フェムトセカンド #七味とーがラジオ / @melonsode

The Destination is unknown. The Journey is the Reward.
Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0220330 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2012年1月アーカイブ

apacheでAliasを貼る話

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古いMacBook Airのディスプレイを息子が開きすぎて、壊して、
ディスプレイが映らなくなったので、
これを機会にMBAをローカルサーバーとして使うことにした。

幸い、ディスプレイ機能以外は壊れていないので、
もろもろの操作はリモートデスクトップを介して行うことにした。
wifi接続だとネット接続が心もとないので、
USB経由でLANケーブルを接続できて、
かつUSBのハブにもなっているアクセサリをつけて有線運用。
無線LANはオフ。

LANポート兼USBハブに持ち腐れていた外付けHDDをとりつける。
しかし、認識せず。
電力不足が原因で、コンセントからUSB経由で電流を取り出せるアダプタを
買ってきて、つないだらきちんと認識した。

机の脇のデッドスペースに床に直置きで運用中。
あぶない。

mba_on_floor.JPG

ホシノさんにいろいろ聞きながらApacheのhttpd.confをいじるがForbidden。
ターミナルでパーミッションの変更しようと試みるが、
全然変わらない。
何か、根本的におかしいと思って調べると、
HDDのファイル形式がFAT32なのがいけないようで、
それだとファイルごとの権限管理とかできないらしい。
しかたなく、一回フォーマットした。
そのために元あったファイルを移動したりなどして、
時間をくった。

で、それがなんとか終わって、再びhttpd.confを書き換える作業。
やや試行錯誤のすえ、下記のように書きこむことで事無きを得た。

Macの場合httpd.confは

/private/etc/apache2/

にある。

その直下に大元のhttpd.confがあり、それは極力いじらないようにする。
usersフォルダの中にある、「(自分のアカウント名).conf」という設定ファイルを
開き、それを編集する。

そこに下記のように書くことで、

http://localhost/External/

とアクセスすると、外付けハードディスクの「ExtWeb」というフォルダに
アクセスできるようになる。
(この場合外付けハードディスクは「ExHD」として。)

Alias /External/ "/Volumes/ExHD/ExtWeb/"

<Directory "/Volumes/ExHD/ExtWeb/">
    Allow from all
</Directory>

参照先のフォルダのパーミッション変更を忘れずに。
あと、Apacheのディレクティブも適当なので、適宜直してください。

誤算だったのは、こうやって設定したら

http://localhost/~(アカウント名)/External/

というURLになるのかと思っていたのだけど、
実際にはアカウント名はないURLとなった。

雪が降ったよ

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今年の冬は記録的に晴天が続いていて、
歴代3位の長さだそうだ。

そんな晴天連続記録も、先週のおわりに崩れた。

都内の35日連続「乾燥注意報」解除

 気象庁は19日、東京都内で35日連続で発令していた「乾燥注意報」を解除した。
 同注意報が現在の基準で出されるようになった1967年以降で3位の長さ。
 昨年12月から太平洋側を中心に少雨傾向が続いていたが、19日は低気圧が本州の南海上を進んだ影響で関東地方に湿った空気が入り込み、同日夜、東京・大手町などで雨を観測した。
 気象庁によると、乾燥注意報の連続記録は、2位が2010〜11年の38日、1位は73〜74年の65日。
(2012年1月20日00時00分 読売新聞)

一時的に雪が降ったものの積もったりはしなかった。
雪が雨に変わってほっとしたんだけど、
今日の夜になって盛大に雪が降ってきた。

僕が帰宅するときにはもう2センチぐらい積もっていて、
運転していると雪が視界を半分ぐらい塞いで、
慎重に慎重に運転しなければならなかった。

雪が積もっているのをみて、一瞬テンションが上がったが、
でもすぐに明日のことが不安になり憂鬱になった。
この雪がどれぐらい積もるか知らないが、
もし大量に積もってしまったら、明日の配送はどうなるだろうか。
トラックは雪でも大丈夫なミックスタイヤを履いているけど、
軽のミニバンはノーマルタイヤのままだ。
スリップして事故でも起こったらどうしよう。
こうなるのを見越してあらかじめスタッドレスタイヤを履いて
備えておくべきだったのだが、もう後の祭りである。

