The Destination is unknown. The Journey is the Reward.

Author: 野澤真一 / NOZAWA Shinichi , version 2.0190217 / Podcast: 七味とーがラジオ / twitter: @melonsode

2008年12月アーカイブ

like an abrupt light in the dark

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いま、LIbetのマインドタイムを読んでいる。

下条さんによる和訳 /原著

自分の自発的行動が起こるときのイメージは、
暗闇の中でぽっと明かりが灯るような感じで衝動・想念・意図が生まれて、
素直にそれに従う感じ。

その場合、ぽっと灯る感じと素直に従う感じが大事で、
「Aにしようか、Bにしようか、どっちにしよう?」
「するか、しないか、それが問題だ」
というような逡巡は全然ない。

修論の時にやったタスクで被験者にやって欲しかったのは、
前者のような行動なのだけど、
やはりそのような統制は難しかった。

そこには時間的な制約があったといのも大きいけれども、
ぽっと灯る感じと逡巡する感じは、
そうしたいと思ったときにボタンを押してくださいという教示では
どちらもOKになってしまう。

結局、その両者を分離して、前者だけを起こすようなインストラクションを
考えあぐねて1年経ってしまった感じだ。

Libetはそこらへんのところをどう考えていたのだろう、と
気になって読んでいくと、やっぱりLibetもそこは気にしていて、
やはりLibetの実験は僕がそうしたかったように、
ぽっと明かりが灯る感じの行動をして欲しかったらしい。

Our experimental objective was to study freely voluntary acts, performed with no external restrictions as to when to act. In most of our series, each of forty trials, there were no reports of preplanning by the subjects.

For some series of trials the subjects reported having preplanned a range of clock time in which they would act, in spite of of our encouragement not to do that.
(Mind Time, P129-130)

当時も今も、EEGで「行動をしようかどうか逡巡しているときの脳活動」と、
「行動する意図が生まれて即座に行動したときの脳活動」を
区別できるだろうか。

時間制限がある問題に関しては、
Libetの先人であるKornhuber とDeeckeの準備電位の実験で
6秒以内にアクションを起こさなければいけないという
制限があるらしい。

Their subjects knew they should perform the act within 6 sec, and that may have encouraged some preplanning of when to act. Our subjects had no such restriction.
(Mind Time, P130)

ちなみに、あらかじめ計画して行動した場合、準備電位は-800msから-1000ms行動に専先行する。

confidence unreasonable

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ふと気を緩めると、すべてが瓦解しそうになる。
根拠のない自信だけを拠り所にして立っている。
あまりにも性急に、背負いすぎだと言われても、自分もそう思う。

目を閉じて、また開くだけ。
それぐらいの簡単さで
世界をまっくらにすることもできる。
だから、また閉じてまた開いて、明るい世界を見るようにする。

それでも今日はなんだか、そうすることがとても難しかった。
けれど、明日になれば、また、大丈夫でしょう。

いまだかつて、こんなにやる気になっていることはない。
でも、功を急いではいけない。
それでも糊口をしのがなければならない。

自由意志の問題は、自分の中では、答えがでていて、
それは幻想なのだ。
ただ、そういう「感じ」がしているだけなのだ。
でも悲しむ必要はなくて、
その幻想、その「感じ」だけで十分で、ちゃんと我々は自由なのだ。

自由というのはそういう感じを抱けることを指すのだ。
微分方程式で厳密に決められていても、
確率的にしか決まっていない予測のできないものであって、
それがどっちであるかということと自由は関係がない。

我々の次の瞬間以降の行動が、すべてこの瞬間に記述できたとしても
やはり我々は自由である。

未来に我々がどう行動するか分からない限り、
それは決まっていないのと一緒である。

未来の行動が決まっていようがいまいが、
「自由だ」という感触さえあれば、それでよい。

と、いまそう思ってしまっているので、
「自由な感じ」というものを生み出している機構がどのようなものかを
考えた方がいいのではないかという気になっている。

そもそも、そのような「感じ」をうむ機構は
主観的意識体験(意識)を生じさせている機構によって
生じているはずである。
意識が生じるメカニズムを知ることなしに、
「自由な感じ」を生み出しているメカニズムを
調べることができるのか?

