The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2010年5月アーカイブ

傷を癒す方法を知っている

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車に乗って走っていると、
風景が記憶の房を揺らす。

最近は忙しさにもなれてきたので、ふいに思いをめぐらせたりする。

会社の車に乗って会社の周辺を走っていると、
当然呼び覚まされる記憶は親父と一緒に仕事をしたときの記憶で、
断片的な映像が目に浮かぶ。

よく考えたら、なんでオレはこんなに仕事ができるんだろう?
親父の息子だから、親父の姿を見て育っているから当然かなとか思っていたけど、
急に忘れていたことを思い出した。
大学一年の春休み、毎日のように会社で手伝いをしていたんだった。
そうやって、親父の横で一緒に仕事をしていたから
ぽっと会社に入っただけで仕事をすることができるんだ。

あの頃、人生における「大いなる破綻」を経験していて、
とても深刻な状態に陥っていた。
大好きだったひとたちをねじ切るように裏切ってしまって、逃げ出してきたときだった。
それでもう、何もかもを放り出して閉じこもった。

そんな時期に、何もできない時にやっていたのが、
親父の仕事を手伝うことだった。

具体的な仕事は、心の痛みを消してくれる。
黙々とボンベを転がす動作は、
考える事を忘れさせてくれる。
トラックを運転している間は、流れる景色だけ見ている。

そうやって会社の日常業務の一部を親父と一緒にやっていて、
慣れてきたら一人でやっていた。
そうやって過ごした二ヶ月があって、
確かそのあとの大学二年の夏休みもそうやって過ごしたんだと思う。

そうやって、仕事をして過ごした日々が、
欝でふさぎこんでどうしようもなくて、
自分にまったく自信をもてない状態を回復してくれた。

その当時のことを、ちょいちょい思い出す。
そのたびに祈るような気持ちになる。
あの頃があって、いまの自分がある。

ビリヤードの球が衝突して、
衝突された球は同じ速度で動いていって、
衝突した球が代わりにその場にとどまるように、
親父とオレの立場は入れ替わった。

オレが親父と一緒に仕事をして癒されたように、
自分が誰かのことを癒す番が来たらいいなと思う。
それはきっと、癒す方にとっても癒しになるんじゃないかと思う。

どうしようもなく傷付いた人は僕のところに来て下さい。
一緒に仕事をしましょう。
きっと楽しい。

MBP

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iPadが発売されて盛り上がっているけど、
その流れとはまったく無関係にMacを新調した。

いままで使っていたMacBook Airはハハにお下がりとしてあげて、
自分には新しくMacBook Proを買った。
サイズは以前のMacBook Airと同じサイズのものを買うつもりだったけれど、
何か勘違いしてしまって届いたのをみたら想定していたのよりも
ひとまわり大きいサイズのものだった。

間違えたー。

というわけで15inchのMacBook Proがきてしまった。
もうサイズがアメリカンだよ。
そんでこれは中くらいのサイズで、さらにこの上があるんだからアメイジング。
まあでも、いいかという感じで使っている。
移動が車なのでなんとかなっている。

MacBook Airの場合、HDDの容量が64GBで容量を気にしながらちまちまとした
使い方をしなければならなくて、それがいい加減作業のボトルネックに
なってきたので乗り換えを決意した。
まあ、いまのような状況になっていなかったら、そこまで必要に迫られてなかったし
そもそも高くて買えなかったと思う。

とりあえずいくつか不具合はあるけど
ほぼすべてのことがサクサク動いているので満足している。
MacBook Proを使い出してから一気にtweet数が増えたと思う(笑)

データの移行は初めて移行アシスタントを使った。
50GBのデータを移すのに2日かかった。
フリーズしたようにみえたので強制終了しようかと思ったけれど、
辛抱強く待ったおかげで、”待つだけ”で移行が完了した。

その時々で自分のポテンシャルを最大限生かせるデバイスは変わる。
デバイスというのは別にIT機器に関わらず、
例えば戦国時代だったら駿馬だったり火縄銃だったりする。

このMacがそれだとは思わないけれど、
少しは楽になると思う。

というかそういう目的でこれを買ったというよりは、
自分への慰めとしてという意味が大きいけど。

この危機感は自作自演の恐れもあるけれど

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5月は総会のシーズンだということを身をもって体験している。

