二月と三月って日付と曜日がまったく一緒なんだ、
ということにはじめて気付いた。
一ヶ月前の今日も日曜日だった。
あの日曜日から劇的に変わった。
悲しみに暮れる暇もなく。
親父の遺影の前で線香をあげる時間だってなくて、
その前をただ通り過ぎるだけ。
朝8時に会社に行って、帰りは夜の9時ごろ。
それが月曜日から土曜日まで毎日で、
かろうじて日曜日に休息が取れる。
でもその日曜日も、引っ越しの準備や
四十九日の打ち合わせ・来客・その他で慌ただしくすぎていく。
夜はびっくりするほど深く眠れる。
そして毎朝筋肉痛とともに起き上がる。
現場の配送も、社長としての来客の対応も、
コンプライアンスに関する書類の準備も、
新たな注文や見積もりの依頼の対応も、
工事の監督作業も他社との打ち合わせも、
会社の業務のあらゆることが降りかかってくる。
課題・問題は山積みである。
二年ぐらいで研究に復帰できたらいいなと思っていたけれど、
やっぱりもうあちらには戻れないかもしれない。
それでも、単に親父の跡を継ぐつもりはないし、
死ぬまでガス屋としてやっていくつもりはない。
だったらこの会社を自分のすきなことができる会社にするまでだ。
海外の人にとって日本の企業といったら
トヨタやソニーが浮かぶだろうけど、
どうせだったらそういう会社にしよう。
国際的な存在感のある会社に。
そうして、
急速に崩壊していくこの国の閉塞感を
打破するような仕事をしよう。
でもガス屋をやっていたら到底そんなことはできないから、
じゃあどんな方向に行けばいいのかと考えていた。
儲かる儲からないではなくて、
今のこの国を一歩前進させるクリティカルな次の一手は何か?
数学では3次元の問題を一度N次元の問題として一般化することで
解がもとまるということがある。
N次元の問題を解けば、そのうちの一つの例である3次元の問題は
演繹的に求められるというわけだ。
この国を変えるという問題を、
この世界を変えるという問題に一般化してみるといいのかもしれない。
この国は成長はしたのに成熟はしていない。
経済規模が大きくなったのに、
生産性は30年前と大して変わってなくて、
その効率の悪さを過剰な労働でカバーしている。
この国では下手に働くと、
その非効率さにより労働コストの低いよその国に簡単に負けてしまう。
下手に働いてはいけないのだ。
いま1時間かかってる仕事を10分ぐらいでできるようにならないと
この国には未来がないだろう。
なんとなくコンセプトはできてきて、
これからのこの世界にとって必要なのは
物理的な制約を超えること。
空間的・時間的な制約はITとネット興隆のいまにこそ際だって感じられる。
ITとネットを使えばもっとそういう制約は超えられるはずだ。
もっともっと技術を発達させてインフラを整備することで、
パーコレーション転移のような決定的な変化が人類に起こるはずである。
印鑑証明を取得しに越谷から品川まで往復で3時間もかけたりしてはいけない。
確定申告の書類を出すのにじりじりと列に並んで順番がまわってくるのを
待ったりしてはいけない。
そんな迂遠なことをしていてはいけない。
・・・・そんな妄想を、寝る直前の束の間に
まぶたの裏に描いてみる。