修論の時にやりたかったことが、
やっとこさ、自覚できて、
さらに言語化して表現する勇気がでてきた。
厳密には、当時もそれなりに自覚はあったのだけど、
言語化して表現する"勇気"がなかったのだとわかってきた。

つっ、と生まれる衝動、あるいは意図、あるいは志向性について考えていた。
それは、

「AにするかBにするか、うんBにしよう」

というように意識の俎上で判断がなされ、
Bという出力が出てくる過程とは異なっていると思っていた。
しかしやはり、それらをempirialに区別することができない。

「AにするかBにするか、うんBにしよう」←[1]
「・・・・・・・・・・、あ、Bしよう」←[2]

この両者の本質的な差異は何か?
あるいは本質的には違わないのか?

Bというdecisionをする前に、その決定に関する
意識的な逡巡の有無が違いと言えば違いである。
だけど、それは本質的な差なのか?

そのためには、脳と心の関係について嫌な言明をしないといけない。
物質である脳がその複雑な活動によって意識的体験を
なんらかの方法で生み出している。
これは、コンセンサスが得られているはずだ。
では、意識的体験が脳活動に影響を及ぼす力を持っているか。
ここは正直わからない。
わからないけれども、YESと答えると怪しい宗教みたいになってくる。
だから、脳科学的なpolitically correctはNOである。
すなわち、意識的体験は脳活動に影響を及ぼさない。

そうなると、 [1]と[2]に本質的な差はないことになる。
何故なら、[1]のようにBをするという判断をするのに、
その前のAをしようかBをしようかという意識的体験が
あろうがなかろうが、関係ないからである。

それで、あのとき、オレが捉えたかったのは、
つっと湧き起こる感情についてである。

感情が、つっと湧き起こる時刻およびその内容は
当然その前に意識的には規定できない。
それは必ず無意識のプロセスによって、
そして到底意識化されない膨大で複雑な神経活動によって
生成される。

無意識というのは意識化されていない脳の神経活動のすべてのことで
それ以上でも以下でもない。

結局、あるイベントが起こる機序は到底わからなそうだから、
その発生確率を見積もるようなことをすればいいのか。

でも、あのトライアル数、あの制限時間で
分布の形の推定を統計的に十分な精度で行えるとはとても思えない。
では、どの程度だったらよかったのか?
それを正確に計算したあとに、追試を行うのはどうだろうか。

ただ、もっとも近い分布が分かったとして、
それはやっぱり自由とは関係ない。
じゃあ、なんななんだ?


lim lim (cos 2*pi*m!*x)^n

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ちょっと感動したのでメモ。

f(x) = 1 (xが有理数のとき), 0 (xが無理数のとき)

という関数があって、これは前から知っていたけど、
こういうへんてこな関数は数式では書けないよなーと
思っていたら、書けるということを発見。

f(x) = limm→∞ limn→∞ (cos 2π・m!・x)n


「m!」のmを無限大に飛ばすことで、xが有理数であるかぎり、
どんなxでもcosの値は1。
他方、xが無理数であれば、必ずcosの絶対値は1より小さくなり、
1より小さい数を無限回掛け合わせれば0に収束するので、
無理数の時は0になる。

わーお

Reading in Toilet

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最近は某指導教官の人もなさっているという
トイレに「積ん読」をしている。
(いや、トイレで積ん読のほうが正しいか?)

どうもこの方式は自分の性質に合っていたらしく、
用を足すついでに1,2分でさくっと読んで出るというのが
習慣になってしまった。
興が乗ると5分とか"延長"してトイレにこもっている。

いまや読む文章のほとんどが英語なので、
単純に日本語の文章を読むというだけで心地よい。
用を足してほっとしつつ、日本語が読めて気持ちいい。
2重に気持ちいいのである。

いま読んでいるのは中古で105円で買ってきた、
清水幾太郎の「論文の書き方」という本。


アマゾンの書評に次のような一節があった:
"あなたのキーワードが「清水幾太郎」なら勧める。
「論文の書き方」なら勧めない。"
この評が的を射ていると思った。

読んでいて、いろいろと納得することがあり、
やはり一流の物書きというのは
これぐらい日本語という武器の扱いに自覚的でなくてはだめなんだなと、
知ることができた。

長年かけて丁寧に手入れしてきた絶大な切れ味のナイフを
見せてもらったような感じだった。

pay it forward

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23日にクリスマスイブのイブを祝う会をして、
インスタントにクリスマス終了。