3月で前年の4月から1年間の年度が終わる。
その決算をきちんと確定するのに1カ月以上かかり、
決算が確定したところで総会が開かれる。
だから5月は総会のシーズンなわけである。

地元の法人会と高圧ガス関係の協会の総会があって、
何度かそういう場に顔を出してきた。

予想通りに、年寄りばっかりだった。
地元の法人会なんか9割以上が60歳以上だったんじゃないか。

この人達に罪はない。
それでもオレはこの人達を葬ってあげないといけない。
慣れない名刺交換や社交辞令のあいさつをぺこぺことしながら、
冷めた目でその場を俯瞰し続けた。

本当にこの人達には罪はないし、
うちの親父と似た気質をところどころに感じたりして、
愛すべきひとたちだと思ってる。

それでも葬らなければならない。

前にも書いたけど、これから急速に代がわりすすむと思う。
役員が10人以上いる大企業は別として、
この国の70%を占める中小企業は、後継者の問題は切実な問題のはずだ。
中小企業のトップは大抵団塊の世代の人たちで、
その人たちがいよいよ引退の時期を迎える。
それも一斉に。

もちろん60歳を過ぎたって働ける人はいる。
けれども、老齢は確実にそれを苦しいものにしてゆく。
中小企業の社長というものは
その双肩にすべての会社が持つ社会的責任や従業員の生活がのしかかっている。
苛烈である。
その重責は確実に老体には毒になる。

それでもあっさりと「もうやめた」と言える人は救われる。
けれどもせっかく人生の半分以上をかけて築き上げたものを
そう易々と手放せるものではない。
かといって、後継者を育てるのは会社を創業するのと同じぐらい難しくて、
家業を代々継ぐのが当たり前だった江戸時代とはいまは時代が全然違う。

そうなると、やめるにやめられないし、
さりとて代わりになってくれる人もいないから結局自分でやるしかない。
会社が倒産するのが先か、
社長が倒れるのが先かという状況になるのだと思う。
そうして強制的に代がわりが進む。

3つの道がある。
第一の道は残された社員で会社を存続させるというもの。
それはまっとうな代がわり。

第二の道はそのまま店仕舞い。
その会社がなくなっても社会的に影響が少ない場合はたぶんそうなる。
会社がなくなっても、その会社が提供していたサービスがなくなると
社会的な混乱をまねく場合がある。
その場合は第三の道がある。

その第三の道は、大手による買収。
大抵の場合、商売をやっているところは懇意にしている得意先がある。
そういう得意先は大手であることが多く、
買い取るだけの資力が在る。
そうして会社がひとつなくなる。
労せずして新たな商圏を手に入れ、大手はさらに肥えることになる。

いまこの国では、そういう流れがすごい勢いで進行しているのが
肌で感じられる。
というか自分はその代がわりのまっただ中にいて、
ひとまず第一の道を取ったけれどもこの先第二、第三の道に転落することも
十分ありえる。

老人たちを葬ることと、会社を存続させることがどういう関係にあるのか、
ロジカルには説明できない。
ただ、会社を存続させるということは、会社固有の問題ではなくて、
この国全体のシステムが耐用年数を過ぎて自壊しつつあるという問題を
解決することだと直感している。
あるいは、これも理由は説明できないけれども、
大手に吸収されることは非常な喪失であると感じている。
マクロに見たら、それは効率化なのかもしれないが、
この国の閉塞感は一層増すような気がする。

わからない。
わからない。

満員電車のなかで態勢を維持しようと必死になって力をいれているけれども、
どうにも我慢の限界で力がゆるんでしまって、倒れる!と思っても
姿勢は力をゆるめる前と後では変わらないなんてことがあるものだけど、
いまももしかしたらそんな状態なのかもしれない。
オレが一人で必死こいてるだけで、
がんばるのをやめたところで大勢はびくともせず、
自分の立ち位置も変わらないなんてことが。

それでも、来年の春まではこの戦いを続けよう。
経営者は孤独であると、嫌ってほどに感じた3か月。

かえるの歌

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最近は毎晩カエルの合唱が聞こえる。
新居のマンションの裏には田んぼがあって、そこのカエルどもが鳴くのだ。
初夏のすずやかな夜風にその声はよくマッチする。

