ゼミで発表だった。
Gambling Urges in Pathological Gambling
相変わらず、よく知らない論文誌から妙なのを選んできてしまう。
ほとんど「urge」という単語に反応しただけだったりする。
でもね、池波正太郎は言っているよ。
ダメな映画というものはないと。
その映画が何でつまらないかを考えることで得られる物はある。
だから、どんな映画だって見て無駄だったということはない、と。
ま、自分なりに収穫はあったさ。
おもしろさの閾値を超えられなかったひともおわしたが。
それはともかく、今日もひどい論文紹介であった。
博士課程になったはいいが、上手に論文紹介できない。
ちょっと前のオレだったら、間違いなく、
発表後数時間は誰かと口を利いたり、目を合わせたりできないほど、
深刻に落ち込んでしまったはずだけど、
もう平気。
いまは根拠のない自信が、胆の中にたゆっている。
自惚れと言われてしまったらそれまでだけれど、
ゼミの場で情けない発表をした自分が
今の自分のすべてであるわけではないんだ、
ということをこの一年で学んだ。
それに、いつまでもこんな風ではいない!
という心の"ハリ"も生まれつつある。
ゼミ後、チェゴ屋に吸い込まれていく仲間たちを横目に
九段下へ移動。
九段下には印刷の仕事で昔に何度か来ている。
(それ以外でも通ることはあるが)
その時によく食べたお刺身定食のおいしいお店でランチを
とりたいと思っていたが、
どうもそのお店はなくなってしまったようだった。
仕方なくあたりを彷徨い、
ハンバーグランチか、つけ麺かで迷って、
結局つけ麺にした。
こういうどっちを食べるか的なシチュエーションでは、
最近は全然悩まなくなった。
2秒で決める。
経験的に、悩んでも意味がないと悟ったみたい。
悩む時間を多くすれば、食後の満足度が変わるかというと、
実は全然変わらないということが
26年間の経験でわかってきた。
食後の満足度が変わらないので、
悩む時間は短い方がよりutility(効用)は高いわけである。
Believe your gut feeling !
いや、それはちょっとカッコつけた考えで、
実のところオレはお腹いっぱいになると、
反実仮想ができなくなる。
つけ麺を食べてお腹がいっぱいになると、
ハンバーグ定食を食べた方がもっと満足できたかな、ということが
一切浮かばないし、考えたくなくなる。
もしその反実仮想ができたならば、
やっぱりあっちを食べていた方がよかった・・・という
後悔の気持ちがうまれようがあるけれど、
そもそも反実仮想が起きないので後悔も起こらない。
すなわち、つけ麺だろうが、ハンバーグだろうが、
どっちを選んでも関係ないのである。
ということはどっちを選んでも結果が変わらないのだから、
悩むだけ無駄である。
よって、テキトーに思いつきで決めることにしたのである。
より科学的にいうならheuristic?
まあ、26年間"自分"をやってきて、
その性格を見抜いた、ということである。