The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2010年6月アーカイブ

ロングスパンで考えるくせを

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ゴールデンウィークが終わったと思っていたのに、
いつの間にかお中元だのお盆休みだののことを
考えないといけない時期になってしまった。
小学校の脇を通ったら、もうプール開きしているし。
暑いはずだよ。

この感覚でいくと十年一日というのはほんとうで、
仕事に没頭していたら10年なんてあっという間に過ぎてしまいかねない。

実際、高校生だった17歳の時からもう10年経ってしまったわけであり。
2000年がいまや2010年である。

高校生のころの友人にもらった誕生日プレゼントで
カップヌードルの10年缶というものがあった。
カップヌードルが缶詰になっていて、賞味期限が10年というもの。

IMG_0673.jpg

ちょうど今年の2010年が賞味期限が切れる時で、
たまたま見つけたので開封して食べてみた。
カップの外側に緑色のシミができていて、
猛毒のカビだったりして?とか思いながらこわごわ食べたのだけど、
いまのところお腹を壊していないので大丈夫だったんだろう。

このカップラーメンで、10年前のことを思い出した。
あの時に出会った先生が、いまの博士課程の進路につながっている。
先生というのは当時通っていた予備校の先生で、
しばらく忘れていたんだけれど、ふと、思い出した。
あのカップラーメンは予備校の友達にもらったものだった。

あの時、あの先生は今の自分の年と同じぐらいだった。
もしくは、今の自分はあの時の先生の年齢を上回ってしまっているのかもしれない。

20代後半のあの先生は、そうして先生であるとともに、
あの予備校の代表でもあった。

仕事の内容が全然違うけれども、
同じぐらいの年齢で会社のトップを務めるという点で共通している。
10年経って、あのころの先生の姿をまた違った視点から
見ることができると気づいた。
それが今の自分にとって大きな収穫のように思える。

あの時のあの先生の姿にずっと憧れていた。
いまの自分はあの憧れていた姿になれたかな?
いまやすっかりあの先生の影響力は弱くなってしまったので、
あの憧れていた姿になれていなくても一向にかまわない。
けれども、もしその姿にいくらかでも近いものになっているのなら、
それはやはり、うれしい。

それは、いまでもあの姿になりたいと思っているからではない。
10年前の自分が全力で望んだことが
わずかでも叶ったのだということが、
10年前の真剣で深刻だった自分へのねぎらいになるから。

ティーンエイジャーのころの純真さと熱烈さは、
もう眩しくってまぶしくてたまらない。
いま本当に自分が望んでいることは?と自分に問いただすことは
おそろしくなってしまっている。

10年前はそんなだった。
じゃあ、10年後は?皆目わからない。
けれど18年後のことはなんとなく考える。
18年後、息子は18歳になっている。

自分の人生を振り返ってみると、そのぐらいの年になると家にはよりつきやしない。
そのぐらいの年になると、
息子は勝手によろしくやっているようになるんじゃないかと思う。

だから、息子と親子らしくいられるのはあと18年だと思うことにしてる。
いまは、オレが帰ってくると全力で笑顔をみせてくれるかわいいさかりなのだけど、
中学生ぐらいになれば、きっと奥田民生の
「半人前が、いっちょ前に部屋の隅っこ、じっと見てやがる〜
 おー、飯も食わーず生意気なやっつっだー」
な状態になる。
それはそれで楽しみにしているけれど、
時は経つし、子は育つし、親は老いるということを忘れないようにしたいと思う。

重苦しい軌跡

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図体が大きいと、それだけ動かすのに時間がかかる。
軌跡は思い描くだけではダメで、実際に描いてみなければだめ。
描いてみて、はじめて描こうとうした軌跡が描けるかどうかの
手応えを得ることができる。

図体が大きいと、思い描いた軌跡を描こうとしても
軌跡の終点まで描くには長い時間がかかる。
その時間の間に、得られるフィードバックを漏らさずに感じ取って、
全力で軌跡を描く。
しかし、思い描いた軌跡を描けそうもないとわかったら、
即時に撤退する用意も必要。

きっと、そういうことって、
自分の身ひとつを動かすことしかしてこなかったならば、
きっと身につかない。

自分の体は動かせばすぐに動く。
動かしてみたら、思い描いた軌跡を描けたかどうかも、
すぐわかる。

重い軌跡を描くときは、それが描かれる時も思い描いて、
ずっと先の先の描かれてほしい軌跡のために、
少しずつでも重苦しい歩みを緩めてはならない。

何年も先の、描かれて欲しい軌跡のために、
具体的な歩みをすすめること。
恐れず、気を緩めず。

ゴルフはきっとやらない

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うちが資本金の一部を出資している会社の総会だった。
他の出資者たちもあつまって、議長が決算書を読みあげるのを聞いて、
異議ありませんか?と聞かれたら異議なしと答えて、
ようはそれだけの会。

その後、お弁当が出されて、それを食べながらの懇親会。
いくつかの話題のあとにゴルフの話題がでてきて、
どこそこのゴルフ場へ行ったとか、
スコアはいくつで90を超えるのが難しかったとか
そういう門外漢にはぴんとこないけれど、
ゴルフをやっている人にとっては当たり前なのだろう会話になった。

他の人達で盛り上がっているので、
自分はへぇとかほぉとかかすかに相槌を打ちながら聞いていて、
そうしたら
「野澤社長もそろそろゴルフを始められた方がいいんじゃないですか?
 早ければ早いほど有利ですよ」
と隣の人に話を振られた。

その場は「あ、早い方が有利ですかぁ。そうですよねぇー。」と
返答しておいたけれど、いろいろと考えてしまった。

そういう人生か!
ゴルフを一緒にプレイすることで、
親睦を深めたりするのか!
そういう風にオレの人生はなる可能性があるのか!

