先日、指導教官の人がしょせいくんの髪の毛を指して
「おまえ、これはちょっと切った方がいいんじゃないか」
とのたまったので、早速今日、しょせいくんは髪を切りました。
しょせいくんは余程、そのことをその人に指摘されたことが
衝撃だったらしい。
その指導教官の人は常々、
「ケンブリッジではびしっとスーツを着ているひとよりも、
穴の開いたセーターを着ている人のほうが、
"この人は偉い学者に違いない"と思われる」
という話をしていて、
実際その指導教官のひともしょせいくんの思うところの
"偉い学者"であり、
しわだらけのシャツやよれよれのジャケットを
着ていたりする。
なのでしょせいくんは
「この指導教官の人は身なりを気にしない偉いひとなのだ」
と思っていた。
頭髪に関してもその指導教官のひとはもじゃもじゃの髪の毛をしていて、
ただでさえ大きな頭がさらにでかく見える。
その上、床屋に行くのが嫌いだという理由から、
髪の毛は自分で切るのだと言って憚らない。
だから一時、左右と後ろに垂れる毛先が一直線に並んでいて、
さながらヘルメットをかぶっているような髪型になっていたことがある。
そんな指導教官の人を間近で見ながら、
しょせいくんはその人の無頓着ぶりに畏敬の念を抱いていた。
しょせいくんは三島由紀夫ほどではないにしろ、
ナルシシズムが旺盛な方で、
どうしても自分がどのような姿形振る舞いをしていて、
それを他者はどのように見ているかが気になって仕方がなく、
かっこいいいと思われていなければ嫌だし、
かっこいい自分が好きであった。
だからズボンにシャツの裾を入れるようなダサいファッションは嫌だし、
床屋で判の押したような整いすぎた髪型にするのも嫌だった。
自分が納得できる服を着なければ外出したくないし、
そういう服は値が張るので枚数を持つことができず、
一週間のうち半分を同じ服で過ごすことも珍しくなかった。
しかし、そういう自分を恥ずかしいとも思っていた。
他者の目を気にするあまり、
行動の基準が自分本位ではなく、
人の目にがんじがらめにされたものになってしまう。
そうして人の顔色を疑うようなその行動様式をとる自分は
決してかっこいいとは思えないのであった。
そのような過剰すぎる自意識を抱えるしょせいくんにとって、
もじゃもじゃだろうがよれよれだろうが、
おなかがでっぱってようが、
そんなことお構いなしに振る舞うその指導巨漢教官の人がうらやましかった。
そんなしょせいくんも、その指導教官の人のガクセイを初めて
あと数ヶ月で3年が経とうとしている。
その間にしょせいくんの他者の目でガチガチだった自意識もほぐれてきた。
26歳というまだ若いけれど、
中学生からみたら完全に大人の部類に入る年齢に達し、
若干、お腹の周りに贅肉がついてきた。
ぴっちりしたシャツを着るとちょっとむっちり。
昔のしょせいくんであればそんなむっちりしたお腹を晒して
街を歩くなど耐え難い苦痛であったはずである。
しかし、どうもそれが気にならなくなってきた。
どうも心境としては「早く枯れたい」という風に変わってきた。
詫び寂びの境地に踏み入れつつある。
そのような経緯で、
髪の毛がぼさぼさであろうが、
ヒゲが無精であろうが、
頓着しないようになっていた。
自分も指導巨漢教官の人のような境地に達しつつあるのではないか。
そうときどきほくそ笑むのであった。
そんな折りに、冒頭の言葉である。
自分の変化に満足していたしょせいくんは、
雷鳴が轟いて一斉に飛び去った鳩の群れに
糞の雨を落とされたようなショックを受けたのだった。
そこでハタと気付いた。
指導教官の人は、確かにもじゃもじゃではあるが、
ボサボサではないのである。
ヒゲも毎日ちゃんと剃っているのである。
なんてことであろう!
自分では融通無碍の境地に達したのだと思っていたが、
実際には単に精神が緩んでいただけだったのだ!
しょせいくんは戒めを込めて、
しとしとと雨の降る寒い荏原中延の商店街を
傘も差さずに歩くのだった。
* * *
以上、短編創作小説でした。
上記の作品はフィクションであり、
実在の人物・団体・事件とは関係ありません。
「指導巨漢」というのはわざとやったんではなくて、
タイプミスを変換したらそれがでてきて、
面白いので取消線扱いにしてみました。
上記の短編中の指導教官の人は巨漢というほどではないことを
申し添えておく。
* * *
まあともかく髪の毛切りました。
かなり短くなりました。
自分が一定の髪型を維持しようとせず、
伸びるまで放置したり、それをばっさり切ったりするのは、
セルフイメージを固定したくないのだと思う。
自分という入れ物は常に不定型であってほしい。
「何者かになりたい」という気持ちと
「生半可な何かにはなりたくない」という気持ちがせめぎ合って、
一定の形らしきものができてはまた崩れていくという
ダイナミズムを繰り返していたい。