フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

この危機感は自作自演の恐れもあるけれど

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5月は総会のシーズンだということを身をもって体験している。

3月で前年の4月から1年間の年度が終わる。
その決算をきちんと確定するのに1カ月以上かかり、
決算が確定したところで総会が開かれる。
だから5月は総会のシーズンなわけである。

地元の法人会と高圧ガス関係の協会の総会があって、
何度かそういう場に顔を出してきた。

予想通りに、年寄りばっかりだった。
地元の法人会なんか9割以上が60歳以上だったんじゃないか。

この人達に罪はない。
それでもオレはこの人達を葬ってあげないといけない。
慣れない名刺交換や社交辞令のあいさつをぺこぺことしながら、
冷めた目でその場を俯瞰し続けた。

本当にこの人達には罪はないし、
うちの親父と似た気質をところどころに感じたりして、
愛すべきひとたちだと思ってる。

それでも葬らなければならない。

前にも書いたけど、これから急速に代がわりすすむと思う。
役員が10人以上いる大企業は別として、
この国の70%を占める中小企業は、後継者の問題は切実な問題のはずだ。
中小企業のトップは大抵団塊の世代の人たちで、
その人たちがいよいよ引退の時期を迎える。
それも一斉に。

もちろん60歳を過ぎたって働ける人はいる。
けれども、老齢は確実にそれを苦しいものにしてゆく。
中小企業の社長というものは
その双肩にすべての会社が持つ社会的責任や従業員の生活がのしかかっている。
苛烈である。
その重責は確実に老体には毒になる。

それでもあっさりと「もうやめた」と言える人は救われる。
けれどもせっかく人生の半分以上をかけて築き上げたものを
そう易々と手放せるものではない。
かといって、後継者を育てるのは会社を創業するのと同じぐらい難しくて、
家業を代々継ぐのが当たり前だった江戸時代とはいまは時代が全然違う。

そうなると、やめるにやめられないし、
さりとて代わりになってくれる人もいないから結局自分でやるしかない。
会社が倒産するのが先か、
社長が倒れるのが先かという状況になるのだと思う。
そうして強制的に代がわりが進む。

3つの道がある。
第一の道は残された社員で会社を存続させるというもの。
それはまっとうな代がわり。

第二の道はそのまま店仕舞い。
その会社がなくなっても社会的に影響が少ない場合はたぶんそうなる。
会社がなくなっても、その会社が提供していたサービスがなくなると
社会的な混乱をまねく場合がある。
その場合は第三の道がある。

その第三の道は、大手による買収。
大抵の場合、商売をやっているところは懇意にしている得意先がある。
そういう得意先は大手であることが多く、
買い取るだけの資力が在る。
そうして会社がひとつなくなる。
労せずして新たな商圏を手に入れ、大手はさらに肥えることになる。

いまこの国では、そういう流れがすごい勢いで進行しているのが
肌で感じられる。
というか自分はその代がわりのまっただ中にいて、
ひとまず第一の道を取ったけれどもこの先第二、第三の道に転落することも
十分ありえる。

老人たちを葬ることと、会社を存続させることがどういう関係にあるのか、
ロジカルには説明できない。
ただ、会社を存続させるということは、会社固有の問題ではなくて、
この国全体のシステムが耐用年数を過ぎて自壊しつつあるという問題を
解決することだと直感している。
あるいは、これも理由は説明できないけれども、
大手に吸収されることは非常な喪失であると感じている。
マクロに見たら、それは効率化なのかもしれないが、
この国の閉塞感は一層増すような気がする。

わからない。
わからない。

満員電車のなかで態勢を維持しようと必死になって力をいれているけれども、
どうにも我慢の限界で力がゆるんでしまって、倒れる!と思っても
姿勢は力をゆるめる前と後では変わらないなんてことがあるものだけど、
いまももしかしたらそんな状態なのかもしれない。
オレが一人で必死こいてるだけで、
がんばるのをやめたところで大勢はびくともせず、
自分の立ち位置も変わらないなんてことが。

それでも、来年の春まではこの戦いを続けよう。
経営者は孤独であると、嫌ってほどに感じた3か月。

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