昔は大雪を見て心が躍ったものだ。
この光景を見て、そんな感情が湧き上がった頃が確かにあったよなと
その頃が懐かしくなった。

そして一方で、もし親父が生きていたら、
この天気を見て、やはり今のオレと同じようにあれこれと考えを巡らすだろう。

かつてオレが子どもで、雪に無邪気に喜んでいるのを
どんな心持ちで親父は見ていたんだろうか。
いまならわかる気がするし、きっと憎らしかったんじゃないか。
でもその憎らしく思う気持ち自体もやはり憎らしくて、
仕事がなければ一緒に喜ぶのにと切なかっだろうと思う。

帰ってきて、自分の息子に雪を見せた。
カーテンを開けて、一度降ろしたシャッターを上げて、
窓際に座って2歳児をあぐらの膝の上に乗せた。
室内の明かりを落として、せわしなく落ちてくる雪を眺めた。
新しく建てた家の窓を大きくしてよかったと思った。
嫁も座って三人で見た。

「 ゆきら 、 ゆき 。 ゆき こんこん」

舌ったらずにつぶやく彼の声を聞きながら、
束の間、景色の一部になった。

最後の親知らずを抜いたよ

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1週間前の土曜日に最後の親知らずを抜きました。

去年の5月頃、右の上下の2本の親知らずを抜いた後に、
左の上下の2本も抜きましょうということになっていたのだが、
それがずるずるこれまでのびた。

2011年の年が変わる前にすませてしまいたいなあと思い、
12月に入ってから前回と同じ歯医者に行って、
ひとまず左の上の親知らずを抜いてもらった。
その一週間後につぎは本丸の下の親知らずを抜きましょうということに
なったのだが、いったんは予約したものの後日取り消した。

上の親知らずは比較的簡単に抜け、抜いた後もそれほど苦しまないですむ。
問題は下の親知らずで、簡単に抜ける場合もあるが、
前回は非常に難航し、今回も同様の事態が予想されていた。

またあの痛みを経験しなければならないのかと思うと恐ろしくて
それでずっと先延ばしにしていたのだが、
同じ歯医者さんでやると同じような結果になるのは目に見えていたので、
土壇場でキャンセルしてしまった。

それでも親知らずはなんとかしないといけないわけで、
別の歯医者さんに行くことにしたのだ。
少しでも下の親知らずを抜く痛みを和らげるために、
笑気麻酔のある歯医者さんでやってもらおうと思っていた。

どの歯医者に笑気麻酔があるかどうかって普通はわからないと思うけど、
わたくし、ガス屋ですから、それも医療ガス屋ですから、
わかるわけですよ。
要は、うちが笑気ガスを納入している歯医者さんならあるわけです。
で、笑気ガスを納入していて、先生とも面識のある、春日部市の某歯医者さんの
門を叩きました。

なかなか忙しい歯医者さんで、予約が取れたのが一週間先で、
最初は検診のみで行きました。
それが大晦日の数日前ぐらい。
初診では診察だけで、年明けに抜きましょうということになった。

そして年があけて、いまから1週間前にその親知らずを抜く手術をしました。
要望通り、笑気麻酔を用意してもらって
(その数日前にうちの会社が納品した)
生まれて初めて笑気を吸った。

笑気ガスというのは亜酸化窒素ガスで分子式はN2O(2は小さい2)。
吸ったら、すぐに酩酊感がやってきた。
お酒を飲んでほろ酔い気分になったのとほぼ同じような状態。
ついで、口元が勝手に緩む。
えへへ〜という感じで自分の意志とは関係なく口元がだらしなく開いてしまう。
さすが笑気ガスと呼ばれるだけはある。
しかし、もっと吸い込むと今度は目が回るような感覚になってしまった。
酒を飲んで、飲み過ぎると気持ちいい酔いを通り越して
今度は気持ち悪くて目が回る感覚に似ている。

