The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2010年7月アーカイブ

川、のち、1−1

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今週は毎日帰宅がいつもより1時間遅くなってしまって、
息子を風呂に入れることが出来ない日が続いた。
確実に仕事をこなす速さは早くなっているはずなのに、
帰る時間が遅くなってしまうのはなぜなんだろう。

そうして、とうさんが息子にかまってやれなくても、
息子はスクスクと育っている様子。
二日見ないだけでもずいぶん様相が変わっていたりする。

ここのところ寝返りが激しくて、
親子3人で「川」の字に寝ていたのに、
5分もすると「1ー1」になってる。
さらに「い」になってたりもする。
そして、朝になるとだいたい布団と布団の間にはさまって寝てる。
様々なconstellationを試して、
最終的にエネルギー的に一番安定な状態に収まっているという、
極めて物理法則に則った所作である。

もう、生まれた頃とは比べようのないぐらい、
身体はしっかりしたものになって、
五感はいまや完全に機能している。

生まれたときは目が開いてなくて、
数日すると目が開いた。
その開いた目は何を見ていて何を見ていないかわからなかったが、
体を揺らすとそれを補完して一定の位置に視線をあわせるかのように
眼球だけが動いた。
三ヶ月ぐらいたつと、動く物体を目で追うようになり、
同時に首も動かして物体の行方を追うようになった。
そして、6ヶ月経ったいまだと、さらに体全体を捻ることで
さらにしっかりと動く物体の動きを追従するようになった。

また、背後で声を出したり音を出したりすると、
きちんと音の鳴った方向を向くことができる。
完全に音源の定位ができるといっていいだろう。

感覚と身体がずいぶんと連携して機能するようになったのがよくわかる。
感覚が機能しているのを表すのに、
「目が見えている」とか「耳が聞こえている」とかいうけれど、
結局それが外部からみて分かるにはアクションを必要とするということに
気付かされる。
その感覚が機能しているということは、
それによって巧みなアクションが支えられているということによってしか
わからない。

目の前に何かものを差し出すと、両手を広げてぎこちなく掴もうとする。
まだまだぎこちなくて、クレーンゲームでぬいぐるみをとりそびれるような
みていて歯がゆさがあるが、それでもちゃんと掴めるときは掴む。
そして掴んだあとどうするか?
十中八九、パク!っと口の中に入れる。
あるいは入れようとする。
そして全力であむあむあむあむとやる。

もうその、ひたむきさとバカっぽさが同じ分量で濃厚に入り交じっている光景は
見ていて幸せそのものである。

彼にとってその物体が口の中に入るかどうかという観念はおそらくなくて、
ともかく手につかんだものは片っ端から口にいれようとする。
(それで唾液でべたべたにする。)

まさしく「口唇期」である。
それがフロイトの言うように「性的サディズムの芽生え」であるとか、
そういう考えには同意できないけれど、
この時期の子供の行動を口に象徴させるのは子供の行動を見ていると
至極自然に見える。

歯も生えてきて、日に日に伸びていってる。
歯茎と歯では、やはり噛まれた時の痛みが段違いで、
時々腕とか指を噛まれるけど、相当痛い。

もう生後3ヶ月ごろからだけど、
人がご飯をもぐもぐ食べていると、
その姿をしげしげと眺めたりする。
こちらは、もぐもぐ食べながら「見てるなぁ、こいつ」と思うわけだが、
そのとき、認知科学をやっていた(いる)人間としては
やはりミラーシステムのことが気になってしまう。
こいつはいまミラーシステムがあるのだろうかと。

最近でこそ、離乳食をほんのちょびっと食べるようになったけれども、
基本的には乳しかのまないので、
僕が箸でものをつまんで口に入れて、
それをもぐもぐやって飲み込むという一連の動作を
「食べる」という動作として認識できないはずである。
そんな彼にとってミラーシステムとは一体どう機能しうるのか。

よく、自己がなければ他者は存在しないなんてことを言うが、
息子を観察していると自己があるようには思えない。
だけど、何か動くものがいたら目で追うし、
モノがあったら手で掴む。
他者ではないけれど、自分の外部にある対象を認識はしている。
それは他者とは違うのか、その延長線上にあるのか、気になるところである。

