The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2009年10月アーカイブ

ナイーブさの罪

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近所に八百屋が開店した。

他にも最近は商店街に中華料理屋ができたり、韓国料理のお弁当屋さんができたり、
新しいスーパーが開店工事中だったりと、
我が中延商店街は出店ラッシュが続いている。

日本経済、回復してきた?

* * *

先の戦争を評して
「日本は馬鹿だからあんな負けるに決まっている戦争をしたんだ」
と言う人がいる。

でも戦争の日本近現代史なんかを読めば、
如何に当時の政治情勢が逼迫していて
日本はあの戦争をせざるを得ないやむにやまれぬ状況に追い込まれていったかを
理解できるし、
あるいは失敗の本質を読めば、
あの戦争が負けるに決まっていた、という考えも危ういというのを知るだろう。
大本営の参謀達は勝てる戦略を持って戦争に臨んでいたし、
それは客観的にみても、100%負ける戦略ではなく、
ここがこうなっていれば勝てたかもしれないと思わせるものだった。

そういうディテールを知らず安易な言葉を吐く輩は確実にいて、
そういうのを見るに付け、
ナイーブでいることを"罪"と呼びたくなる烈しい感情がわく。

もうひとつよくあるのが、
リーマンショックに端を発する現今の金融危機を引き合いに出して
金融資本主義を悪として断罪し、
強欲から目を覚ませと投資や投機などの金融活動を全否定する言説である。

彼らにとっては
オブションやデリバティブといった素人目には訳のわからない金融商品を、
強欲な人たちによる強欲を満たすための産物としてしか見ない。
それは無知と無理解からくる不安感を
倫理的な美名を盾にして丸出しの嫌悪感に転化する恥知らずな行為でしかない。

それが未来の不確実性に対するリスクをヘッジするための
一種の知恵であるという側面にまったく気付かない。

それで汗して働いた金以外は金じゃないだの、
過剰に富を追い求めるのはやめろだのと御託を並べる。

そう思うのは勝手だが、自分の倫理観を他人に押しつける言説ほど
醜いものはない。

そして人類と人類を取り巻くシチュエイションの進化を
まったく無にすることを言っているということに
気付かず気にも留めないその鈍感さに閉口する。

ひたすら軽蔑するだけで思考停止。
「わたしは素人だけど・・・」というエクスキューズを付ければ
ディテールを知らなくても本質を語ることが許されると思っている。

二重の意味でナイーブであり、二重の意味で罪深い。

カツカツ

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急ぎの仕事があって、連日バイトに行ってる。
急ぎなので猛然と作業をしていて、
体は動かさず机に座っているだけなのに、すっごく消耗する。

昔自分が作ったプログラムの修正作業。
当時は苦心してそれなりのものを作ったつもりだが、
今の自分からみるとひどいコードである。
でもそうやってみられるようになったということは、
そんだけ成長したってことで。

今月からはバイト量を減らす!というつもりだったのに、
その急ぎの仕事のせいでいつも通りの仕事量になっている。
そんで、カレンダーを見るともう10月も終盤。

4月と10月といえば学費の季節である。
後期分の学費を払わないといけないので、
先日、払込書をもらいにすずかけへ行った。
普通は口座自動引き落としなのだけど、
いろいろの事情により毎度手動で支払いをしている。

それで学費を払うためにお金の計算をしているのだが、
なかなかどうしてカツカツである。
4月から数えると8回も新幹線か飛行機を使った
旅行 or 出張(自腹)をしているので、そりゃそうか。
学費はなんとか払えるけれども、
向こう2ヶ月は自由にできるお金が1万円ぐらいでちょっとへこむ。

まあでも、最近は飲み会に行かないし、
朝晩は家でご飯を食べてるし、
昼はちょくちょく自分で弁当を作っているしで、
実は1日に1円も使わない日が多いので、
たぶんなんとかなるでしょう。