ゴールデンウィークはもう3週間も前のことになるのか。
ちょうど越谷周辺ではゴールデンウィークの頃が田植えの時期だった。
ゴールデンウィークの頃、休みでも関係無しに会社に行くと、
田んぼでは昔ながらの田植え風景が繰り広げられていた。

会社は三方が田んぼに囲まれていて、
ゴールデンウィークが終わる頃にはすべての田んぼに水がはられていた。
そこに規則正しく緑の苗が連なっていて、
なんだかその景色を見てうれしくなった。
しばらく、田植え直後の田園風景なんか見ていなかったものな。

あの稲も夏になればぐんぐん生長して、実を付け、
穂を垂れて、収穫される。

来年の今頃、自分はどんな気持ちで田植えの光景をみることになるだろうか。


田植え rice field

荒川修作さん

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荒川修作さんの訃報に接し、とても残念な気持ちでならない。

もぎけんPodcast内に、
荒川修作さんが2006年5月に芸大で講義をしたときのMP3を公開いたしました。

美術解剖学:荒川修作「噴火し、遍在せよ」

音声では上手く伝わらないかもしれないけれど、
あれは講義というよりひとつのパフォーマンスであった。

「この空間が嫌いだ!といって空間に唾を吐いたっていいんだ!」
といって本当に”空間”に唾を吐いてみせたあの光景がいまでも忘れられない。

心からご冥福をお祈りします。

長いトンネル

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まだまだ先は長いのだろうと思う。
そのためにオレは人生の大半を費やすことになるのかと思うとぞっとする。
1ガスディーラーとして人生を終えることになるとしたら勘弁してほしい。

では、いますぐに会社を畳むか?
そうしてオレはまた大学院生に戻る?
それはそれで、怖いんだと思う。

よく「大学院の博士課程に在籍しています」っていうと、
大抵、大学院のことをしらない人は
「すごいですねえ」という。
でも、博士号を取ったのならまだしも、
大学院の博士課程に在籍していること自体はすごくもなんともない。
少し親が裕福だったり、そうでなくても、
バイトでお金を稼いだり(返済義務のある)奨学金を借りれば、
要は授業料さえ払えばほとんど誰だってなれる。
だから博士課程に在籍することはちっともすごくないし大したことない。

「でも、博士の学位を取れば末は教授とかになって将来安泰でしょ」
と言われる。
それはまあ、そういう人もいるのかもしれないけれど、
自分の場合にはそれはまったく当てはまらなくて、
博士の学位が取れたところで仕事を得てお金を稼げる見込みはなかった。

だから、会社を畳んで大学院生に戻ると言うことは、
(田舎の零細企業だけど)社長という社会的地位も
しっかりとした収入もある身分を捨てて、
ノーフューチャーな貧乏学生に戻ると言うこと。

ノーフューチャーだろうとしっかりとした収入がなかろうと
そんなことは自分にとって大したことではないのだが、
いつまでもそのままでいいとも思っていなかった。

博士課程の2年目が終わろうとするころになると
自分が博士号を取得できる見込みがとても低いということを
痛感せずにはいられなかった。

自由意志や自発性について考えることは博士課程に在籍したり
学位を取ったり、大学に教員の職を見つけなくったって、できる。
カール・ポパーのように市井の思索者として生きる道だってある。
だからもう未練がましく学生でいるのはやめて、
もっと自分の力を生かせる何かをはじめたほうがいいのではないか?
いや、もう少し頑張れば、あるいはなんとかなるのではないか?
博士課程に在籍できるぎりぎりまでねばってみてそれでダメだとならない限り、
一生学位をとることを諦めたとを後悔するのではないか?