ゴルフの話題を聞きながらぼんやりと気づいてはいたけれど、
もろにそうして話題を振られたのでショーゲキを受けてしまった。

ゴルフをして親睦を深めると言うのは、
よく聞くけれど、それは世界的な風習なのだろうか?
偉い人、すなわちゴルフが趣味、っていう固定概念は
普遍的なものなのだろうか?

よく考えたら、うちの親父はゴルフをしに
休みの日にでかけていったということがないので、
たぶん、オレもそうすることはないだろう。

でも、一度ぐらいは体験してみたい気がする。
ゴルフ場に行って、おじさんたちとゴルフに興じて、
終わったらビールで喉を潤して、
そうしてそこで交わされる会話がどんなものなのか、
なんとなく想像はつくけれど、
実際に目の当たりにしてみたい気もする。

かなだ

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茂木ラボのメンバーたちは明日あたりからカナダへ発つようだ。
意識の国際会議 ASSCへと。

そっか、今年はカナダか。
来年は日本らしい(京都)。

ASSCのあとはSfNという神経科学の国際会議が控えている。
そちらは米国サンディエゴ。
米国内の3箇所をローテーションで廻っていて、
3年前のサンディエゴは自分も行った。

あれから3年も経ってしまったなんて、哀しくなってしまう。
2012年はニューオリンズらしいので、
その頃には行けるようになっていたらいいな。

今は一泊の国内出張すら難しい。
日帰りで東京にでていくのがやっとだ。

明日は出資している会社の株主総会に行く。
それなりにフォーマルな恰好をしていかないとまずいだろうけど、
涼し気なスーツはあいにく持っていない。

"露骨"さの理由

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昨日のブログ記事に載せた人口分布の図で、
70歳以上の左右の非対称性が露骨だと書いたけれど、
今日またしげしげと見ていたら、戦争のせいだということに気づいた。

そもそも”露骨”だと書いたのは、
男性より女性の方が長生きすると世間でよく言われることが、
露骨に反映されていると思ったからだ。
とくに90歳以上をみると男女比が1:4ぐらいになっているように見える。
昨日はこれをみて露骨だなあと思ったわけだが、
それでもあんまりにも露骨ではないか、他に要因はないのか?と
考えていたら、あ、そっか第二次世界大戦で大量に男が死んだからではないか?
と気がついた。

それで、すごく大雑把に計算してみる。
人口を大雑把に三角形で近似して70歳以上の人口を数えてみる。
男性は、70歳の人が65万人いて、それが線形的に減っていて、
90歳ぐらいで0になる。
だから65万人×20年÷2=650万人が大雑把に見積もった
70歳以上の男性の人口。
一方、女性で70歳の人は80万人いて、95歳あたりで0になる。
よって80万人×25年÷2=1000万人が70歳以上の女性の人口。

男女の差は350万人。
それで、第二次世界大戦における日本の戦死者をグーグル先生に聞くと
230万人と帰ってくる。
戦死者はすなわち兵士であり、兵士はすなわちほぼすべて男性である。
よって230万人の男性が死んだと言うこと。
そうするともし戦争がなかったら男女差は100万人ということになり、
それを70歳から100歳までで均等に分配すると、
ひとつの年齢につき3万人程度の差ということになる。
それぐらいだったら男女で差があってもおかしくないかなという
数字に、落ち着く、と思う。

そういう視点でみてみると、終戦当時に二十代だったひとは
その図の中の83歳から93歳で、
たしかにそこは女性の分布を基準にするとえぐり取られたような形に
凹んでいる。

戦慄する夕べ。


消費税と人口分布

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日本にとって消費税は悩ましい問題である。
消費税の議論が巻き起こる度に、増税は先送りにされ、
あるいは増税が決まると、その政権は崩壊する。

そして再び消費税が10%になることが現実味を帯びてきた。
僕はこの政策を支持するけれど、
この増税を呑めるか呑めないかで、
僕ら若い世代のこれから背負い込まされる負担も決まってくる。

現在のような極端な少子高齢化の人口分布になることは、
1980年後半ごろからでも予測はできていたはずだ。
少なくとも、人口分布が標準的なピラミッド型とはよべない形になっており、
壺型に近くなっていたはずで、
その人口分布だと、ピラミッド型を前提として設計されていた
福祉制度が立ちいかなくなるのは論理的な帰結としてわかっていたはずだ。

スクリーンショット(2010-06-20 21.56.49).png


あるいは最初の消費税導入から約10年後の消費税の5%への引き上げ時には、
人口分布はすでにコブラの頭のような形になり尻すぼみになっていたはずだ。
それでも少子高齢化の問題は理解されなかった。

というか、自分でも少子高齢化による人口分布の歪曲と
それに伴なう社会福祉制度の行き詰まり、
そして拡大する世代間格差の問題を理解したのはつい最近だ。
それでも、論理的帰結としてはもうずいぶん前からわかっていたはずで、
もっと前から主張されていてもおかしくなかったはずだ。

