近所に八百屋が開店した。
他にも最近は商店街に中華料理屋ができたり、韓国料理のお弁当屋さんができたり、
新しいスーパーが開店工事中だったりと、
我が中延商店街は出店ラッシュが続いている。
日本経済、回復してきた?
* * *
先の戦争を評して
「日本は馬鹿だからあんな負けるに決まっている戦争をしたんだ」
と言う人がいる。
でも戦争の日本近現代史なんかを読めば、
如何に当時の政治情勢が逼迫していて
日本はあの戦争をせざるを得ないやむにやまれぬ状況に追い込まれていったかを
理解できるし、
あるいは失敗の本質を読めば、
あの戦争が負けるに決まっていた、という考えも危ういというのを知るだろう。
大本営の参謀達は勝てる戦略を持って戦争に臨んでいたし、
それは客観的にみても、100%負ける戦略ではなく、
ここがこうなっていれば勝てたかもしれないと思わせるものだった。
そういうディテールを知らず安易な言葉を吐く輩は確実にいて、
そういうのを見るに付け、
ナイーブでいることを"罪"と呼びたくなる烈しい感情がわく。
もうひとつよくあるのが、
リーマンショックに端を発する現今の金融危機を引き合いに出して
金融資本主義を悪として断罪し、
強欲から目を覚ませと投資や投機などの金融活動を全否定する言説である。
彼らにとっては
オブションやデリバティブといった素人目には訳のわからない金融商品を、
強欲な人たちによる強欲を満たすための産物としてしか見ない。
それは無知と無理解からくる不安感を
倫理的な美名を盾にして丸出しの嫌悪感に転化する恥知らずな行為でしかない。
それが未来の不確実性に対するリスクをヘッジするための
一種の知恵であるという側面にまったく気付かない。
それで汗して働いた金以外は金じゃないだの、
過剰に富を追い求めるのはやめろだのと御託を並べる。
そう思うのは勝手だが、自分の倫理観を他人に押しつける言説ほど
醜いものはない。
そして人類と人類を取り巻くシチュエイションの進化を
まったく無にすることを言っているということに
気付かず気にも留めないその鈍感さに閉口する。
ひたすら軽蔑するだけで思考停止。
「わたしは素人だけど・・・」というエクスキューズを付ければ
ディテールを知らなくても本質を語ることが許されると思っている。
二重の意味でナイーブであり、二重の意味で罪深い。
はじめまして。
茂木さんの講義などに参加しているうちに、こちらに辿り着き、日々楽しく拝見させていただいています。
今回のエントリー、とてもいい意味で衝撃的でした。
まったく同感です。
それに、こういうメッセージを目にすると、これから先の世界はもっとよくなるに違いない、という気がしてきます。
私もしっかりせねば・・・と思ったりしました。
I like it when words are expressed with passion. Good entry!