クリスマスの雰囲気というのは街にだだ漏れているものだと
思っていたが、どうもあれはテレビによって
錯覚させられているらしいことが、昨日分かった。
テレビをみないとすがすがしいほど何も感じない。

昔はクリスマスなんて、ケッ、ていう派だったんだけど、
今年はそういうアンチクリスマスな気分になることもなかった。
妹かハハにもらった"もこもこ"生えるクリスマスツリーが
2日ぐらいでぼわんと大きくなって、
その2日後ぐらいには脆くも崩壊していくのを見て
毎日うっすらとお祭り気分を楽しんだ。

P1000005.JPG

石川君のくれたブーブ・クリコのロゼ(シャンパン)をあけて、
モスチキンを食べて、
高松さんにもらったくろうさぎとしろうさぎの絵本と
ふくろうの絵本を読んで過ごした。
石川君、高松さん、すてきなプレゼントをどうもありがとう。

CIMG3903.JPG

P1000006.JPG


今日は本郷へ。
湯島まで歩いて一片雲で四川風ピリ辛鳥そばを食べた。
相変わらずぜっぴん。

一緒に食べた先生にごちそうしてもらってしまった。
指導教官にしろ、この先生方にしろ、
風圧で吹き飛ぶぐらい勢いよくお辞儀をして
「あーざっーす」(ありがとうございますを体育会系風に)
と腹の底から叫びたいほど、
施しをしてくださる。

自分は暖かい人々のなかにいるのだとひしと感じる。
糊口を拭うのも独力ではままならない自分が、
果たしていつ誰かに施しをできるようになれるのだろうか。
でも、そうならねばならない。

思えば大学受験生だった頃によくしてもらっていた先生は
たぶん今の自分と同い年か若いぐらいだったと思うのに、
なんど飯をおごってもらったかわからないし、
勉強以外の様々のことを学ばせてもらった。
自分がその先生と同じ年になったというのは、
静かに心をかき乱し、突き動かす。
直接返すのではなく、次へまわせ。


二週間が一息で過ぎてしまった。
一息ついたら、また走り出す。

This is MAMP, not LAMP!

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ちょっと感動したのでご報告。

* * *
ブログ作成ツールMovableTypeに関わるバイトをはじめてそろそろ10ヶ月。
その頃は少しPerlが使えるぐらいだったけど、
MovableTypeの開発に携わるうちに、それに関連する領域のことも
わかるようになってきた。

現在のWeb上で展開されているブログやブックマークやSNSなどのサービスは、
ほぼすべてLAMPというフレームワークによって動いている。
バイトは始めた当初は「LAMPね、へーそう」てな感じだったんだけど、
LAMPを構成するひとつひとつを理解するようになって、
それでLAMPというのは、フリーなのになんて広汎で強力な
プラットホームなんだ!と驚きを新たにしている。

LAMPというのは
・Linux
・Apache
・MySQL
・PHP
の頭文字を取ったものだ。

Linuxは言わずとしれたフリーのOS。
Apacheはサーバーのソフトのこと。
サーバーというのは「サーバー」という種類のコンピュータが
あるのではなくて、
あるコンピュータ上で「サーバー」として振る舞うソフトが
動いているもののことを指す。
その「サーバー」として振る舞わせるソフトがApache。
それから、データベースの閲覧・追加・変更を行うのがMySQL。
最後に、とてもMySQLと相性がよく、かつ
Webページを動的に生成するのに長けているプログラム言語がPHP。

MySQLはSQLiteとかPostgreSQLなどでも代替可能だし、
PHPもPerlやRUbyやPythonでも代替可能。

おおざっぱに言えば、
MySQLで強力なデータベース制御を行い、
その為のWeb経由のインタフェースを提供するものとしてPHPがあり、
LinuxとApacheでそれを支えている感じ。

* * *

で、何に感激したかというと、
ほとんど何もせずにそのLAMP環境をMac上で実現できてしまう。
だから、LAMPならぬMAMP(Mac, Apache, MySQL, PHP)なのである。

参考ページ:Max OS X LeopardでAMP環境を構築しよう - Apache, MySQL, PHP, Perlで作る開発環境

futomiさんのわかりやすい解説に感謝!