それが、すでに取り返しがつかない時点になって、
やっと一般に認知されてきて、それを是正するために
消費税を持ってくることになるのは遅すぎやしないか。

なんとなくだけど、官僚とよばれている人たちはこの問題はきちんと理解していて、
そのための政策を提案していたんではないか。
それでも、ポイントオブノーリターンを過ぎるまでその提案が
受け入れられなかったのは政治家の見識のなさであるとしか思えないし、
そういう政治家を支持し続けた国民の問題でもあるのだろう。

もし今回の参院選で消費税増税がすんなり通るようなら、
さらなる消費税の増税も視野に入ってくるだろう。
若者マニフェストにあるような消費税30%なんて日も来るかもしれない。

誰かを積極的に犠牲にするような行動は誰しもいやなものだ。
しかし、これはトロッコ問題である。
あるいはファットマンを突き落とすか、5人を見殺しにするか。

老人たちの食い逃げを許すか、
全員で自腹を切るか。

そういう苦しい決断を一人ひとりが真摯に考えて
決断を下さなければならない。
難しい政治判断を人任せにするのではなく。

ところで、人口分布図を見ているといろいろと面白いね。
70歳以上の人口分布の左右の非対称性が露骨だこと・・・。
あと、ところどころ櫛の歯が抜けたように人口が急落している年齢があるとか。

人口が今後も減少をし続けるかどうかは、
なかなか怪しいと個人的には思っている。

これから日本はどんどん厳しい時代に入っていく。
皮肉なもので、生きるのが厳しい時代ほど子供の数が増えたりする。
そして豊かになって生活にゆとりが生まれてくると、
江戸時代のように出生率が下がってくる。
このまま日本の国での生活が厳しくなってゆけば、
それに反発するように出生率はあがっていくかもしれないなんて、
思ったりする。

幸せな(いまにしてみれば「おめでたい」)国家だった

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日本はこれまで、幸せだったんだと思う。
母国語以外ができなくても問題はなく、
政治に関心がなくても不利益を被ることはない。

言語に関しては、これから先、
「英語ができると有利」というオプショナルな価値ではなく、
「英語ができないと先はない」という必須の力になる。

政治にかんしては、上の人たちが「よきに計らってくれる」という
おもねりが、もはやできなくなった。

すべての人が政治に参加するのは当然だ、と
多くの人が思うだろう。
古代ギリシャのように、
全員が政治に参加する直接民主主義が理想だと言うだろう。

自分でもそう思うし、政治というのはどこか他の世界のことではなくて、
まさに”自分の問題”だと思う。

けれども、「自分の問題」であっても、それは「自分が解きたい問題」で
あることは往々にしてない。
ほとんどの問題が向き合いたくはないけれど、
そうせざるを得ないめんどくさい問題だと思う。

だからこそ、そういうめんどくさいことに関わらずに無関心でいられた時代は
幸福な時代だったのだと思う。
”上”の人たちがよく考えてやってくれてるんでしょ。
そうやって人任せにしていられたこの国は幸せだったのだ。
戦後から90年代まではそれでこの国はうまくまわっていたんだから。

投票率が70%を大きく下回っていてコマッタモノダとか言うけれど、
それはそれだけ幸せな国家だったということなのだ。

言語に関してもそうだ。
外国と真剣にコミュニケーションをとる必要性がなかったから、
韓国や中国に大幅にその能力の差がつけられてしまっている。

それは英語に限ったことではなく、
国語以外の言語に対する関心が、おそらく低すぎる。
日本が島国でなく、どこか他の国と隣接していたら、
きっと他国の言語を習得することに対する切実さは
もっと全然別のことになっていただろう。

自分の国の言葉さえ話せればとりあえず問題ないという
アメリカ人みたいな態度でいられたことも
やはり幸せなことだったのだ。

少し前のブログで書いた記事「人は変わるんだということ」は
自分なりのLanguage policyの挫折を書いたつもりだ。

それまでの自分は、学問は全て自国の言葉で学習することができる、と
何の疑いもせず信じていた。
そして、学問のような理解するのに高度な思考を要するものは
母国語以外の言語では到底習得することはできないと思っていた。
そうして、どこの国だって、学問は自国の言葉で行うし、
それができない国は文明が遅れている国であって、
日本は十分文明が進んでいるから、
他国の言語で学問をやる必要はないと信じて疑わなかった。

いまから思えばなんて稚拙で傲慢で無知なのかと思わずにはいられないけれど、
でもそれが間違っているなんて露も思っていなかった。

だから、英語の教科書を提示されて、
これ以上学ぶためにはそういうものを読むしかないという現実を突きつけられたとき、
20年弱で築かれた自分の世界観は激震した。
それからその現実を受け入れるまでの数年間は、
苦々しい挫折の期間だった。

日本語だけでいいじゃん、と言っていられた期間も
やはり幸せだったのだと思う。

もう日本は、否応なしにグローバル化の流れに飲み込まれている。
まだ断片的に旧来の秩序は残っているが、
その流れのうねりによってその残った秩序はずたずたにされて
レゴブロックの1つのブロックぐらいまでに分解されてしまうだろう。

もしかしたら、そうならずに済んでいたのかもしれない。
日本がきちんと一定数のエリートを育てて、
その人たちに国をコントロールさせ、対外的な折衝をやらせれば、
市井の人々はもっと気楽でいられたかもしれない。

