The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

多読術:松岡正剛

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5月が終わった。6月がはじまる。

5月はイレギュラーな予定が次々に入ったせいで、
ぼんやりする暇のない一ヶ月だった。

やろうと思っていた認知実験が一向にできずに時が過ぎていく・・・。
段ボールが!
手頃な段ボールがないのだよ!

カレンダーを見返すと、
思ったよりも今月はいろいろやったのだなというのがわかって、
少しほっとした。
密度が高いヒビだったのだ。

今日は締め切りがひとつあって、
それが終わってほっとした。
それで久々に"だらしない"読書をした。

"だらしない"読書というのは、
差し迫った課題を達成するために必要な読書だったり、
差し迫った課題から現実逃避するための読書だったりとは違い、
心やスケジュールに余裕があって、
手近にあって、なんとなーく読みたいなーと思った本を
ゴロゴロしながら読み始めて、
他にやるべきことがないわけではないけれど、
なんとなーくしばらく読み続けてしまう読書。

* * *

多読術
松岡正剛

セイゴオさんは、読書を情報を摂取するためのものとして
そっけないものとして考えてなくて、
読書をしているときに立ち上がる、世界に匹敵する内的世界の
主観的体験を大切にしている。
たぶんセイゴオさんにとっての読書とはそういう営為なのであろう。

ここのところ、読書という行為に対するスタンスが変わってきていて、
それにぼんやりと気付きつつもうまく言語化できない状態で、
かといって別段言語化する必然性もなかった。

だけど、この本を読んでそのスタンスの変化の意味がよく分かって、
まさに、毎日服を着るみたいに自分は本を読むようになりつつあるのだなー
ということが実感された。

われわれは子供の頃から、たくさんのものを着てきたし、また脱いできましたね。本だって、着たり脱いだりするものなのです。そこにはパンツもあれば背広もあるし、学生服やセーラー服もある。セーターには色がついていて、肘が破れることもある。本もそういうもので、着脱をくりかえしていく。とくに特別の行為ではないんです。

僕はずっとセイゴオさんを尊敬しつつも、
どこか違和感を感じていたのだけど、
その違和感の源がこれを読んでわかった気がした。

それと同時に、セイゴオさんに共感できる部分もいっぱいみつかって、
最後の最後では袂を分かつことにはなるだろうけども、
まだまだこの人の著作や発言などから学べることはそこはかとなくあり、
是非とも学ばせてもらおうという思いがした。

違和感はおそらく「アナロジー」に対する態度で、
だけれどもその点で強く共感したりもするのが不思議なところだ。

この本は読書という行為をとても自由にしてくれるいい本だ。
途中で編集工学の話題がでてくるくだりは苦しいが、
そこは無理矢理に突破すれば
全体的にはするすると言葉が入ってくる書物になっている。


以下のようなくだりがあって、

たとえば、量子力学の新しい局面を読むとか本居宣長の国学の周辺を読むというのは、けっこう集中力が必要です。中身も難しい。しかもぼくは学者や思想家になりたいわけではないから、そればかりやるわけではない。ですから量子力学や国学を読み続けるのは、やっぱりしんどい。そのため、ついついその読書力が落ちてくる。落ちてくるのですが、その回復を別の本でやるわけです。たとえば句集や歌集を読む。そうするとバッテリーに何かがチャージされてくるんですね。

多読術 163ページ

これがとてもしっくりきた。
これって不思議なんだけど、読書の疲れは、
実は別の読書をすることで回復するということがあるということ。

昔は、読書に疲れたときに別の読書をしたら
さらに疲れるだけだと思っていた。
だけど、最近の実感として、ある本を読んでいて疲れて、別の本を読み出すと、
少し読んでるうちにまたもとの本が読みたくなる
ということがあって、読書で読書の疲れがとれているのかなぁ?と思っていた。

かといって自分でも確信はなくて、
でも段々本を数冊同時並行で読むようになったりしていた。

それがその引用した下りで見事に表現されていて胸のすく思いだった。
と同時に、田辺聖子の小説が読みたくなった。


* * *

読んでいて思わず「カッコイー」と声に出してしまった箇所。

そこで、この狩野享吉があまりにすばらしいというので、時の皇太子の教育掛に推挙されたんです。ところが本人は、これを断った。「ぼくは危険人物だ」というんですね。そして、大学をさっさとやめると、好色本のコレクションと書画骨董の鑑定をやりはじめた。 それでいて、時の知識人たち、たとえば長谷川如是閑が「これからの日本における自由とはどういうものだと思うか」と尋ねると、「自由なんてものはキリスト教が作ったフィクションだ。日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ」といってのけたりする。・・・

多読術 174ページ。

自由なんてものはキリスト教が作ったフィクションだ。日本人は日本のネッセサリーをもっともっと複雑にしていけばいいんだ

である。

かっこええ・・・。

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