そんな葛藤をずーっと抱えて過ごしていた。
そんな折に降りかかった親父の死と社長就任。

一瞬、「解放された」と思った。
でも、何のことはない、長いトンネルから
また別の長いトンネルに切り替わっただけだ。
その切り替わりのほんの一瞬の青空が目に染みた。


寝返りの寝返りはうつぶせ

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最近息子は寝相が悪い。
きちんと寝かせたはずなのに、ふと気付くと90度回転している。

なんでかなぁと思っていたら寝返りだった。
足を持ち上げわしわし動いているなと思うと、コテン、と左に倒れる。
横に寝た状態でじたばたすると、仰向けで寝るよりも
ずっと体が動きやすくなるので、結果的に体が違う方向を向くことになる。

そうやって、寝返りしても横向きになる程度だったのだけど、
最近は仰向けの状態から横向きの状態になって、
さらにうつぶせの状態になるまでになった。
自分でうつぶせになったくせに、うつぶせの状態だとお腹が苦しいのか
うえーんと泣き出してしまう。
腕に力がないので、手をついて上半身を支えるということができない。
体重が胸とお腹にかかってたぶん苦しいのだと思う。

その自業自得で苦しくなって泣いてる様がおかしくて、
しばらく苦しんだままほっといて見ている。
それで、本格的に泣き出したら
もとの状態に戻してやるというの何度か繰り返していた。
そうしたら、うつぶせになっても泣かなくなってきた。

うー、うーと顔を真っ赤にしながら声を上げるのだけど、
泣く声とは違って何かに挑みかかっているような感じで、
しきりに足をつっぱる。
なんだか手を使わずに足だけで匍匐前進しているような感じ。
もしかしたら自分の力で移動したいという欲求が生まれてきているのかなあ
という気がする。

そう考えると赤ちゃんて、成長が早いなと思う。
彼は完全に受け身の存在だったはずなのに、
能動性が芽生えてきたと言うこと。

成長にともなって、
以前よくやってた行動が消えていって違った行動が現れてくる。

少し前によくあったのは、何かにみとれる、という行動。
基本的には「寝る、クソ&シッコで泣く、おっぱい、きそまそ」の4パターンしか
しないのだけど、あるときふと何かに「見とれる」と思われるような
行動をとっていた。

きゃっきゃしていたかと思うと急に静かになって、何かを見ている。
そういう時、大抵視線の先には派手な色のものがある。
それに魅入るような状態になっている。
視線を集中させて動きがなくなる。
体を揺らすと視線は追従する。

おそらくあの頃はまだ、物体の認知ができていない。
目には3次元の情報が2次元の網膜に写像されて入ってくる。
その情報を脳の中で再構成することで、
輪郭の抽出、奥行きの検知、物体間の配置の関係性の把握などを行う。
だけど、乳児の脳の中ではそんなことは起こっていなくて、
ただ単にその色の二次元配列を見ているに過ぎない。
線のない色だけの世界に生きているのだと思う。

だからこそ、目を惹く色に見とれるのだと思う。
その感じ方は大人になったら決してできないことだと思う。
色のクオリアを感じるだけの状態だろう。
自己と他者の区別もついていないだろうに、
それでもクオリアを感じることはできるのだろうか?
自己という概念の確立なしに、クオリアはあり得るのか?
そんなことを思わされた。

ちなみに、「きそまそ」というのはじたばたと手や足を偶有的に動かすことである。
嫁のお母さんが命名した。
じたばた、と書いたが、じたばたというほどにはじたばたしていない。
もっと力がなくてか細くて、繊細で、無軌道でしっかりしているのである。
「きそまそ」という音の響きがまさにしっくりくるので家族内では
すでに日本語として使っている。
(あ、今気付いたんだけど、これってジェネラル・ムーブメントのことか?)

手や足の動きが不思議で、単調なんだけど、変化はあって、
ランダムかと言われるとなにか規則性のようなものを感じる。
なんとなく、ストレンジアトラクタの振る舞いに似ている。
脳は複雑系なので、まっさらな状態でそういうアウトプットが現れても
なんらおかしくはないけれど。

ところで、寝返りはいつも左側(息子中心座標だと右)に倒れる。
足を持ち上げるとエネルギー的には鞍点になって、
右にも左にも簡単に倒れるけれど、
どちらの向きも同じ確率になるはずである。

にも関わらず、毎回左側なのである。
なんでかなーと考えてみたら、以下のような推測が生まれた。

いつも息子が寝るときは左側に母親が寝て、息子は左側を向いて
おっぱいを飲みながら寝る。
おそらく「左側を向く」という状態が息子にとっては心地よい状態と
結びついて学習しているのであろう。