我ながらずいぶんと所帯じみてきたなぁと思うけれど、
これといって苦ではなく。
むしろ、ややストイックに毎日すべきことに傾注できている今は
充実していると感じる。

直近の金策よりも、
そろそろ来年1年間の身の振り方を決めないといけない。
思ったよりも時間がなくて、すこしたじろぐ。

ひのきと神鶏

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伊勢神宮、補遺

* * *

境内の"ひのき"が強く印象に残った。
中学の時の国語の先生が
「"あすなろ"の木の"あすなろ"という名前は
 ”明日はひのきになろう”というところから来てるのよ」
と教えてくれたのをずっと覚えていて、
"ひのき"を見た瞬間にその事が浮かんだ。

その由来ってほんとうかいなと疑いつつ、
もし本当だったらいいかもなと思いつつ
特に調べもせずにこれまで来ていた。
だけど、(たぶん生まれて初めて)"ひのき"をみて、
由来の当否はともかく、
「明日はひのきになろう」という思いは
確かに正しいと思ってしまった。

ネットで軽く調べた感じだと、
”明日はひのきになろう”説は俗説の域を出ない感じだけれども、
それでも「明日、ひのきになりたい」という願い自体は
まったく正しいと思える。

伊勢神宮の”ひのき”を見たら今まで頭の中にあった木のイメージが
まったく壊れてしまった。
木って、あんなに高くなることもできるんだ・・・。
言葉にするとまったくもって素朴な印象なんだけれども、
信仰にも似た畏敬の念が芽生えた。

普通の木の3倍ぐらいの高さの"ひのき"が当たり前のように
そこかしこに生えているのである。
まったく、お伊勢さんには恐れ入谷の鬼子母神である。

* * *

内宮を参拝し外の方へと戻る途中に鶏がいた。
その鶏は神の鶏で神鶏(しんけい)と呼ばれているらしい。
その神鶏が見ほれるような美しさだった。

母方の祖父は養鶏業を営んでいて、
その祖父の家の鶏小屋にはずらりと鶏が並んでいるのを何度もみている。
そのイメージが強くて、鶏というと良く鳴いてうるさくて
泥やら糞やらがついて汚いものというイメージががあったけれど、
その神鶏の姿はその鶏のイメージを壊すほどのものだった。

羽がシルクのように品のある艶やかさとなめらかさがあって、
しっぽの羽の伸び方も見慣れたそれとは違って、
長く優美に垂れ下がっている。
鶏に"神"とつけてしまうのもうなずけた。

そうして、その鶏の姿をみて、
若沖の描いた鶏の絵が浮かんだ。
「そうか、若沖はこの鶏を描いたんだ」
と、得心した。

若沖の描く鶏は、均整が取れていて、羽がみずみずしくやわらかそうで、
色は白と黒と茶色とあと赤ぐらいしか使っていないのに、
文句なく鮮やかである。

あの絵を、オレは「若沖は鶏を美しく描いたんだ」と思って見ていた。
だけど、そうじゃなくて、
「若沖は美しい鶏を描いたんだ」という認識の方が
正しいことがわかった。

そのことに気付いてみると
自分はまったく世界のことをしらないのではないか
そう思えてしまう。

伊勢二見松阪賢島鳥羽熱田

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伊勢神宮は1日目の午前に外宮に行って、
午後に内宮に行って、
それから夫婦岩を見に二見浦へ行った。
(そしてそこに一泊目の宿がある)

タクシーの運転手のおっちゃんが威勢良く観光案内をしてくれて、
いい思い出になった。
外宮は鰹木が奇数で千木が外削ぎ。
内宮は鰹木が偶数で千木が内削ぎ。
そんなことを教えてもらった。

茂木さんに「御垣内参り(みかきうちまいり)をするといいよ」と言われていたので、
わざわざスーツにネクタイで参拝に望んだ。
たくさんの人でごった返す中で参拝するよりも、
御垣の中で周りに何もない状態ですこしだけ御正殿に近づいてするお参りは、
皮膚の感覚受容野が周囲20メートルまで拡張したかのような
不思議な一体感と崇高感に包まれた。
絶対的な静謐さに包まれて、強烈に自分の内部を感じた。