そのうち、楽しんでる自分、泣いてる自分、お腹がすいている自分に
気付く時がくる。
それが、フロイトの言うところの「肛門期」なのかな。
観察を続けるであります。

ヒーローオアヒール

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ほんとに、ほんとに、めまぐるしく時間が過ぎていく。

過ぎ去る時間が早いぶん、
意識を過ぎ去る感情のプラスとマイナスは激しく入れ替わる。

もともと気分の浮き沈みが激しい方で、その振れ幅も極端で、
いかにその場の気分に左右されない意思決定をするかということに
腐心している。

そんなんだから、昼間何かを思って、これブログに書こうと思っても、
夜には気分が変わっててそんな気も失せていたりする。
断片がtweetになって消えていく。

会社を継いでから半年経って、業務に慣れてきた一方で、
緊張感を保つことが難しくなってきた。
「一歩間違えば会社が潰れるかもしれない」というギリギリの緊張感で
これまでやってきたけれど、
身体のレベルでそういう危機感を持続できなくなっているように思う。
頭では分かっているし、六ヶ月前と今とで会社を取り巻く状況に差はない。
しかし、そういう緊張感を持って、最大限の注力をもって事に当たらなくても、
業務は(みためは)滞りなくすんでいるということが、
やはり気の緩みを生む。

いままでは、いろいろと具体的な問題があって、それに全力で対応していればよかった。
ヒーロー映画の正義の味方が"受身"で悪役に対処しているようなものだ。

今度は悪役側に回らねばならない。
何か新しいやり方で、世界に手をあげる。

ずっと自分の役割とは一体なんだろうと、考えてきたのだけど、
やっと確信をもった答えが見えてきた。

「役割」とは会社における役割のことではなくて、
この世界のプレイヤーとしての役割のこと。

やはりどうしたって、今の生活と、これまでの人生を切り離すことはできない。
また、会社というコミュニティといままで属してきたコミュニティは
いまのところ断絶してしまっているけれど、
どちらも自分の属しているコミュニティである。
そしていままでもこれからも属し続けているこの国や世界というコミュニティから
断絶した人生なんて考えられない。

いまこの瞬間のコンテキストにおいて、コンテキストから要請され、
かつ自分も望むことをしたいと思う。

それは親父の代わりになることではないし、
会社を発展させて、ガンガン金を稼ぐことでもない。
しがない博士の学生に戻ることでも、やはりないと思う。

自分の役割は、新しいビジョンを描くことだと思った。
鮮烈で強靭で絶対的な。
そうして"光の速度"でそれを具現化する”建設者”たらん。


恵みの雨のような二連休が終わる。

再び政治の季節へ、ただしイデオロギーは抜きの

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昨日のブログで「いま自分が出馬したとしたら、どうやれば当選するか考えている」
とか書いたけれど、
そういうことを考えたりするくせに、
いまの自分の年齢では参議院議員の被選挙権がないのだということを忘れていた。
小学生で習うことなのに!

選挙結果をみて、やはりイデオロギーで政治をやる時代は終わったなと思った。
イデオロギー先行で政策を決定する政党はこぞって凋落したような印象がある。

日本はもう、まったなしの状態に追い込まれているので、
日本国はかくあるべき、という理想によってアクションを選択していくのではなく、
現状で打つことができる手をできるだけ速やかに次々と打っていけなくてはならない。

現状で打つことができる手は非常に限られているし、
迅速に行動に移さなくては手遅れになる公算が高い。

そんな状況では正直言って、どの政党が政権を担っても、
「打つべきだし、打つことが出来る手」というのは変わらないと思う。
福田前首相は「誰が(首相を)やっても同じだ」と言ったけれども、
いまはどの党が政権を担っても打てる手・打つべき手は同じなのだと思う。

だから、そういう状況下ではマーケティングに長けた党が選挙に有利になる。
(選ぶ国民がきちんとした知性を持っていればというのが前提だが)

前回の民主党が圧勝した衆議院選挙の時、
自民党には是非とも壊滅していただきたいと思っていた。
実際、あの選挙の開票結果を見たあと、
もうこれで自民党は陽の目をみることはないだろうと確信したけれど、
残念ながら自民党は歴史の遺物にはまだならないみたい。

最初に消費税10%を言い出したときに
あの自民党がここまで言えるようになったのなら、もしや?と思ったが、
あの党はやはりしぶとい。
オレの予想は外れて、まだまだ生き続けるかもしれない。

マニフェスト的には民主党も自民党もそれほど大きな違いはあるとは思わない。
それは「打つべきだし、打つことが出来る手」というのは現状でかなり限られているし、
それを実現しようとすれば結果的に同じようなアクションプランになり、
そういう手を選ぶことが結果的に選挙で勝つ道へつながるという
合理的な判断の行き着く、必然的な帰結なのだろう。

今回、民主党よりも自民党が議席を増やしたのは、
その分、マニフェストが優れていたというよりは、
単に民主党の”好感度”が相対的に低かっただけだで、
誤差の範囲内みたいなものなのではないか。

