いつもよりコーヒーを濃いめに淹れた。
別に眠気覚ましに濃いコーヒーを、と思ったわけでなく、
「このコーヒー豆も風味が落ちてきたから早く使い切って
新しいのを買いたいな」という動機からである。
そしたら、おいしかった。
それで、普段が薄すぎたんだ、と思った。
昔から貧乏性で、お湯を注ぐ系の食べ物は
気持ち多めにお湯を入れてしまう。
例えばクノールコーンスープとか。
ある時にカップ一杯とマグカップ一杯はだいぶ量が違う
ということに気づき、
カップ一杯のお湯でクノールコーンスープを作ってみたところ、
濃厚で豊かな味が感じられた。
こんなの絶対ケイン(濃すぎ)だよと思っていたけれど、
飲んだら普通においしかった。
人間の味覚は化学物質の濃度と線形ではないのだということだ。
味覚だけではなく、知覚全般がそうだけど。
おなじ10グラムでも、
100グラムのものを手に持っているときと
1キログラムのものをもっているときでは、
乗せられた時に感じる重みは違う。
でも、味覚の場合はそういう逓減的な非線形性とはまた違う気がする。
ちょっと入れるとおいしくて、もっといれるとまずくて、
もっともっと入れると全然別の味になったり、
あるいは他の物質の有無でも劇的に味が変わったり。
次はどんな豆を買おう。