夕飯は旅館のお料理をいただいたのだけど、
嫁がせっかくだからと豪華なプランを奮発したので、
これでもかこれでもかとごちそうが出てきて圧巻であった。
伊勢エビが1人につき1.5尾の贅沢さで、
活け作り、陶板焼き、水炊きと3パターンでいただいてしまった。
伊勢エビは食べたことはあったけどあまり良いイメージはなくて、
だけどその日食べた伊勢エビは飛びきり上等で、
活き作りの伊勢エビは天にも昇る食感だった。

* * *

二日目は5時半に起きて、夫婦岩越しに昇る日の出を見て、
それからお伊勢さん別宮の月読宮へ。

月讀宮にはツキヨミ、ツキヨミアラミタマ、イザナミ、イザナキの
4尊(みこと)が奉られている。
("尊"も"命"も"みこと"と読むが"尊"の方が偉いらしい)

ツキヨミの尊はアマテラスオオミカミの弟さんらしい。
アマテラスオオミカミの弟君といえばスサノオだと思っていた。
そうか、もう1人弟がいたのね。

その後、お昼を食べに松阪へ特急で移動。
松阪は"まつさか"と濁らない。
松阪という字を見たら真っ先に思い浮かぶのは松坂牛で、
その連想通りに松阪牛を食べた。

和田金というとても有名なお店。
あんまり立派な建物なので、女中さんに
「まるで旅館みたいですね」と言ったら
女中さんは
「みなさんそうおっしゃりますが、
 お食事のお部屋のみになります」
と涼しげに答えてくれた。

ある程度覚悟してお店に入ったとはいえ、
メニューの中のすき焼きの値段を見たら目ん玉が飛び出しそうになった。
それでも腹をくくってすき焼きを2人前注文した。
果たしてそのお値段に見合うだけど味・量・サービスであった。
昨日の伊勢エビに続いて行幸であった。

しかし、あとで電通の佐々木さんに聞いたところによると
「和田金にいったら"網焼き"をくわなきゃダメだ」
とのことで、その点は口惜しい。

その後、本居宣長さんの旧家を見て、松阪城をみた。

それから再び特急に乗って賢島へ移動。
賢島大橋(名前負け)から夕日を見た。
一日の内で日の出と日の入りの両方を見たのはこれがはじめてかもしれない。

複雑に入り組んだ海岸線と水面に浮かぶいくつもの筏。
いつか見た三重の海岸の夕焼けを思い出しながら眺めた。

夜は鳥羽にあるグランドホテルに泊。
宴会場から絶え間なくカラオケの音が流れてくる感じの
グランドホテル。

* * *

3日目は嫁に無理をさせないためにただ帰るだけの予定だったけど、
欲を出して名古屋で途中下車。

ひつまぶしを食べに「蓬莱軒」へ。
蓬莱軒は本店、神宮前店、松屋店と3店舗あるけど、
神宮前店にした。

30分待ったけど、それに見合うだけ十分においしいひつまぶしを
食べることができた。
おひつのご飯を4等分して1膳目はそのまま、
2膳目は薬味をかけて、
3膳目はお茶漬けにして、
4膳目はお好みでどうぞ、と食べ方が書いてある。

オレはもっとせっかちに、
一膳を食べる間に「そのまま食べる」
「薬味をかける」「お茶漬けにする」というのをやり、
そのヘビーローテを4膳こなした。
12回、「ウマー」と叫ぶことができた。

ひつまぶしでお腹を満たした後は熱田神宮にお参り。

伊勢神宮にお参りしたばかりであったが、
熱田神宮もなかなかの威容を備えている立派な神社であった。
しかも、遷宮したばかりのようで、
真新しいひのきの建材がまばゆいことこの上なく。

内宮と変わらず鰹木が偶数本で千木が内削ぎ。
しかし、お伊勢さんよりもサイズが大きいような気がするのは気のせいか?
柱の近くに立つとひのきが香る。

着物姿や礼服の人が多く、また、赤子を抱えた人の姿もよく見かけた。
伊勢神宮でも観光客に混じってそういう人々が多く、
こちらでは地元の人々の生活の節目節目で、
神社という場所に詣でるのがならわしになっているのが肌で感じられた。

そういうのって、まだ残ってたんだ。
それとも、見えてなかっただけ?
ともあれ、なんだか頼もしかった。

* * *

そんな感じの旅行でありました。
振り返ってみると、
なかなか濃い内容の旅だったではないか、と思う。

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伊勢神宮に行っている間に年齢がひとつインクリメント。

メッセージくれた方々、どうもありがとうございました。
恋人と家族以外の人からおめでとうって言われたのは
何年かぶりだったのでうれしかった。

ちょっと人徳あがったのかしら?

