フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

持たざるものの自由

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最近は日記が”世界系”で困る。

でもついついそういうことを考えてしまう。
何かから「抜け出し」たり、「突き抜け」たりするイメージは、
強烈に何かしらの行動を駆り立てる。
走り出したって、適切な揚力を発生させられなければ、
やがて壁に激突して目を回すのだから、
それまでは旋回を繰り返す。

それにしても(やっぱり世界系になってしまうのだけど)
ひとつの時代が終わろうとしているのが強く感じられる。
いまのこの時代の秩序は団塊の世代が作ったといってまず間違いなくて、
その秩序が加速度的に崩壊していっている。

秩序の崩壊は耐用年数が切れているからというよりは、
その秩序の担い手がドロップアウトしていっているからだ。
耐用年数はおそらく20年ぐらい前に切れていた。
耐用年数が切れていたにも関わらず、
ここまで続いてきたのはやっぱり担い手の団塊の世代の人たちが
がんばったからだと思う。
(それが良いか悪いかは別にして)

それでもそういう人たちが、定年退職で社会的にいなくなったり、
オレの親父のように生物学的にいなくなることで、
無理やり押さえつけることで保っていた秩序は
一気に瓦解に向かっている。

ぎちぎちに引き絞ったワイヤーがぶちん!ぶちん!と外れていく音がしている。

そうやって瓦解した秩序のあとに残るのは絶望ではなくて自由だと思う。
戦後の焼け野原がどんなだったかはわからないけれど、
家も食い物もなんにもない代わりに、
とてつもなく自由だったのではないかと思う。
それは何かにぶら下がって生きている人にとってはこの上なく不都合だけど、
すこしでも野心と才覚のあるやつだったら
最高に楽しい挑戦の場だったはずだ。

この国の、現状で唾棄すべき点は何かアイディアがあっても、
どうせどっか大手がやってるんだろうな、とか、
きっと法律で規制されているんだろうな、とか、考えて
諦めさせてしまう空気である。

持てる者に義務があるように、
持たざる物には自由がある。

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