その状態だと、今度は痛みに耐えられるように気を張り続けるのが難しくなる。
もっとガンガン麻酔を吸って意識がなくなる程度まで行ってしまえば
よかったのかも知れないが、それはそれで不安なので、
結局笑気はやめましょうということになった。

てことは、処置としては前の歯医者さんと一緒ということになるのだが、
結果的には前回に比べて格段に楽な手術だった。

前回に比べて楽だった理由は、
歯の生え方的に、前の手術の時の方が難しかった可能性はもちろんあるが、
自分の印象としては、先生の腕の良し悪しな気がする。
今回やってもらった先生のほうが、丁寧に痛みが最小限に済むように配慮してくれて、
かつ腕がよかったのではないかと思う。

前回の手術は最後の方は顎が疲れてしまって、
口を開けていること自体が辛かったが、
今回は最後までそうはならなかった。
でも終わってみたら2時間経過していて、
そんなに時間が経っていたのかとびっくりした。
2時間も手術が続いたので、さすがに終わったあとはぐったり疲れたが、
痛みの最大値も持続時間も前回よりもぐっと小さかった。

また、術後の経過も前回よりも数段ましだった。
前回は術後一週間は患部が痛くて痛くて普通にしていられなかったし、
食欲もなくて、口内炎も無数にできて地獄のようだった。

今回は前回のように痛みでのたうち回ることはなく、
痛みは薬によって十分に抑えられた。
食欲もあるし、口内炎はできたけど前回よりは少なめな感じ。
ただ、眠気とダルさがあり、ここ一週間はあまり仕事が手につかなかった。
それでも痛みがない分、楽に過ごせたと思う。

まだこれから一週間は抗生物質と痛み止めが処方されているし、
実際(痛み止めが切れると)痛いので、
もう一週間はおとなしくしていようと思う。
明日からはもうすこし生産的に働ける状態だとうれしいけど、
どうなるかな。

「Googleの脳みそ」を読んだ

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三宅伸吾さんの「Googleの脳みそ」を読みました。

Googleの脳みそ―変革者たちの思考回路


この本はタイトルこそ「Google」という単語が入ってますが、
Googleのことを論じた本ではなく、日本の法に関して論じた本です。
Googleに関しては、第一章でYouTubeが著作権に抵触するリスクを持っていたり、
Google Mapのストリートビュー機能も肖像権の侵害の可能性があり、
それでもリスクを忌避せずサービスを公開し、
訴訟を起こされもしたが違法な動画は即時に削除するなどの対応をすることで
合法と判断された事例を挙げ、
新しい技術によって既存の権利が制限されることはあると論じている。

本のタイトルにGoogleと入れたのは、
法律上グレーであっても、リスクをきちんと認識したうえで、
世界にとって必要とされるサービスを信念を持って提供するプレイヤーの
代表例としてGoogleをとりあげたからだと思う。
少しでもリスクがあると決して手を出さない日本のほとんどの企業とは逆だ。

この本は豊富な事件・裁判例をもとにさまざまなことを考えさせてくれる。

・日教組対プリンスホテル事件
・一人一票の格差問題
・郵便料金不正事件の村木さんのえん罪事件
・村上ファンド事件
・原発事故による東京電力の破綻処理問題
・日本航空(JAL)の破綻処理問題
・GMの再建問題
・役員報酬開示ルール

どれも興味深い内容で、それぞれの事柄に関して
メディアの報道を眺めていただけではわからなかったことが多くあり、
それぞれの事柄に関して以前よりも立体的な視点を得ることができた。

一人一票の格差問題で、2009年8月の衆院選挙で最大2.3倍の一票の格差があり、
それを裁判所が黙認しているような状態になっている。
裁判所は、一応「一票の格差は違憲な状態」と述べつつも、
「選挙のやり直しは混乱が起こるからそこまではしなくていい」という判決になっている。

一票の価値を厳密に等しく揃えるのは確かに難しそうだから、
ある程度の格差は許容しなければならないとは思うが、
果たしてどの程度まで許容できるのかという根拠はなさそうだ。
だけど、2倍以上の格差は問題なのではないかと思うし、
参院選に至っては5倍を超える。
なので、もっと裁判所は強権を発動すべきだと思う。