でも、日本はエリートの育成に失敗した。
グローバル化のうねりと国内の凪を切り離しておけるだけの
バッファーたるエリートはこの国にはいなくなってしまった。

エリートは、国家を外国の暴風から身を挺して守るという大変な役目を
負わされる反面、それ相応の見返りを与えられ、
何より国民から尊敬される。
でもこの国にはもうそういう人材はいない。

50年前といまとで「総理大臣」のステータスは失墜してしまった。
それまでは日本一偉い人だった。
いまは、間抜けの同義語といっても賛成してくれる人は多いはずである。
政治家もいつのまにか無能な悪代官になってしまった。

だからもう、腹をくくって全員が裸踊りをはじめるしかないのだ。


WANTED: action with intelligence

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すっかり陽気は夏で、暑い日が続く。
梅雨はどうなったんだろう。
これから来るのかな。

まだ今日は湿度がそうでもないので、
エアコンはつけずに車を運転できた。
容赦なく太陽がハンドルを握る手を焼く。
開けた窓から風が吹き込む。
ときどき排気ガスが臭う。
汗と埃で、顔はすぐさまべたべたになる。

そういう泥臭さも、案外気持ちよかったりする。
生きて働いているということを強く感じる。

肉体労働者になって朝から晩まで働いていると、
世界から隔絶される。
政治も選挙も教養もへったくれもない。
ただ目の前にある信号や荷物の重みやランチの看板が
視界のすべてを埋め尽くす。

そういう世界に没入してみると、
政治家や科学者や小説家がまったく無力な存在に見える。
そのひとたちの声は、全くここには届かない。

この国の問題にピーピー文句を垂れるだけのインテリも、
適切な危機感を抱けない鈍感なインテリもどちらも無力すぎる。
行動する知性が求められている。

そうでなければ、ここまでは届かないよ。

静かな夜

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ふと気づくと、この生活にも慣れてきた。
月曜から土曜まで毎日12時間働くのも、もう慣れた。
仕事の要領もわかってきて、力の抜き具合もわかってきた。

帰ってきてから息子を風呂を入れて、
ご飯を食べて、食器を洗って、洗濯物を干す。
それが自分に課せられた最低限の家事で、
それが終わったあとは1,2時間の自由時間がある。
その時間にこうしてブログを書いたり、
本を読んだりする。

その時間が自分の心のバランスを保っていてくれているのかもしれない。

会社の方は、まだ成長戦略を見つけられない。
売上の推移だけで見ると創業から10年前までは年率10%程度の
成長をしていたのだけど、
この10年はゼロ成長といってよい。
創業当時の状況といまとではずいぶん変わってしまっていて、
ビジネスモデルの大幅な変更が必要なのだと思う。
それでも、ずいぶんと商売のやり方も変わってきたはずなのだが、
やはり根本的な戦略の練り直しが必要なのだろう。

そういうことをもっと腰を据えて考える時間が欲しいのだが、
いかんせん日常業務で忙殺されてしまっている。
前年度の決算が終わって、ある程度定量的な余裕の把握もできたので、
タウン誌にアルバイトの求人の広告を出すことにした。
自分と一緒に雑務をこなしてくれる人を募集。
良い人がきてくれるといいけど。

越谷の同級生たち

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越谷に帰ってきて、ひそかに楽しみにしていたのが、
地元の友達とばったり会うことだった。

中学まではこの越谷の学校に通っていたわけで、
懐かしい友人たちがこの街にはいる。
はずなのだけど、ぜんぜん会うことがない。

でも良く考えてみると、オレ自身が高校・大学と東京へ出て行ってたし、
こうなる前は品川区に住んでいたわけだから、
当時の友人達がもはやこの街にいなくなっていてもおかしくはない。

それで、やっぱりやつらはもういないのかなぁと思いはじめていたが、
なぜだか立て続けにあのころの友達にあった。
最初にあったのは結婚式に来てくれた友人のM. Y。
普段は中野に住んでいるんだけど、ときどき越谷に戻ってきていて、
それでオレがいまこっちにいることを知って、
我が家に遊びに来てくれた。
冗談で、「オレの会社に来いよ!」と言ったら
「ばか、オレはもうすぐ正社員になるんだよ!」と言ってた。
彼は郵便配達夫。

それから二人目は、越谷に住んでいる友人H. Kで、
いまはエアコンの取り付け工事の仕事をしている。
ちょうど新居にエアコンを買ってつけようとしていて
風の噂で、H.K.がそういう仕事をしているというのを
聞いたのを思いだして電話したら工事の下見に来てくれた。
エアコンはネットで安く買って、取り付け工事をH. Kにお願いしたのだった。
明日かあさってに実際に工事をする予定。
H. K.は一児の父で、あと数日で二人が生まれるんだと。

3人目は越谷市役所に用事があって昨日行ったとき、
申請した書類を受け取るのを待っていると、
見慣れた声と顔を見つけて声をかけた。
中学の後輩のI. Nであった。
昔、バンドをやっていたころに親しくしていた後輩である。
聞けば、いまもバンドをやっているという。
土方の仕事をやりながら。

そんな感じで数日のうちに立て続けに中学の友人に3人も会った。
なんだか頼もしかった。

越谷にいる友人の方が結婚率が高いし、子どもがいる確率も高い。
なんていうか、すごく露骨に生き方の違いを目の辺りにさせられる。
同い年でももう4人も子供がいる同級生もいたりする。

