失ったものは情熱。
3年前と比較したときの自分の変化は
とどのつまりそういうことなのだと思う。
いい言い方をすれば肩の力が抜けたといいますか。
過剰気味だった自意識もいくらか角が取れて丸くなったような。
「こう見られたい」という自己イメージがあって、
それに強く縛られていた。
他者からこう思われたいという自己イメージが
まったくなくなったわけではないけれど、
「だせぇ」とか「かっこ悪」とか見られても、
まあいいや、という風に思えて、
理想の自己像が自分の行動を拘束する力が弱くなった。
「これ、思いっきりひっぱったらとれないかな」と
自分の腹の肉をつまみながら思う。
メタボのおじさん。
略してメタボじさん。
もういいよ、それで。
メタボじさん上等。
そうやって自分に強いていた緊張をほどいたら、
情熱も消えていた。
結局自分の原動力は他者の目だったのかもしれない。
消えてしまった情熱は、戻ってくるだろうか?
他者が自発性の種になっている限り、
不安定さがつきまとう。
他者の評価で早くなったり遅くなったり、
行き先も流される。
自分が自発性の拠り所になるように。
消えてしまった情熱の種火をつけて、
簡単には消えない炎にする。
この一年はそのためのものだと思っている。
自由というのは「自らに由来する」と読める。
他者に突き動かされるのではなく、
自分の欲求にきちんと耳を傾けることができれば、
自由なのだ。
自分の意志に従うのは小心者には案外難しい。
他者からの視線が邪魔をするからだ。
あるいは社会常識とか倫理観とか
なんとなく社会的にアウトなんじゃなかという気分とか。
目先の損得に意志がねじ曲げられてしまう場合もあるし、
何より自分の意志というのは声が小さい。
簡単に選ぶのが楽でもっともらしそうな口実を受け入れてしまう。
ひとりで旅をするとそんなことを考えたりする。
忘れていた一人旅の効用その1。
あたしも、メタボばさんになりかけって感じかな(苦笑)。
でも、そのでっぱりはじめたお腹を、まだ必死で気づかれないように隠そうとしちゃってるかも…。
何だかなー。
コメント、くれてたんだね。見落としてた。ありがとう。
山田さんはまだ情熱を失ってないですか?
ひさしぶり。
何度も読みました。
今日も読みました。
あたしはまだ中途半端なんで、内容に関してコメントできないのが悲しいです。