできないことの方が多いのではないか。
たまたま乗り合わせた人とどうやってうまくくやっていくか。
それこそが人生の醍醐味なのじゃなかろうか。

あるときはプレイヤーになって、
あるときはマネージャーになって、
そうしてお互いに高め合うようなチームとなって、
あるゴールを目指す。
ゴールに到達したらそのコミュニティは消滅して、
メンバーはあらたなグループの成員となって消えていく。

そういう在り方が、美しいと思う。

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