The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2013年2月アーカイブ

フィッシャー症候群 途中経過2

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カテゴリ:

途中経過2

一週間前に書いた「途中経過1」では、目の症状が全然変わりませんと
書いたが、3日前あたりから変化が見え始めてきた。

右目の視界が左目の視界に一致しなかったのが、
近い距離ならば一致するようになってきた。

お風呂に入ると、湯船の中から温度調節のパネルが見える。
湯船の中の座り方は毎回同じだし、湯船の形やパネルの距離などは毎回変わらないから、
その見え方をチェックすることは定点観測をするのと同様になる。

湯船から見るそのパネルは2つの像が一致せずにニ重に見えていて、
片方が片方に対して右斜め下方向にずれている。

それが、そのパネルを見つめていたら、視線を向けた瞬間は一致していなかったものの、
1,2秒でニュッと像が移動して重なった。
ずっと片目だけで象をみていたので、
久しくなかった立体感の映像が見えてオオっとなった。
瞬きしたら元にもどってしまったけど、
また見つめていたらニュッと一致した。

このフィッシャー症候群は
自己免疫が自分自身の細胞を間違えて攻撃してしまう病気なのだけど、
攻撃する対象が神経細胞のミエリン(髄鞘)という部位だと言われており、
特に眼球を動かす筋肉を制御する神経のミエリンを攻撃するので、
自分のような症状がおこる。

神経細胞は細胞から長い手が伸びていて、別の神経細胞に繋がっている。
その長い手を電気信号が通過することで、次の神経細胞に信号を伝え、
脳から末端へ、あるいは末端から脳へと情報を伝達している。

その長い手の途中にはミエリンという細胞が何個も何個もくっついている。

myeline.png

Wikipedia 髄鞘より拝借

このミエリンの役割は、神経細胞の長い手の中を
電気信号が早く強い強度で伝わるようにすることで、
ミエリンがなくなってしまうとどうなるかというと、
電気信号の伝達が著しく遅くなるし、
極端に少ないと電気信号が途中で減衰してしまい、次の細胞まで届かなくなる。

これにより、脳から神経に「動け!」と指令が行っても、
その指令の伝達経路に遅延が起こったり途中で止まってしまうため
「動け!」という指令がいつもどおり伝わらなくなってしまうのである。
(と思う)

今回の自分の症状だと、このミエリンが自己免疫によりかなり損傷し、
脳からの指令がまったく伝わらないところまで損傷していて、
一部の眼筋(眼球を動かす筋肉)にまったく指令が届かない状態、
すなわちその筋肉が動かない状態になり、
右目と左目の協調的な動きが阻害されて、
右目像と左目像の不一致が起こったのだと思う。

extraocularmuscle.png

外眼筋の図。
Wikipedia 外眼筋 より拝借


その損傷したミエリンがだんだんと戻ってきているんだと思う。
まだミエリンの回復は途中だが、
いままでまったく電気信号が伝わらない状態だったのが、
信号強度が弱く、いつもよりも遅れてるが微弱なら伝わるような状態になって、
その結果、1,2秒の遅れを経て左右の像が一致するのだと思う。

まあ完全な素人の推測ですが、
かつて神経科学の学徒だった者として昔とった杵柄で推測してみた。

なんでそんなふうに特定の神経細胞だけが攻撃されるのかが
不思議だったのだけど、
(神経細胞は体のすべての感覚器官と筋肉と信号をやりとりしている)
ネットを検索したけど、日本語だとあまり素人向けに理解できそうな
記述が見当たらなくて、英語で検索して調べていくとなんとなくわかった。

このPDFのパンフレットによると
Miller Fisher Syndrome - GBS/CIDP Foundation International

Multiple lines of evidence support an auto-immune mechanism in which the preceding/triggering infection stimulates production of an antibody that reacts to a sugar found on both the surface of infectious organism and the peripheral nerve causing demyelination and loss of function of the nerve.

ということで、感染性の刺激をうけて
抹消神経や細胞の表面にある糖鎖(sugar)に反応する抗体を生み出し、
それがミエリンをなくさせてしまい、神経が機能しなくなるとのこと。

糖鎖?って何と思ったが、他のページでいうところの
「ガングリオシド」のことだと思われる。

ここのページには

Nerves serving the external ocular muscles are rich in the targeted gangliosides, which may explain the frequency of ophthalmoplegia.

