今日は午後から頭と体の調子がよくなってきて、
こうなってくると、「やってやる!」という気概に溢れてくる。
この国はもってあと15年で、10年ぐらいできっとダメになる。
そうさせないために一矢報いたいと思う。
埼玉の中小企業にそんな大役が務まるとは思わないけど、
でも、ありったけのモーメンタムで進路を変えてやらなければと思う。
この国の9割の人たちはこの国の駄目さ加減をきちんと認識できていない。
だから本気で危機感を持つことなんかない。
残りの1割のうちの9割のひとたちは、
口でダメだダメだというだけでまったく無力だし、
現実というものが全然わかっていない。
(そして残った半分の人たちはこの国から出て行く)
正論を吐くのは簡単だが、
現実には「経路依存性」の問題がある。
リセットボタンを押して、1から作り直せるのなら
この国はいとも簡単に立ち直るだろう。
けれども、ゲームと違ってリセットボタンはどこにもない。
既存のシステムを失速させることなく、
新たなシステムに移行させないといけない。
そのためには、相当入念な段取りが必要になるだろう。
この国を変えるために必要なことは、
その入念な段取りであり、それこそが肝なのであって、正論ではない。
実現可能なプランがあり、
それを実行するための覚悟と度胸と才覚があってはじめて
正論を吐く資格を得る。
本当はリセットしたほうがきれいになってよかったんだ。
うちの会社も解散してしまった方が
後々のこの国のためには良かったんではないかと思うことがある。
そうすれば旧世代の遺物をふんだんに含んだ非効率なシステムはなくなるし、
能力のない人材は淘汰される。
結果、この国は効率的になる。
それでもそうできなかったのは、
自分が「既存のシステム」の一部であると思ったからであろう。
陳腐だけれど、自分は自分だけではない。
妻と子供がいて、母と妹がいて、親戚がいて、
会社の社員がいて、親父の仕事関係の人たちがいて、
地元の古い交友関係の人たちがいる。
その幾重にも錯綜した人間関係の中でオレは生きてきて、
それまでの消しがたい記憶がリセットボタンを押そうとする自分を押しとどめた。
頭の中のいたるところにこびりついた記憶が、
「既存のシステム」に組み込まれた存在であることを
自分に知らしめた。
捕食者と被食者。
結局オレは被食者だったのだと思う。
食べられる方は死にものぐるいで抵抗する。
その断末魔を演じるのがオレの役割なのだろう。
そしてこの国の不幸は、内部に優秀な捕食者がいないことなのだ。
誰か華麗にこの国のシステムを一掃してくれないか。
親父が死んだとき、
それを親父の死だとは受けとらなかった。
それは、これまで営んできた「野澤家」というシステムが
すでに持続可能なものではなくなっていたということであり、
さらにそれは、我が家に固有の問題ではなく、
この国全体が相似な形ではらんでいる問題なんだと思った。
だから、親父の死の弔いは、この国の変革でしか遂げられないと思っている。
なぜ親父は死ななければならなかったのか。
それは、くそったれなこの世界のせいだと。
現代において人間として生まれたんだったら
やることは心脳問題に取り組むぐらいしかやることないだろうと思っていた。
けれど、すでに持続可能性の絶たれたこの国を変えるという仕事も
あるじゃないかと最近は思っている。