人生って、こんなにも多様なんだ、そうだよなと、
改めて人が歩む道のダイナミックレンジの広さを実感する。
いろいろな人生がある。
それでいい。

自分はまだまだ青い。

眠っていた30年前の決算書

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会社の裏の倉庫に眠っていたほこりまみれでカビの生えている書類を引っ張りだしてきて、
各年度の決算書を掘り出した。
3年分みつからなかったけれど、それ以外はみつかった。
第1期から最新の第31期までの数値をエクセルに入力して
会社の成長具合や財務状態を視覚化してみた。

そこに何年に土地を買ったとか、
こんな事件があったとか、自分が進学したとか、
そういう断片的な記憶を書き込んでいった。
オレが生まれる前から存在するものだとはいえ、
自分の年齢とほとんど変わらない。

自分が子供の頃の記憶の意味が会社の歴史と関連づけられることで、
新たな意味を帯びてくる。
記憶の再構築作業。

それと同時に何年分もの決算書を読んで、その前後関係を見ていくことで、
やっと貸借対照表と損益計算書に書かれた数字に
リアリティを感じられるようになってきた。

そこに書かれた数字と、それが現実のどんな"意味"を反映しているのか、
その関係がリンクするようになってくる。

喫緊の問題は仕入値の高騰で、原油の高騰に連動して、
仕入れ値はあがり、運搬にかかるガソリン代もあがってきている。
実に2、3年で5%も仕入れ値があがってしまった。
そしてその仕入れ値の増加を売値に反映できておらず、
その結果、深刻な利益の減少にあえぐことになった。

それで、前々年度は数百万の赤字になっていたところだったのだが、
保険の満期でまとまった額の雑収入があり、また、大型の工事があって、
突発的な利益があったことで、なんとか赤字にならずに済んだ。

そして前年度の決算では、そのままだと赤字になることは目に見えていたので、
役員報酬(父の給料)を大幅にカットした。
それによって前年度は収支がなんとか合う形となった。

今年度は、ちょうど鞍点にある。
仕入れ値があがれば赤字に転じるし、
売値を上げるか、固定費を下げるかしないと黒字化が危うい。
直感的に「ぎりぎりだなあ」とは思っていたけれど、
こうやってある程度定量的に「ぎりぎりである」ことがわかって、
改めて気を引き締めないと、と思う。

ただ、貸借対照表をみると借金がほとんどなく、
流動負債の倍近いキャッシュがあるので、
財務体質は非常に強い。

30年分のデータを並べてみると圧巻である。
これが、親父が30年かけて作り上げたものか。
感慨深くならずにはいられない。

スクリーンショット(2010-06-14 23.43.08).png

まだ一里塚

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昨日は月に一度の定例会議だった。
毎月、会議が終わるとほっとする。

某申請書類のために会議資料を作る時間があまりとれなかったけれど、
なんとかなった。
先代の社長のときは、おそらくその定例会議は
会議ではなく訓戒の時間だったろうと思う。
そのため、社員にとっても会議は"苦行に耐える時間"であったと思う。

そんな雰囲気がこれまでやった3回の会議にはあった。
本当は、会議を対等な議論のできる場にしたいと思ってやってきて、
今回はそういう苦しい雰囲気がだいぶ和らいで
社員全員の一体感や、生産性のある話し合いができたような印象があった。

昨年度の決算が確定して、税金も払って一段落だけど、
いろいろとわからないことは多い。
赤字ではなかったようだが、じゃあ会社は安泰なのか?というと、
そんな感じでもない。
でもどのぐらいあぶないのか?どのぐらい余裕があるのか?ということを
もっと定量的に把握できないと、なかなか次の戦略が決められない。

人手が足りないので、もっと人を増やしたいと思っているけど、
果たしてそんなことをして人件費をふくらませて大丈夫なのか?
一台、かなりボロい車があって、それを買い換えた方がいいような気がするが、
その余裕はあるか?
来月はボーナスの時期だけど、それに当てる原資はあるのか?
現在の損益分岐点が正確にはどのぐらいで、
月次の損益はきちんと黒字になっているのか?
あるいは、毎月どのぐらいの税引後利益があって、使えるのか?

いまみたく親父が死んで社長になる前から、
決算書や財務諸表は読めるようになりたいなと思っていたが、
それでもふにゃふにゃな知識しかないのでいまのところ歯がたたない。
とにかく今は、暇を見つけては財務や経理、会計に関する本を読んでいる。
すこしずつわかってきているけれど道半ばである。
でも、そういうことがわかってくると、自分の会社のことだけでなく、
世の中のこともわかってくるので、楽しい。

とりあえず今は非常にライトウェイトな本しか読んでいないけれど、
それでも今の時期は得るものは多い。
内容がどっしりと重くて本格的な本は今の自分には無理だ。
今は簡単に読めるものを数読むというのに専念している。

そういう財務や会計に関することは「何がわからないのかわからない」という
本当によくわかっていない状態だったけれど、
最近やっと「減価償却がよくわからない」という具体的な疑問を持てるようになった。
そうやって具体的な疑問を持てるようになることは、
その分野の理解に関する一里塚になりえる。
その疑問に関して考える事でそれが解決したりそれに関連したあらたな疑問が
生まれたりして、理解が雪だるま式に加速するからである。