個人的にすごく驚きだったのは、米国のニュージャージー州で1983年に起こった
一票の格差の判決で、
このときの一票の格差 1.007倍 に対して連邦最高裁の違憲判決がでて、
そのときの選挙は無効になり、
最終的に裁判所が決めた区割りをもとに再選挙になったという事件だ。
日本は参院の5倍以上の格差でも黙認状態なのに、
米国では1.007倍の格差で選挙が無効になり再選挙になっている。
このあたりの憲法に対する忠実さの追求の姿勢は見習うべきだと思う。

JALの破綻処理に関しては、なんとなく報道を見聞きした程度で
あまり理解していなかったのだが、この本では内閣の動きや
再生支援寄稿の動きなどについて時間を追って書いており、
JALの破綻処理のどういう点が問題でどう処理されていったのかということが
詳細に書かれており、その分読むのに骨が折れたが、
かなり理解できたように思う。

最後の章で10の解毒剤として、日本の閉塞感を打破するための方策が
述べられている。
その中のどれも賛成だが、特に下記のものは自分がこれまで思ったことと近い。

・整理解雇の規制緩和
・フェアユース制度の導入
・ネット選挙の解禁

「整理解雇の規制緩和」は硬直化した労働環境の緩和になるだろう。
新卒一括採用問題や正規社員と非正規社員の格差などの諸々の問題は
それぞれが個別の問題ではなく、日本の労働関係の法律や
戦後の高度経済成長を通して培われた雇用慣習により、
労働市場の流動性が極端に低下していることに起因している。
労働市場の流動性を取り戻すためのひとつの方策として、
整理解雇の規制緩和は適したカンフル剤になると思う。

「フェアユース制度の導入」は、日本の著作権制度の見直しである。
いまの著作権制度は過剰に著作者を保護しすぎていて、
利用者の利便性を著しく書いていると思う。
消費者保護が過剰で、過度に生産者に責任を追わせている製造業に関してとは
逆の状況になっている。
デジタル技術やインターネットによって、それまで想定されていた
著作権の概念は完全に時代遅れになっているのだから、
早急に著作権制度の見直しを行ってほしい。

「ネット選挙の解禁」に関しては、それを禁止していることは
もう言語道断と言わざるを得ない。
インターネットを選挙活動に使えないのは日本ぐらいだ、と筆者も述べている。
そのあたりの記述のところで、面白いと思ったことがあったのだが、
それは、不特定多数へのメールの送信は「文書図画の頒布」にあたり禁止されているが、
音声は「文書図画」ではないため、音声を電子メールで送信することは構わないそうだ。
もしネット選挙が解禁されないのなら、
次回の選挙でこの手法を使うのはどうだろうか?
ネットで選挙は戦える! 「ネット街頭演説」解禁はできなかったが、秘策あり(2) | 社会・政治 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

日本では、法律に抵触するようなことをやったら、即 悪と判断されてしまい、
ただそれだけで忌避の対象となってしまうことに違和感を感じている。
確かに、法治国家においては、悪法も法なりという姿勢が大事かもしれないが、
数学においては、前提となる条件が間違っている場合は、
その後のどんな推論も正しくなってしまうのと同じで、
悪い法律でも長いものには巻かれろ方式で従い続けるのは、
人を不自由にし、国家的な損失を招いていると思う。

すくなくとも悪法に対しては敏感に反応し、NOと声をあげることが大事だし、
場合によってはその法にたいして挑戦的な態度で臨むことも必要なのでは
ないかと思う。

以前はうまく機能していた法律も時間の経過とともにそぐわなくなったり、
新しい技術がうまれて革新が起こるときの足枷になったりもするということを
肝に銘じておくべきだ。

法は国民を守るためのもので、既得権者を守る者のためでない。
また、競争や効率化を阻害するのではなく、
そういうものをうまく引き出すインセンティブとなるような仕組みとして
法律を生み出し・改変していくべきだと思う。