ApacheもPHPもMac OS X Leopardにははじめからインストールされているので、
何もする必要はない。
MySQLはインストールする必要があるけれど、
ダウンロードしてダブルクリック、する程度で済んでしまう。

Apacheの起動がほんの数クリックでできたのは感動だった。
システム環境設定>共有>ウェブ共有
をONにするだけ。

で「http://localhost/」とすると、有名な
「あなたの予想に反してこのページが見えているでしょうか?」
というApacheがデフォルトで返すHTMLが見えた。

PHPはコンフィグファイルを一行修正するだけで動く。
あ、Apacheの再起動を忘れずに。
あっさりと、「<?php phpinfo() ?>」とだけ書いたPHPファイルが動いたので、
やはり感動した。

独自でサーバー上のシステムの開発をしない人には
ぴんと来ないし、やろうとしてもちょっと難しい部分はあると思うけど、
(昔の自分がそうだった)
ちょっとサーバーのことを知っているひとなら
とても簡単にこれを導入して使えると思う。

解説記事を書いてくださったfutomiさんに再度感謝!

gathering good will

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ばたばたばたと、慌ただしい一週間だった。
めずらしく、何かを「落とす」ことなく、
一通り To Do を達成できた。

結婚して以来、ぐんぐんと体調が良くなって、
ほとんど風邪を引かなくなった。
一人で暮らしてた頃は3日に一回ぐらい風邪を引いていたのに。

冬の寒さが本格化してきたようだけど、
あまり寒さを感じないし。
家の密閉性が高い上にガスヒーターだから家の中はきちんと暖かいし、
代謝が上がっていて、
しっかりと体が発熱をしていてくれているらしい。

相変わらず朝は弱いのだけど、
3時に寝ても午前中には起きられるようになったのは
ありがたい。

結局、精神論や根性論ではどうにもならないことがある
というのがある時からわかるようになってきて、
きちんとしたゴハンを食べて寝る、というのを心がけている。
根性論は頑健な肉体があって初めて可能なのだと思う。
頑健な肉体を作るための根性論は身を滅ぼす。

* * *

今年の茂木研 X'mas Special はヘライさんが優勝した。
使っている素材自体は大したことないスナップ写真なのに、
絶妙な切り口でそれに"ラベル"をつけて、
みんなを笑かしてくれた。
X'mas Special にぴったりの出し物だった。
自分もヘライさんに投票したので、
他にもそう感じた人が多かったかもしれない。

今年の茂木研忘年会は去年とは違う場所でやった。
僕が場所選びをしたのだけど、
あの場所を選んで正解だったと思う。

一応、会の幹事と言うことで動いていたんだけど、
X'mas Special が終わった時点で力尽きてしまって、
後は勝手にやってくれーいと場の中心からはずれたところで、
のへーっとしていた。
(ウォッカを飲まされてつぶれたというのもある)

今思うと、食べ物の買い出し第二弾をいくはずだったのに、
すっかり行くのを忘れてしまっていた。
でもしばらく経ってから場の中心に戻ってみると
酒やつまみが足りないという感じではなかったので、
他の人がやってくれたのかなぁと胸をなで下ろした。

茂木研以外の人も後からたくさんいらしてくださって、
ワインとか食べ物の差し入れをしてくださった。

訪れる人の善意が集まって、豊かな場になったようだった。
素直によかったと思った。

最後の最後まで残っていたのは
茂木研の学生5名の他にササキさんとハナノさん。
お二人とも元気である。

ササキさんとはよく飲み会でお会いするので、
茂木研の学生に混じって飲むのはまったく違和感がないのだけど、
よく考えたらうちの親父より少し下ぐらいの年齢なのに、
平気で20代の僕らと飲んでしかも僕らより元気だったりする。
そのことに気付いて、これは驚くべきことなんだなと思った。
さすがはデンツーマンということか。

ハナノさんは見るからに若くて、
ラグビーをやってたから体もがっちりしていて
元気の塊みたいなひとだけど、
実は茂木さんより少し下の40代だということに驚いた。
20代だと思ってた。

