昨日の嫁からのメールで、無事出生届を提出した由。
晴れて息子に正式な名がついた。
生まれる前から、時折嫁と二人で名前を考えていた。
きっと生まれてからじゃバタバタするだろうから早め早めにと。
出産の数週間前まで男か女かわからなかったので、
男の時の名前と女の時の名前を両方。
だいたいオレが提案する名前は却下されるし、
嫁が提案する名前も自分としてはイマイチという感じで、
しばらく平行線だったけれど、
男の子!とわかった時点でほぼ2つの名前に絞られていた。
片方は男らしくて勇壮な名前で、
もう一つは音の響きと字面が涼やかな名前。
あとは顔を見てから決めようと言ってその先の判断は保留にしておいた。
そして出産の日、新幹線に大慌てで飛び乗った日、
新潟に着いたらすごく良い天気だった。
それまで新潟は豪雪の天気が続いていたのに、
まるであつらえたような良い天気だった。
雲一つない快晴といわけではないのだけど、
その雲もかなり上の方にあって、
空の果てしなさをよく表現していた。
駅から病院に向かう車の中で、
その天気のいい空を見ながら、束の間、急いた気持ちを忘れて
強い全能感を感じた。
それで、名前は男らしい方の名前にしようと思った。
その後、嫁や周りの家族に相談して、やはりその名前に落ち着いた。
子供は生まれてくるときにたくさんの名前を引き連れてくる。
オレには”父”という新たな名がついて、
嫁には”母”という名が、
オレの親や嫁の親には”祖父”や”祖母”という名前がついて、
オレの妹には”叔母”、嫁の弟には”伯父”という名がつく。
だからそのお返しに、君に名を授けよう。
* * *
ところで、まだ子供がお腹の中にいたころ、
オレは子供のことを「たかし」と呼んでいた。
幼名ならぬ、胎名である。
出所は、ラーメンズのコント「たかしと父さん」。
このコントがすごい好きで、
しかもこのコントの中のたかしと父さんの関係がすごくいいなーと思っていたので、
迷わずそう呼んでいた。
そのうち嫁も感化されて「たかし」と呼び出す始末。
こういうダメ父さんになりたいなーと
密かに思っております。
父さんすごくダメだけど、
なんかすごく楽しそうな家庭になりそうじゃないですか。
実は結構本気で「たかし」という名前を付けようと思っていたのだけど、
それはあんまりだという周囲からの声もあり、
結局別の名前になりました。
もうこれからは「たかし」と呼べない。
そのことがちょっと寂しい。
その名前に未練があるわけではなくて、
まるで「たかし」と呼んでいた存在が
消えてなくなってしまったような感覚がするから。
似たような感覚が嫁が妊娠して間もなくの頃にもあった。
妊娠初期のころ、まだ性別がわからなくて、
でもオレは勝手に女の子だと信じていた。
ブランキージェットシティーの”悪い人たち”という歌の中に、
彼の恋人は妊娠中で
お腹の中の赤ちゃんは
きっと可愛い女の子だから!
という一節がある。
その一節を頭の中でリフレインして、
うちの子供もきっと可愛い女の子だから!と
女の子が生まれて成長していくまでのことを何度も夢想した。
でも、それからしばらく経ってから、女の子かもしれないけれど、
男の子かもしれなくて、どちらかはいまのところ全然わからないというのが
わかったときに、急に女の子だと思っていた確信が揺らいだ。
そうしたら、それまでの女の子が生まれたときの想像が
一片に吹き飛んでしまって、強い喪失感を感じた。
まだ存在しないものでも、
それを仮想し、そして消えてしまうと、
存在していたものが消えてしまったときと同じような悲しい気持ちを
抱くことがあるんだということ。
仮想によって、こんなにも切実な想いが生まれることをはじめて知った。
茂木さんが「脳と仮想」という本の中で、
仮想についてあんなに深く思索したわけが分かった気がした。
これまであまり書かなかったけど、
そんな風に子供が生まれる前も、子供にまつわる淡くて繊細な感情が
ほんのりと降る雪のように静かに落ちてきては、
地面に落ちて儚く消えたのであった。
* * *
ところで、子供の名前ですけど、ここでは書きません。
僕はある信念と覚悟を持って、このブログを実名で書いているけれど、
そういった矜恃をいまの子供に持たせるなんてできないので、
彼のプライバシーポリシーが定まるまでは伏せておきます。