そういうことを考えさせてくれるよい本でした。


2011年に読んだ本を晒してみる

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カテゴリ:

まったくお恥ずかしい限りなんですが、2011年に読んだ(読了した)本です。
特に感想はなし。

2011-book-list.png

野澤真一の本棚 カテゴリー:2011

一年で18冊しか読めなかったとは、悲しい限り。
読みかけの本と積んである本がこれと同じぐらいの冊数かそれ以上ある。

学部2年生の頃に、読書の重要性を認識し、それ以来、年間100冊を目指して
読書に励んでいるが、いまだに達成できていない。
年間読書数の最高は読書を始めた年の翌年の49冊で、
それ以降は10冊〜30冊あたりで推移している。

年間100冊という数字に根拠はなくて、
小飼弾さんなら一か月で軽く読破する量だろうけど、
単に100という数字がきりがよくて、適度に”大きい”数字だからという以外にはない。

また、読む本の種類によって、
すぐ読める本(ビジネス書とか)とそうでない本(専門書とか)
が分かれるから、その比率で読む本の冊数は変わるだろうし、
また、本というメディア以外にも活字は読んでいて、
Webで読んだり、雑誌で読んだり、メールマガジンで読んだりもしているわけで、
そういう活字で読んだものを本の冊数に直すと何冊なのかという問題もあるのだけど、
そんなめんどくさいことやってられないので、
とりあえず本というメディアの形態のもので何冊ということにしている。
だからほんとに年間100冊とか意味ない。
それでもいまのところ飽きずにがんばっている。

毎年、「今年はわりと読んだほうじゃないか?」と思うのだけど、
きちんと集計してみると大したことないという結果を繰り返している。
なんで「わりと読んだほう」だと思ってしまうかというと、
時間ができたらとりあえず読書にあててるからだと思う。
「暇な時間があったらそれをすべて読書に注ぎ込んだから、
今年はたくさん読んだはずだ!」と、
感覚的にはなるのだが、結局”暇な時間”が毎年それほどでもなく、
読むスピードもそこまで変化していないので、
毎年誤差の範囲内的な冊数に落ち着いているわけである。

いつも、本を選ぶときはできるだけ自分に「新たな気付き」を与えてくれそうな
ものを選んで読むのだけど、今年読んだ中で自分にとって異質だった本は
東浩紀の「動物化するポストモダン」、
佐野眞一の「東電OL殺人事件」、
ニッサンにカルロス・ゴーンが就任したときのドキュメンタリの「起死回生」
南伸坊の「仙人の壺」
であった。

本なら、どんなジャンルでも貪欲に読むという姿勢でいるつもりだったが、
小説の場合は貪欲になれないということに最近気づいた。
気がついた、というか、やっと認めた。
この人の小説だったら読みたいなと思える作家は、
実は片手の指で足りてしまうかもしれない。
だから、小説はたくさん読むことを諦めた。

今年は上に晒した本の他に、村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読み直してみた。
本を読み直すことはいままでの人生でほぼしたことがないので、
自分としては珍しい体験だった。

「愛と幻想のファシズム」は、確か読んだの中学2年か3年だと思うのだけど、
その読書体験はいろいろな意味で強烈だった。
いまでもその読書体験は漠然としたクオリアとして目をとじると蘇る。

なんとなく、いろいろな意味で原点回帰してみたくなって、それを読み返した。
あの作中で起こるようなクーデターが、この国には必要なんじゃないかという思いが
日に日に募ってたり。

今年もできる限り本を読みたいと思う。
たしか茂木さんが「読んだ本の厚み分だけ高いところから世界を見ることができる」
というようなことをいっていて、自分もそう信じている。

ref. 「本が人生を変える」

2003年から2011年までの集計をしたら平均が24.11...冊だったので、
2012年の今年は、25冊を目指したいと思います。(月2冊か)
できればその中に、英語の本も含めたい。
いま、Kindleで買った本で途中まで読んで止まっている本が4,5冊あるので、
そのどれか1冊でも。

*追記:一冊、読んだけど本棚に反映されていないやつがあったので、2011年の読了数は19冊(本棚に追加済み)

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