便意その他の理由で、不快な感情がうまれると
それを是正しようとして快な状態にしようとして、
それが「左側を向く」という行動を生み出すのではないか。
勝手にじたばたしていて、偶然寝返りを打ったように見えて、
実は自発的に左を向くというアクションを取っているのかもしれない。

それの証拠に、左を向くとものすごい勢いで指しゃぶりをはじめる。
「左向き」+「口の中に適度な柔らかさの何かがあってそれをあむあむ」
  →気持ちいい!
という回路ができあがっているのじゃないだろうか。

そうやって見ると、こいつは見事にオペラント条件付けを学習している。
コカインと部屋の色の関連を学習するマウスの実験を思い出した。

サイエンスやアカデミクスの世界からは離れてしまったけれど、
認知科学(特に発達心理学)は目の前で進行中であります。


既存のシステムの側にたち

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今日は午後から頭と体の調子がよくなってきて、
こうなってくると、「やってやる!」という気概に溢れてくる。

この国はもってあと15年で、10年ぐらいできっとダメになる。
そうさせないために一矢報いたいと思う。

埼玉の中小企業にそんな大役が務まるとは思わないけど、
でも、ありったけのモーメンタムで進路を変えてやらなければと思う。

この国の9割の人たちはこの国の駄目さ加減をきちんと認識できていない。
だから本気で危機感を持つことなんかない。
残りの1割のうちの9割のひとたちは、
口でダメだダメだというだけでまったく無力だし、
現実というものが全然わかっていない。
(そして残った半分の人たちはこの国から出て行く)

正論を吐くのは簡単だが、
現実には「経路依存性」の問題がある。
リセットボタンを押して、1から作り直せるのなら
この国はいとも簡単に立ち直るだろう。
けれども、ゲームと違ってリセットボタンはどこにもない。
既存のシステムを失速させることなく、
新たなシステムに移行させないといけない。
そのためには、相当入念な段取りが必要になるだろう。
この国を変えるために必要なことは、
その入念な段取りであり、それこそが肝なのであって、正論ではない。
実現可能なプランがあり、
それを実行するための覚悟と度胸と才覚があってはじめて
正論を吐く資格を得る。

本当はリセットしたほうがきれいになってよかったんだ。
うちの会社も解散してしまった方が
後々のこの国のためには良かったんではないかと思うことがある。
そうすれば旧世代の遺物をふんだんに含んだ非効率なシステムはなくなるし、
能力のない人材は淘汰される。
結果、この国は効率的になる。

それでもそうできなかったのは、
自分が「既存のシステム」の一部であると思ったからであろう。
陳腐だけれど、自分は自分だけではない。
妻と子供がいて、母と妹がいて、親戚がいて、
会社の社員がいて、親父の仕事関係の人たちがいて、
地元の古い交友関係の人たちがいる。
その幾重にも錯綜した人間関係の中でオレは生きてきて、
それまでの消しがたい記憶がリセットボタンを押そうとする自分を押しとどめた。

頭の中のいたるところにこびりついた記憶が、
「既存のシステム」に組み込まれた存在であることを
自分に知らしめた。

捕食者と被食者。
結局オレは被食者だったのだと思う。
食べられる方は死にものぐるいで抵抗する。
その断末魔を演じるのがオレの役割なのだろう。
そしてこの国の不幸は、内部に優秀な捕食者がいないことなのだ。
誰か華麗にこの国のシステムを一掃してくれないか。

親父が死んだとき、
それを親父の死だとは受けとらなかった。
それは、これまで営んできた「野澤家」というシステムが
すでに持続可能なものではなくなっていたということであり、
さらにそれは、我が家に固有の問題ではなく、
この国全体が相似な形ではらんでいる問題なんだと思った。

だから、親父の死の弔いは、この国の変革でしか遂げられないと思っている。
なぜ親父は死ななければならなかったのか。
それは、くそったれなこの世界のせいだと。

現代において人間として生まれたんだったら
やることは心脳問題に取り組むぐらいしかやることないだろうと思っていた。
けれど、すでに持続可能性の絶たれたこの国を変えるという仕事も
あるじゃないかと最近は思っている。

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