「減価償却が次の年度で終わるから来年は楽になりますね」ということをいわれて
そうなのか、楽になるのかと思っていたけれど、
でもそれは決算書上や経理上・会計上のことであって、
毎月毎月「減価償却費」というキャッシュをどこかに払っているわけではない。
だから楽になるっていってもあまりピンとこないし、
そもそも「減価償却費」は損金計上することで利益を少なくすることに寄与していた。
利益は多い方がいいじゃんというのはナイーブな考え方だが、
実際は利益が多いとその分税金もかさむので、
そのことも勘案して、利益はできるだけ圧縮しようとするものである。

減価償却費が少なくなるということはだから、
利益が同じなら税金を払う額が多くなるということで、
なんかそれっていいことなのか?という感じがする。
そもそも減価償却ってなんのためにそういう科目があるのだろうか。

。。。という感じで考えている。

* * *

会社の決算が一段落したら次は親父の遺産の相続の手続きが待っている。
相続に関しては、自分が遭遇してみていろいろと思うことがあるけれど、
それに関してはいずれまた書く。

心配なふともも

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嫁曰く、息子の体重を測ったら9キロ超えてたらしい。
生まれたときは3.2キロだったのに、3倍か!
母乳しか飲んでないのに3倍か!
お前の体の三分のニは母乳でできている。

たぶん平均よりはでかいのだと思う。
特に足が太くて、小錦か曙?!と思ってしまうほど太ももがたるんでいる。

ここのところ、寝る前にギャン泣きする。
原因がわからない。
とにかくよく泣く。
嫁が風呂に行っている間、渾身の力を込めて泣く。
父親は為す術なくゆらゆらと抱っこしてひたすら耐えるしかない。

なんで泣いているのかよくわからない。
母親が恋しいのかもしれないし、
ミルクがのみたいのかもしれないし、
部屋が暗いのが怖いのかもしれないし、
ある人は眠くなって意識が途切れそうになるのが怖いのかもしれないという。

生まれたころは、泣いたらおっぱいかおむつ替えをすれば大抵収まった。
だから泣く原因がわかりやすかったけれど、
いまはなんで泣いているかわからないことが多い。

それはきっと、人間らしくなってきたということ。

人は変わるんだということ

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いまや、自分にとって、
英語で本を読んだり、英語の動画を見たり
英語で会話したりするのが、当たり前になったわけだけど、
大学3年のときまではそんなことができるようになるとは思わなかったし、
そうなる必然性も必要性もナッシングだと思っていた。

中学の英語は簡単で完璧にできた。
でも、高校に入ったら途端に落ちぶれて泣きそうになりながら
いつも赤点ギリギリ(ときどき赤点)の答案を書いていた。
大学受験の時は
「なんで毛唐の言葉をオレが学ばなきゃなんねーんだ、ファク」(お下劣)
とか思いながら苦行モードでこなしていた。

そんで大学1年になって「これ、枕でしょ?」とつっこみたくなる
でかくて分厚い英語の有機化学の教科書を2万円以上も払って買わされて、
「こんなの固すぎて枕としてもつかえねーし」、とか悪態つきながら、
さらに同じぐらいの出費をして日本語訳を買った。

原著: 日本語訳: x 3


で、その日本語訳の日本語がかなり理解に苦しむ代物で、
試しに原著の方を読んでみるとやっぱりわからないんだけど、
でも、原著の方も日本語訳の方も理解の苦しみ具合は対して変わらなくて、
英語だともっとワケがわかんないはず、と思っていたのに肩透かしを
食らった感じがした。でもその不思議な感じはすぐに忘れた。

それまでは、英語をそれによって何かを学んだり知ったり楽しんだりするためのもの
として捉えたことは一度もなかったと思う。
中学、高校の6年間でたぶん一度もそういうことはなかった。
端的に言えば、授業の中にそういう科目があって、
それを勉強してテストを受けて一定以上の点数をとらないと
卒業できないからというモチベーションでしか、英語を勉強したことがなかった。

当時は英語力が低かったから、日本語だと意味が直感的に理解できるのに、
英語で何か言われるといちいち考えないとわからないし、
そうやって考えてもわからないことが多かったから英語を聞くとイライラした。
だから日本語の会話の中に英語あるいはカタカナ語を多用する
政治家とかインテリとか、全部いけすかない反吐がでる奴らだと思っていた。

でも、そこはさすがに(2流だけど)大学で、
試験問題は英語で出てくる時があるし、
実験で有機物の物性を調べるときも英語の文献をさぐらないといけないし、
次第次第に、もしかして英語って生粋の日本人のオレにも必要かも?と
薄々気付き始めたのだった。

自分の所属していた学科の教授陣は誰ひとりとして尊敬する気になれなかったけど、
他学科にもぐりこんで分子生物学の授業をうけていたときの先生は
尊敬とまではいかないけれど信用できるなと思っていて、
その人が指定する教科書がやはり英語の教科書だった。

WatsonのMolecular Biology of the Geneだった。


確かその当時、その本の日本語訳は出ていなくって、
内容を理解しようと思ったらその原著を読むしかないのだった。
授業がすばらしくて、教科書を読まなくても内容を理解できた。
それでも授業のすべてを完全にノートすることはできないので、
細部を思い出したり理解するためにはその教科書を読まねばならなかった。
授業である程度理解したあとなので英語でも
なんとか読めないこともないという状態だった。

おそらく、あの時が英語を"手段"として用いて、
ある程度の効力感を感じた最初のときだった。

大学4年になって、研究室に配属されて、文献を読む段になって、
初めて「英語なんて必要ねーし!」という態度が
もはや維持できないということを思い知った。
英語が読めない、即ち何もできない。

