まだまだ先は長いのだろうと思う。
そのためにオレは人生の大半を費やすことになるのかと思うとぞっとする。
1ガスディーラーとして人生を終えることになるとしたら勘弁してほしい。
では、いますぐに会社を畳むか?
そうしてオレはまた大学院生に戻る?
それはそれで、怖いんだと思う。
よく「大学院の博士課程に在籍しています」っていうと、
大抵、大学院のことをしらない人は
「すごいですねえ」という。
でも、博士号を取ったのならまだしも、
大学院の博士課程に在籍していること自体はすごくもなんともない。
少し親が裕福だったり、そうでなくても、
バイトでお金を稼いだり(返済義務のある)奨学金を借りれば、
要は授業料さえ払えばほとんど誰だってなれる。
だから博士課程に在籍することはちっともすごくないし大したことない。
「でも、博士の学位を取れば末は教授とかになって将来安泰でしょ」
と言われる。
それはまあ、そういう人もいるのかもしれないけれど、
自分の場合にはそれはまったく当てはまらなくて、
博士の学位が取れたところで仕事を得てお金を稼げる見込みはなかった。
だから、会社を畳んで大学院生に戻ると言うことは、
(田舎の零細企業だけど)社長という社会的地位も
しっかりとした収入もある身分を捨てて、
ノーフューチャーな貧乏学生に戻ると言うこと。
ノーフューチャーだろうとしっかりとした収入がなかろうと
そんなことは自分にとって大したことではないのだが、
いつまでもそのままでいいとも思っていなかった。
博士課程の2年目が終わろうとするころになると
自分が博士号を取得できる見込みがとても低いということを
痛感せずにはいられなかった。
自由意志や自発性について考えることは博士課程に在籍したり
学位を取ったり、大学に教員の職を見つけなくったって、できる。
カール・ポパーのように市井の思索者として生きる道だってある。
だからもう未練がましく学生でいるのはやめて、
もっと自分の力を生かせる何かをはじめたほうがいいのではないか?
いや、もう少し頑張れば、あるいはなんとかなるのではないか?
博士課程に在籍できるぎりぎりまでねばってみてそれでダメだとならない限り、
一生学位をとることを諦めたとを後悔するのではないか?
そんな葛藤をずーっと抱えて過ごしていた。
そんな折に降りかかった親父の死と社長就任。
一瞬、「解放された」と思った。
でも、何のことはない、長いトンネルから
また別の長いトンネルに切り替わっただけだ。
その切り替わりのほんの一瞬の青空が目に染みた。
look there is a light burning way ahead. you follow the light,