おいせまいり

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明日から伊勢神宮に行ってきます。
2泊3日。

Macは持ってこうか迷ったけど、
置いていく予定。
新幹線の中は絶好のプログラミングタイムなのだが、
なんか心を休めたい。

トラックパッドの擦りすぎか、
指先が痛いんだよね。
将来ガンとかになったりしないかしら・・・。

今日から長ズボン

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朝起きたら鼻がぐずぐずしてて、
すぐに風邪っぽいことがわかった。

昨日、風呂場で体洗ってるときにくしゃみがでて、
それから寝るまで変だった。

それで今日の午前中は厚着をして、
気持ち体を縮こめながら大人しくしていた。
そしたら午後には回復した。

どうも薄着すぎたらしい。
やはり長ズボンをはかなくちゃ。

昨日までは上は長袖シャツで、
下はハーフパンツ、靴下はくるぶしの下までのやつという
スネを丸出しで過ごしてきたけれど、
それも昨日でお仕舞いにしましょうか。

ハーフパンツにくるぶし下靴下という出で立ちが
身軽にうごけるのですごく気に入っていた。
脚の可動域が5割り増しぐらいになるのでよい。
それに自転車に乗っていてもズボンの裾を気にしなくていいのがよい。
長ズボンだと時々チェーンに巻き込まれて、
汚れた油まみれになったり、破れたりする。

なんだかんだで10月なんだ。
確かに食器を洗うときの水がそろそろ冷たい。


強風でも揺れない

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今日は、晴れてる。

昨日は朝は雨がざーざー降ってて、
でも途中から風の音だけになって、
それでもバビュンバビュンすごい音で、
それも10時ごろになるともう外に出ても平気かな?
という感じになった。

強い風が吹くと時折「メリッ」という感じの
マンション全体がきしむようなおとが微かに聞こえるけど、
全然揺れないし、さすが鉄コン筋クリートとか思う。
うちの実家だったら間違いなく家全体が揺れてたね。
あの強風。

親父のブログによると、オレの実家の越谷では
床下浸水したらしい。

こうじのぶろぐ:靴がプカプカ

あそこらへんはまったくのド平地だから、
こちらのような起伏のある地形と違って
浸水しやすいのだと思う。

今日はゼミ。

* * *

政権が変わって、政治の世界が動くスピードが実感できるほど
早くなったと思う。
「やっぱり、それぐらいフットワーク軽く動けたんじゃん(笑)」
という微かな嘲笑も込めてその流れを見ている。

本当は世界は昔からずっとそれぐらいのスピードで動いてきた。
だけど、政治の世界だけは牛歩を続けていた。
そのギャップを早く埋めて、人並の世界に。

器用貧乏

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CSLのちバイト。
雨なので傘差して歩いて移動した。
一日に一度はあの坂道を自転車で駆け下りないとなんか物足りない。


だんだんバイトに費やしている時間が惜しくなってきた。

それでも、バイトで得たものは大きい。
Perlならば息を吐くようにコードがかける。
つい最近はPerlでオブジェクティブにもコードを書けるようになって、
コードを書く効率が上がった。
し、他の言語を使うときもかなり類推が効く。

* * *

もうずいぶん昔のことだけど、やはりC言語とPerlに挑んだ事があって、
Hello, Worldを表示できたところで頓挫した。
プログラミング言語は自然言語と違って全てロジカルに覚えられるけれども
自然言語と同じで使わないと覚えられない。
よっぽどの変人は別として、そうだと思う。