そうやってある程度英語を読むようになって、
再び大学1年のときに「この枕以下!」と罵った有機化学の教科書を読むことになる。
理由は大学1年のときのその有機化学の授業の単位を落としていたから
再履修する必要があったため。
それでもう一度あの憎き枕教科書を繰ることになるのだが、
今度はわかりやすいのでびっくりした。
日本語訳を読むよりも圧倒的に理解しやすかった。
昔は読めねーと思っていたあの英文は実は平易で明晰な英語だったのだと思う。
すっすっすっ、と直感的に一文一文の意味が入ってくる。
日本語訳は翻訳によりとても歪んでいたから理解しづらかったのだとわかった。

あれから、もう、1,2、、、、5年?経ったのか。
いまみたいに英語と接するようになっているなんて
想像もつかなかった。
いまもそれほど英語ができるようになったわけではいけど、
あの頃と比べると雲泥の差のように思う。
いまでも日本語と英語の間には30メートルぐらいの壁があって、
シームレスに使えるような状態には程遠い。
でも、昔はチョモランマ級の断絶があったように思う。
それに比べればいまのサイズはかわいいものだ。

一ヶ月、二ヶ月、1年ぐらいではなかなか変化というのは実感しづらいけれど、
5年も経てばずいぶん変わっているものだと思う。
確かに小学校1年生と小学校6年生ではずいぶん違う。
成長曲線の急峻さは子供の専売特許だと諦める必要はない。

5年たったら変わっているというのは、
考えてみたらあたりまいなんだけれど、
今日はふとそのことを思い、勇気づけられた。

英語なんてやってられるか!という態度だった人間が、
ここまで英語にフレンドリーになったのは
自分の実感としてはけっこうな変り身だと思う。
パラダイムシフトといっても大げさではない変化である。(自分にとって)
そういう風に変われたわけだし、
きっとこれから先も変われる。
そのことが、とても頼もしい。

平凡な休日

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何ヶ月ぶりで日曜日に日曜日らしく、適度に何もせず、適度に何かする
日曜日を過ごした。

今日した生産的なこと:髪を切った
今日した非生産的なこと:ごろごろした

初めて入った美容室で、髪を切られながら グラン・トリノという映画の
理髪店のシーンを思い出した。


グラン・トリノは一言でいうと少年がある老人との触れ合いを通して
成長していく映画。
その中で、老人が少年に「お前は、男の口の聞き方がなっていない!」といって
老人は少年を連れていきつけの理髪店に行く。

記憶が定かではないのだが、
老人は長い付き合いのその理髪師にあうやいなや
「よお、イタ公(理髪師はイタリア人)。今日もぼったくってんのか?」と
大変失礼なことを言い、
その理髪師は「チッ、てめえが来るんだったらさっさと店を閉めとくんだったぜ」とか
そういうやりとりをする。
ちゃんと覚えているわけではないので、
実際にはそういう発言ではないかもしれないが、
要はお互いにけなしあうような会話をする。

それはお互いに深い信頼関係があるので、
そういう発言をまじめに受け取って本気の喧嘩になることはなくて、
でも一方で”男同士”なのでベタベタとした湿っぽい会話もしない。
お互いがお互いの言う事に対して、
常に一枚上手でピリリと辛い皮肉や批判めいたことを乗せて会話をする。
決して相手におもねることはなく、お互いに優位性を崩そうとはしない。

そういう映画のワン・シーンを思い出して、
この美容室ではそういうやりとりをすることはできないし、
この美容室以外だってそういうやりとりができる場所はないだろうと思った。
あの映画はアメリカ人が作ったアメリカの映画だけど、
おそらく日本でもああいうコミュニケーションは存在していたと思う。

個人的にはああいう男臭いコミュニケーションにすごい憧れる。
それは自分の父親の存在が透けて見えるような気がするせいでもあるし、
ああいった緊張感の伴なうコミュニケーションでなきゃ、
はっきりいってつまらないという思いからでもある。
常に、お互いを値踏みしあうような態度は強い心的強度を要求するもので、
疲れちゃうっていうのはあるけれども、
そういったピアプレッシャーは筋肉痛のように成長に欠かせないものでもある。

そういえば、あそこで描かれる少年が老人にこき使われる場面は以前書いたエントリ(傷を癒す方法を知っている)に通じるものがある。

グラン・トリノは去年映画館でみたのだけど、
とにかくおすすめです。
是非是非見てください。

* * *

今日は、涼しくて、よい風が吹く日だった。
仕事の電話も厄介なのが鳴らなくてほっとした。

新しい経験の奔流の中で、確実に自分は変わっていってる。
たとえ状況がもとに戻ったとしても、
そこで自分がする行動の連鎖は違ったものになっているだろう。

そうやって変わっていく自分がとてもすきだ。

ミクロとマクロとその往復と

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牧歌的な土曜日。

懸案の申請書類はあと少しなんだけど、
final inchがなかなか埋まらなくて、今日も完成には至らなかった。

この申請書類が喫緊の優先事項なのだけど、
それに没頭しているわけにもいかない。
オレは会社のマネージャーなので、単一のトラック(truckじゃなくてtrackのほう)に
没入してはいけなくて、常にマクロな視点で会社の全体を把握して
コントロールしないといけない。