と書かれており、
ガングリオシドは外眼筋に多いらしい。

このガングリオシドに反応する抗体を作ってしまうことが、
体の特定の部位の神経を特異的に傷害して特徴的な症状を生み出しているのだと
考えられる。

ガングリオシドに関しては日本語で検索しても
あまり情報がない。
下記ページは英語だけどかなりきちんと書いてあるように思う。
あとで読む。

GANGLIOSIDES : STRUCTURE, OCCURRENCE, BIOLOGY AND ANALYSIS -- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E7%9C%BC%E7%AD%8B

書きたいことは感傷じゃない

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ブログの更新頻度が上がっていて、
しかも感傷的な感じのことばっかなので、
さぞや読んでいただいている方々におかれましては
胸糞悪い思いをされていると思いますが、
いかがお過ごしでしょうか。

何日か前の記事に
「今年はもっとブログを書きたい」と書いたわけだけど、
決してそういう感傷を書き散らしたいという意味でそういったのではないのだが、
いかんせん10年以上そういうスタイルで書いてきたので、
そこから脱却できない。

みてみてー、オレの感傷ー
オレって繊細でしょうー
傷ついているオレ、かっこいいでしょー

という感じの日記を書き続けて10余年。
いかに精確に克明に自分の心の中にある機微を言葉にして紡ぎだすか。
自分にとってWebに日記を書くというのは、
つまりそういう営みだった。

でもそういう記事を書くのが許される時代は
もうとっくに終わっているのだった。
たぶん2006年ぐらいに。
許される、というか需要がないというか、
その感傷を伝えるためのプラットフォームとしては
Webは適切に設計されていないというか。

感情や感傷は、Googleの検索ではひっかからない。
検索エンジンがはじき出すページの価値に、
まだ誰も言語化したことがないような曖昧で些細な感情の希少性や
幾重にも屈折した果てに元々の感情とは
程遠く変質してしまった感情の表現の見事さは
加味されない。

我ながら、ああやって感傷を開陳して喜んでた昔は
ずいぶんあいたたたな過去であるなと思うけれど、
でも、あの表現行為が無意味だったと思うつもりもない。
あのころのWebにはああいう表現が似あっていたと思う。
そしてそういう表現を好む人同士をつなげるメディアとして
Webは機能していたと思う。

ああ、やっと言葉にできてすっきりしたよ。

で、これからなんだけど。
最近自分は、意識の高い市民(笑)であり、
意識の高い国民(笑)になってきつつあるので、
住んでいる地域の政治のこととか、
日本国の経済であるとか、
はたまた新たに取り組みはじめたArduinoを使った電子工作のこととか、
ロボット掃除機ルンバであるとか、
あるいは、科学雑誌NatureのPodcastや
そのダイジェストの月刊誌に載ってた記事であるとか
そういうことを書いて行きたいと思っている。

でもなんかどうにも脈絡もなくそういう記事を投下するのは
どうなのかと思い、そういうことがかけないまま、
以前の惰性で誰も興味ない日々の感情の機微みたいなことをかいている。

読んでいるひとが気にしてるかどうかわからないけど、
どうにもブログというものがもつ、一貫性・時系列性みたいなものが
邪魔をしてしまって困る。
ニュースサイトのニュースのように、記事をちぎっては投げ、ちぎっては投げと
それぞれにつながりがない情報をぽんぽんぽんと出していくのは、
読んでいる人が混乱しないかと思ったりしてしまう。

だって、仕事で辛くて死にたいみたいなことを書いた30分後に、
Arduinoと圧力センサー使って重量計作ってみたーみたいな記事が出たら、
あの死にたいとかのたまってたのはなんなの?ってみんな思うよね。

というわけで感傷的なことを書いたら、
次もそこから飛躍し過ぎない範囲のことをかかなければ。
前回の記事との連続性を保たねば。
ということが気になって、もっと気楽に書き殴ることができなくなっております。

いい加減、この数学的帰納法みたいな制約をのりこえたいという機運が
(自分的に)高まってきたので、
ここにメタブログ的な記事を書いて、
これまでの文脈をご破算にすることを宣言いたします。

時間がないとできないけど、いまのブログのデザインも抜本的に変えないと
いけないと思っております。

ところで、政治ネタが書きたい!とか電子工作ネタが書きたいとか、
科学関係の記事を書きたい!というのは、
どういうことかというと、
いまの時代のWebにおいて、記事というのは
その文章がその文章だけで独立していて(パッケージ化されていて)、
なおかつその記事があることで、Webが構成する情報貯蔵空間が
ほんの少しでも豊かになるようなことでないと意味がないという考えに基づく。

僕がこれまで書いてきた、感傷や感情は、
Webにある情報を拡張しない。

書く内容は変えるけど、書くモチベーションは同じで、

みて、僕の文章!
どう?僕の知性、品性?
素敵でしょ!見てよ、褒めてよ!