昔、頓挫したのは、作りたいプログラムが特になくて、
漠然とプログラムを作れるようになりたいと思っていただけだったからだ。

バイト先では具体的に作るべきものが与えられる。
それが良かったんだと思う。
当時は必死のパッチで調べて悩みのたうち回って大変だったけれども、
作るべきものがあってそれがよいとっかかりとなって、
独力で学習を進めることができた。

* * *

プログラム自体が楽しい。
プログラムは具体的なモノは作らないけれど、
それはやはりモノ作りであると思う。

同じ機能を実現するプログラムでも
アルゴリズムのロバストさやコードの短さ・可読性、
無駄を省くことによる動作の軽快さなど、
いろいろな側面で美意識を反映させる隙間がある。

最初は動作のおおざっぱな骨子を作って、
それから例外処理を追加して止まらないプログラムにする。
長くなってきたら適切に機能を切り分けてサブファンクションを作る。

そして一つ一つの関数のアルゴリズムを考えることは
高度に知的なパズルを解くような興奮と気持ちよさがある。

研究よりそっちを本業にしたくなるような気分だ。
誰か技官として雇ってくれませんか?
データと解析する方針を伝えてもらえれば喜んで作りまっせ。

秋雨さめー

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帰りは雨に降られた。
傘も差さずに自転車をこいで、寒い寒い。

「さめー、さめー」とひとりごちりながら国道を疾走。
途中からランナーズ・ハイ状態になった。

* * *

平日の昼間はばりばり活動して、
夜は家事して寝るというサイクルが定着してきて、
「生きてる!」っていう感じがして良い。
(これが巷で噂のリア充ですか)

逆に休日はなんとなくぼーっと過ごしてしまって、
家事も嫁任せになってしまって、ダレすぎ。

うーむ、良くないなあと思いつつ、
ふと、「それって休日の正しい過ごし方なんじゃ?」と思ったりした。
(家事が嫁任せはよくないが。)

よく考えたら、もう5,6年ぐらい
"毎日が休日(あるいは毎日が平日)"のように過ごしてきたので、
休日だからどう、平日だからこう、という動き方はしてこなかった。
そうか、世の中の人はこんな風にOn/Offがあるのか。

* * *

この頃は平日に夕飯を食べてるときがとても幸せ。
平日の夕飯は嫁と分担しつつ大部分は自分がつくるのだけど
我ながらおいしいご飯ができあがる。

去年の今頃に比べると料理の腕は2つぐらいランクアップした気がする。
味が良くなった、というよりは手際が良くなった。
昔は料理を作るのは一仕事だったけど、
今は味噌汁ぐらいなら呼吸をするように苦もなくできる。

昔はチンジャオロースや麻婆豆腐などはクックドゥ的なものを買ってきて
作っていたけど、最近はそんなものなくても作れるし、
自分で作った方がおいしい。
こないだ作ったチンジャオロースは、
塩・コショウと醤油と酒でしか味付けしてないのに
驚くほど豊かな味になった。

* * *

家事のない人生なんてありえない。
料理以外にも掃除・洗濯もあればもっと細々していて
あげつらうのすら難しいのもあって、
(もろもろの煩わしい書類の手続きなんかがそう)
でもそういうのをやってはじめて人生はなりたっている。

料理以外の部分はかなり嫁にお世話になっていて、
自分でやっていない部分は確実に誰かがやっている。

自分のことは自分でやる。
さもなければ誰かがやってくれている。
そのことを噛みしめるようにして過ごすようになった。

昔は、家事その他の雑用は極力やらないようにして、
自分は自分の為すべき”崇高な目的”のために時間を費やすべき、
と真剣にそう思っていた。

いま思えばわらっちゃう。
なんだ崇高な目的って。

そうやって家事を一段下に見なして忌避して生きてきて、
楽しくやってきたわけだけど、
完全に回避できていたわけではなく、
単に別の人がそのツケを払っていただけなんだ。
そのことにずっと気付いていなかった。

いまさらながら、父、母にどうもありがとう。
(特にハハ)

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