一方で今回の結果は、イデオロギー政治の終焉を象徴しているのだと思う。

この国ではいま、選挙という民主主義のシステムが有効に機能している。
選挙という淘汰のシステムが無機的に旧来の秩序をなぎ払っていく。

末期症状を呈すこの国は一度や二度の政権交代や首相の交代では蘇らない。
おそらくすべてを入れ替えるような勢いでなければ。
選挙と道連れに、たくさんの国会議員を消し、
新しい国会議員を生み出すことで変わっていく。
100%を一辺に取り替えてしまうと
国家としてのアイデンティティが失われてしまうから、
部分的に、しかし網羅的に。
3ヶ月経つと体の細胞はすべて入れ替わっている、というイメージで。

次の"踊り場"はどこだろう?
その踊場が、次の殺戮の場になる。

人を選ぶのではなく、政党を選ぶべきでは

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参議院選挙の投票日だった。
結果はまだ知らない。

選挙があるときだけ、いつも考えるのは、
いま自分が出馬したとしたら、どうやれば当選するかということなのだけど、
今回は、それよりも選挙制度そのものについて思いを馳せることが多かった。

今回思ったのは、国会議員の選挙は小選挙区制を全廃して、
比例代表制いっぽんでやるべきではないかということだ。
地元の代表者を立てて、それを国会に送り出すというのはナンセンスだと思う。

北海道のひとが選挙で北海道の代表者を選んで、
その選ばれた代表者は東京の霞が関に行って
北海道だけではなくそれ以外の地域のことも議論をする。
それで、果たしてその人を選んだ北海道の人はどのぐらい
報われるのであろうか?

もちろん、報われるケースはあるのだろう。
だからこそ、そういう選挙制度をこれまで維持してきたのだから。
だけど、自分にとってはまったくピンとこない。

選挙の候補者はほとんどの場合、一度も面識を持ったことがない人たちである。
その人達がどういう人かを吟味して選ぶことを、
たった2,3週間でしろだなんてどうかしていると思わないか?

全然知らない人を選んで、さらに、ローカルに生きる自分にとって、
その人が国家レベルでなされる意思決定の場でどんな成果をもたらしてくれるのか
予想するなんて、まったく不確実になりすぎて、全然予想ができない。

つまり、国家レベルのマクロなことを決定するのに、
ミクロなレベルの代表者を選出してもしかたがないと思う。

基本的には国会議員は自身が所属する政党の意向に沿うように
政治活動をするはずなので、選ぶべきは議員ではなく政党なのではないかと思う。

国家レベルの意思決定はもう政党を選ぶだけのスタイルに変えてしまって、
県議会議員や市議会議員など、ローカルな場での意思決定をしてくれるひとは
やはり従来通り個人レベルで人を選ぶようにすればいいのではないかと思う。
そして、その代償として、もっと地方自治を強化するのがいいのではないか。

政党を選ぶようにすれば、日本全国の人が同じ土俵で議論することができる。
衆議院・参議院の国会議員選挙では
国家レベルの意思決定機関の人選をするのだから、
そうするのが理想なのではないか。
誰に投票するか?という議論を長野のひとと群馬のひとではすることができない。
なぜなら、それぞれの地域で立候補者が違うのだから。
しかし、どの政党に投票するかという議論はどの県のひととでもすることができる。

国会議員からは属人性を廃するべきだ。
日本でやっとマニフェストが普及してきたのだから、
「誰々さん」と個人名で選んで投票するのではなくて、
マニフェストを比較して、今後この国を、あるいは自分をよくしてくれそうな
マニフェストを掲げている政党を選ぶようにするほうが、
よっぽどシンプルだし、政策の意思決定の速度もあがるはずだ。


変革への意欲

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仕事を初めてからそろそろ半年である。
日常業務にはだいぶ慣れてきたし、
会社の財務状態がどうなっているのかということも把握しつつある。
新居での生活も慣れてきて、生活のリズムもできてきた。

なので、いよいよ会社の体制を変える準備が整ってきた。

博士の学位をとりに戻るのであれば、
タイムリミットはあと1年と半年である。
今年と来年で、自分が研究に戻れるような環境を整えないといけない。

休学は最長で3年できるけれど、
休学していても博士課程の在籍期間としてカウントされる。
博士課程の在籍期間は最長で6年で、
すでに2年経過しており、
2年休学したら残りは2年となる。

その残りの2年で論文を2本投稿して掲載されないと
博士の学位は取得できない。
2年で論文を2本を書くなんて自信ないけれど
1年だったらもっと自信ないので、
最低でも2年はそのための時間として確保するために、
休学できる最大の年数は2年ということになる。

あと2年で自分がいなくても営業に支障が起きない体制に
することができるか。
これから、非常に重要な1年半になる。

自分はこの境遇を受け入れている。
というか、楽しんでいる。
でも、それと現状に甘んじることは違う。
やりたいことを諦めることとの正当な理由にはならない。

あたらしくバイトの人をやとったり、
営業活動のための下準備をはじめたりと、
変革のための下地作りはすすめている。
大きく実るといいな。

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