というものであります。
自己承認欲求上等!でここはひとつ。


フィッシャー症候群 途中経過1

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フィッシャー症候群のその後の途中経過。

まだ治ってません。

複視の状態が依然として変わらない。

この複視の状態を人に説明しても、
相手は「そうなんだ」といいつつも、
あまり得心していないような表情になることが多い。

人間の目というのは、健康ならまったく意識せずに、
右目と左目が見事に協調して動くことでものを見ている。
右目の黒目の先と左目の黒目の先が、
きちんと一致した方向を向いていないといけない。

自分の今の状態は、その右目と左目の協調動作がうまくいっていない。
左目はうまく動いているのに、右目の動きが不十分で、
右目と左目の目線の先が一致せず、物が二重に見える。

右目の眼球の動きが特に悪く、
左目の像に対して右に10°、下に8°ぐらいの角度でずれている。
それが故に、両目を開いてみる(=普通の見る)状態だと
なんでも二重に見えてしまう。

一方で、2つの眼球の協調運動が阻害されているだけで、
それぞれの目は見えているので、片目を閉じれば二重にならずに見ることができる。
なので、日常的に片目を閉じた状態で生活しています。

悪いのは目だけかというとそうでもなくて、
頭痛が出てきたりひっこんだり、
倦怠感があったりなかったり、
ふらついたりめまいがしたりしなかったりという症状もある。
どこがどう痛いというのではなしに、
なんとなく「辛い」と感じる状態が悪化したりよくなったりを
繰り返している。

傍からみていると、たぶん怠けているだけにみえるので、
それも心理的にはつらい。
だからできるだけ人に会いたくない。

平気なときは平気なので、自分でも「複視の症状以外は平気だ!」と
錯覚して、家事を率先してやってみたり、仕事のメールや見積や調べ物をしたり、
子供をあやしたりしてみるのだけど、
そうやって頑張ると翌日かその次ぐらいに病状が悪化する。
それでやっぱり自分は病人なのだと自覚する。

そんな感じで1週間のサイクルでよくなったり悪くなったりして生活している。

やらないとまずい仕事はあるので、最低限それだけはやっているけど、
その仕事というのは、ほぼPCに向かってやる仕事で、
片目をつぶった状態で画面を見つめ続けるのは目によくない。
3時間ぐらい集中して作業していると頭が痛くなってきて
思考力も落ちてほとんど作業できなくなる。

たぶん目が疲れるので血流が増えて、頭全体の血圧が上がって
頭痛につながるのだろう。

ここ2、3日は、顎ー頬骨ー目頭ー頬骨ー顎という口を弓のようにまたぐ部位と
おでこの部分の頭痛がするのと、濃い鼻水が鼻の奥の上の方で詰まっている感覚が
辛い。

前にもこの感覚あったなと思ったら、入院直前のときの症状だった。
その時は後頭部と腰もいたかったけど。
入院直前期の症状になっているのは、
症状が軽い方向に向かっているということなのか、
それともまた繰り返すということなのかはわからない。
(この病気は一度ピークが来たらあとはよくなるだけということになってるので、
後者ではないと思うが)

退院してから2週間後の診察では、
2,3分の診察で、
「目の症状は変わらないですか、そうですか、
治るまでに時間がかかる病気ですから」と言われて、
それきりだった.

その医師からは、この病気や症状の経過に関して説明しようという気概が
あまりにも感じられず、それに唖然としてしまって、
二の句が継げず、面倒になって何も聞かずに帰ってきてしまった。
もう少しいろいろ質問すればよかったのか。
でも、聞いてもきっと同じだっただろう。

感触として、症状がちょっとずつでも日々よくなっていっているというのがないので、
そろそろ滅入ってきている。
もしかしたらこのまずっと治らないのではないかという気になってくる。

全部投げ出そうと思ったって、手から離れてくれない。
離れて欲しくないものばかりが、ぼろぼろと手からこぼれていく。

*追記:ネットでフィッシャー症候群を検索すると、それにかかった人の闘病記的な記事がそれなりにでてくる。それを読んでみると、やはりみな治るまでには数か月かかるようだ。発症してからまだ2か月も経っていないので、ただ待つしかないんだろう。

はじめての退学

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五反田経由(CSLで途中下車)ですずかけ台へ。

出して来ました。
人生初の退学願。
出して来ました。

最初に専攻長にお会いする。
退学が正当な理由があってのことだということを説明する。
(いじめられて辞めるとかじゃないと確認してもらう)
それから名目上の指導教官のN先生のところに行き、
退学願に判子を押して貰う。

元々の指導教官だった茂木さんはもう東工大の先生じゃなくなってしまったので、
いまは別の先生が名目上の指導教官ということになっている。
(指導委託をN先生が茂木さんに出すことで実質的な指導教官は茂木さんになってる)

そうして記入の要件を満たした退学願を専攻事務に提出してきた。
その退学願は、次の教授会で間違いなく受理される。

ついで、大学院教務課に寄って、奨学金の返還のことと、
退学のための手続きのことを聞いてきた。

奨学金に関してはとくにやることはないとのこと。
退学の手続きは、残るは学生証の返却だけで、
そのためだけにまた大学に来るのは大変だから、
学生証は3月末まで持っていられたのだけど、
その場で返却してしまった。

財布の中で7年もの間、
ある地位を占めていたカードがなくなった。
その喪失感たるや。

そんなわけで。

自分はもはや学生ではなくなったどー!
生まれてはじめての中退をしてやったどー!
博士課程の5年間(そのうち3年が休学)を水泡に帰してやったぞー!
ついでに修士の2年間も反故にしたようなもんだぞー!