そのミクロとマクロの往復が、結構苦しい。
誰しもマルチタスクに動けるけれど、
実はそのマルチタスク機能はバーチャルなもので、
実際にはシングルタスクをめまぐるしく切り替えているにすぎない。
だから、ミクロな視点とマクロな視点の両方で動作するだけではだめで、
さらにメタな、ミクロとマクロのバランスをとる視点も
合わせて動作させていないといけない。

もう少し会社が大きくて、仕事の切り分けができていて、
それを担う人材が十分にいれば、マクロな視点だけで動けるのだと思うけれど、
やはり規模の小さい会社だと、マネージャーがプレイヤーを兼ねないといけない。

ガスの配送のこと、仕入れのこと、車の整備のこと、
オフィス機器の消耗品のこと、日々の出納帳をつけること、
顧客先のこと、問い合わせがあったときの対応、来客の応対、
全社員の保険のこと、切れた蛍光灯のこと。
そういうミクロな(現場の)仕事を裁く一方で、
会社を存続させていくための方策を考える。

どうやって会社をマネジメントしていったらいいのか。
社内のシステムをすこしずつ変えていっているけれど、
それも小手先に思えるし、本質的な改善になっているかどうかは
よくわからない。
大いなるビジョンを掲げ、それを具現化するための具体的作業を
実行していくというところには至っていない。

マネジメントに関しては、半分冗談で最近はやりの「もしドラ」を読んだ。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 」


表紙がアレだし、タイトルもナニではあるけれど、
知り合いがドラッカーを絶賛していて、
それでどんなものなのか興味があった。

「もしドラ」の元になった「マネジメント」のエッセンシャル版と同時購入した。
簡単に読み終わりそうな「もしドラ」から読み始めたのだが、
最後の方は軽く涙目だった。
この本は、女子野球部のマネージャーがドラッカーのマネジメントの実践によって
平凡な野球部を甲子園へ導くという小説なのだが、
激しく心を揺さぶられた。

小説自体は非常に非常にオーソドックスな予定調和のお話だけど、
その背後に透けて見えるドラッカーの思想が脳に直接流し込まれるように感じられて、
頭の芯から共鳴してしまう。

「経営者の資質とは、真摯であること」
このドラッカーの言葉に小説の主人公は言いようのない感動を感じるのだけど、
それはオレも同じで、その言葉にシビれた。

なかなか小説のもととなる「マネジメント」の方を読む時間がないのだけど、
少しずつでも読み進め、良いマネージャーになりたいと思う。

寝言は寝てるときにしか言えないわけだし

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2週間ぐらいあたまを悩ませていたとある申請書類がやっとまとまってきて、
明日には提出できるかもしれないぐらいになった。
今日は少しほっとして帰ってくることができた。

疲れが溜まっているときは絶望しか見えなくなったりもするけど、
体が元気ならこの先もなんとかやっていけるという希望を持てる。
心のあり方なんてそんなもんだと思う。
体が辛ければ、心も辛くなる。
体が元気なら、心も元気。
心のあり方なんて身体の状態次第だと思っている。

だから、意志というものを信じていない。
意志が身体を動かす、とは思っていない。
身体の状態が、どんな意志を持つのかを規定している。
それでも意志が自分を突き動かしていると思える瞬間がある。
それが不思議でしょうがないから、自由意志のことを考えている。
身体の「状態」と「アクション」を区別したほうがいいのかもしれない。

この仕事を始めてから、もう4ヶ月ぐらい経ってしまった。
もうそんなに経ったのかと思う反面、
仕事の過程を振り返るともう半年ぐらい働いているような気もする。
一週間、ノンブレスで泳ぎきるようなものだから、
一週間があっという間である。
もう、明日は土曜日だなんて。

慣れてくると、暗闇で目が慣れるように、
いままで見えなかったものが見えてくる。
だんだんと「悲劇のヒーロー」モードからも醒めていく。

オレ、いま、ちょーがんばっちゃってる。
こういう境遇でこんな必死こいてるオレ、ってかっこよくない?的な
あまったれナルシスト感傷から目が覚めてくる。

子供の頃、うわんうわん泣いて、泣いて泣いて泣いて、
ある瞬間に、ふと「あれ、悲しくないし、なんで泣いてたのかわかんないぞ?」と
不意に泣く気がなくなって、どこか気恥ずかしい思いをすることがあったけど
そういうのに似た感覚。

さてと、それじゃあどう舵をきろうかな。

Who is Number Nine ?

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なかなかに、浮き沈みの激しい日々。
もっと気楽に生きたい。


野生動物ように、その瞬間瞬間の価値判断の積み重ねの先に
現像される景色が、答えそのものなのだと思う。

悩んだり、躊躇ったりする隙は微塵もなくて、
些細な判断の遅れが、ずしりずしりと歩みを妨げる重しになる。

そうやって信じれば信じるほど息が詰まるのも確か。

氷上にカケヤの一撃を。
全面を覆うひび割れを。
この閉塞感に風穴を。

颯爽とエア撃墜するその姿を。

コンビニに入るような気安さで
世界を背負う軽やかさを。

AOH党

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鳩山首相が辞任した。
出社してすぐみたtwitterのタイムラインでそれを知った。
もちろん、誰かが「首相が辞任した」とtweetしたのを見たわけではなくて、
こういう発言は首相が辞任しないとしないだろうなという発言が
いっぱいでてて、それでニュースサイトに飛んだらやっぱりそうだった。

そうゆう時代です。

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