せつなくてせつなくて。
心のなかで絶叫してた。

オレはっ
博士課程をっ
退学っ
したっ
ぞっ
退学したぞっ
退学するしかなかったぞっ

博士号、取れなかった。
情けなくて情けなくて。

博士課程の学生であるということが、
休学中だったにせよ、自分の重要なアイデンティティだった。
「学生である」という自覚によるある種のエクスキューズが、
自分を甘やかし慰めてくれた。

もしあのままの状態だったにしても
いまだに学位は取れてないだろうし、
取れる見込みも相変わらず低かろうし、
ポスドクになったところで働き口はないだろうし、
その先には死屍累々のデスマーチしかなかった。
それでもやはりあの道を断念することは断腸の思いである。

せめて、査読付きの論文を1本出してから去りたかった。
アカデミアの世界に自分がいたんだという痕跡を残しておきたかった。

悔しくて悔しくて。
悔しくて悔しくて。

この復讐は必ずさせてもらう。

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隠居したじいさん

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退院してすでに4週間経つ。
一時期は、短時間ながら出社して、
電車とバスと徒歩で出勤するのは時間がかかるけど悪くないよなんて
うそぶいたりもしていたが、
また家からでられない状態に戻ってしまった。

ぼんやりと昔のことを振り返っていたら、
ああやっぱりあの生活はもう無理だなと漠然と感じた。
心のどこかで、「あの生活をまたやろうと思えばやれる」と思っていたけど、
断崖絶壁に立って足がすくむような恐ろしさを自覚した。

体とともに心がどうなるか、
自分の事だけれども推移を見守る他ない。

息子と娘はすくすくと育っていて、嫁が一騎当千で家事も育児もやっている。
息子は4月から幼稚園生である。
いっぱしに口をきくし、持ち上げると重いし、飛びつかれるとイタイ。
それでもおねしょをするので、夜中に起こして強制的におしっこをさせて
おねしょ予防をしている。

たぶんこういうのを、かわいい盛りというんだろうな。
そんでもって、あっという間に小学生にあがって、
高学年になったら友だちと遊びにいくようになっちゃって、
中学生になったらだんだん反抗期になって、
高校生になったら家は飯喰って寝る場所になって、
大学生になったら家に寄り付かなくなるんじゃなかろうか。(本人談)

きっとあっという間だ。
子どもが育つまでにはまだずいぶんかかると、
どちらかというと大変だなあといった感覚で
思ってしまいそうになるけど、
子どもといられる時間は思ってるほどは長くないのだろう。
無邪気に甘えてくれる時期はさらに短い。

隠居したじいさんみたいになっている場合ではないということ。

ニートふたたび

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今年はもっといっぱいブログを書きたいなと思っている。

今週はまるまる一週間体調不良で、
後半は会社にいけなかった。
花粉症なのかシナ国由来の大気汚染なのかわからないが、
前半は鼻水とくしゃみでしんどく、
後半は娘がもらってきた風邪を貰い受けて38度台の熱を出して
つらかった。

完全にニート大学院生時代の行動様式に戻っていて、
12時頃起きて、2時3時に寝るというようなサイクルになっている。
どうにも、夜が更けてくると調子が良くなってきて、
ちょっと調べ物でも、途中だった仕事でもといって作業をはじめてしまう。
傍からみたら、面倒な家事や育児は全て嫁に押し付けて、
自分のしたいことをしたいようにやっているニート夫に違いない。

この記事をみて、今の状況はこの人のような状態に近いと思った。
京都大学を退職するにあたって
- 平行な混沌

退院してから少し出勤して仕事してみたりしたが、
以前のような強度と頻度では無理だと感じた。

ストレス耐性が著しく低下していて、
「もう無理」っていう閾値を簡単に超えてしまう。

特に他者とのコミュニケーションがとても苦痛で、
親しい人以外と会話するのがつらい。
仕事が絡む交渉の要素が大きいものだと特に。
メールやFAXなら大丈夫でも、電話や対面だと苦しかったりとか。
携帯電話の着信音がおそろしい。

親父が死んで、大学院生から無理やり社長になったみたいな変化を
もう一度する時期なのだと思う。
前のように動けないんだから仕方ない、と開き直るしかない。

それまでに周りがもってくれればいいけどと、
気持ちばかりは焦っているが体が追いつかない。

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