自分より10も20も30も年上の人が、
自分より元気に見えるというのはどういうことなのだろう。

自分より10も20も30も年下の人と付き合うというのは
どういうことなのだろう。
あんな風に自然体で、イヤミや胡散臭さを感じさせず、
迫力のある存在として振る舞えるのは何故なのだろう。

ともかく、元気なひとはいいし、元気な自分でいたいと思った。

* * *

今日は先月から準備していた某奨学金の申請書類を郵送することができた。
結局、提出締め切りぎりぎりになってしまった。
消印有効ということだけど、受理されるかどうか心配だ。

その奨学金は高校生から大学院生までが対象で、
採択されるのは合計で10名だという。
倍率は知らないけれど確実に狭き門だろう。

受かっても受からなくても、
「自分自信の将来の目標について3600字程度で書け」という小論文を
書き上げられたので満足している。

現在の自分がどこに向かおうとしているのか、
無意識的に漠然と思っていたことを言語化できて、
とてもよい自分自身のレビューになった。

>指導教官様
推薦状ありがとうございました!

4 hours before lost memory party

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結局、奨学金の書類も書き終わらず、
X'mas Specialの出し物も決めないまま、
家を出なければならない時間になってしまった。

せっかく集めた様々な書類が無駄になるかもしれないな・・・。
X'mas Specialは凝ったものはしないつもりだったけど、
まさかNo ideaで当日を迎えるとは・・・。

長い一日がはじまる。

豪腕をふるえ。

Urchin Rice Cookie

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指導教官の人をみていると
「忙しい」と言うのはとても憚られる。
自分より100倍は処理効率がある人が
自分の100倍の生産性を発揮しているのだがら、
コマッタものだ。

あるいはこれが年末進行というのかしら。

周りのみんながせっせと実験データの解析をしたり、
論文を読みながらアンダーラインを入れたりしているのを
見ていると、
ホテルの予約をしたり、宴会の準備の段取りをしたり、
案内のメールを出したりしている自分が
ものすごい勢いで取り残されていくような気がする。

人のやる気を削ぐことにかけては
ピカイチの人がいたりもして、
それはともかくウニせんべいがうますぎる。

この動画が面白い。

こういう映像がとれるカシオのEX-F1というカメラが欲しいな。


DRC-BT15P

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冬になると何故だか、
音楽をイヤフォンで聞きながら、
顎と口のあたりをマフラーにうずめて、
少しうつむき加減にしながら歩きたくなる。

しかも、真っ先に聞きたくなるのは
「U2」の曲だったりする。
高校生の頃、冬にU2のベストアルバムを聴いていたから、
その名残なのかもしれない。
寒さが叩く連想記憶。

で、iPodを探したのだけど、
探しても探してもみつからない。

M1の時のクリスマススペシャルで獲得した
世界に二つだけのiPod。
裏に「Mogi lab. X'mas Special 2006」と刻まれているやつ。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/12/post_f6b0.html

どうも引っ越しのどさくさでなくしたようだ。
茂木さんごめんなさい。

それで仕方がないな、どうするか、ということで、
携帯で音楽を聴くことにした。

いま使っている携帯電話はDocomoのP903iで、
これにはBluetoothが付いている。
そこで、Bluetoothのレシーバーを買ってみた。

SonyのDRC-BT15P

ヤフオクで1GのmicroSDを600円ぐらいで落札し、
そこに音楽データを入れることにした。
Macでやろうと試行錯誤したが、
microSDをMacにつなぐと途端にP903iがそのmicroSDを認識しなくなる。
で、結局奥さんの古いwindowsを借りてP903iに
音楽データをつっこんだ。

それで準備ができて、Bluetoothで無線接続して音楽を聞いてみた。
これが思いの外快適である。
鞄を下ろしたり、マフラーを外したりするときに、
コードレスなので、いちいちプレイヤーを取り出して、
肩紐の間をくぐらせて、とかをしなくていい。
いちいち音楽をとめたり、イヤフォンがずれたりしないので、
便利だ。

しかも、MacもBluetoothで接続できるので、
MacとカップリングすればMacから音楽が聴ける。
この場合、少し席を離れるぐらいなら音は途切れないので、
すごく贅沢な気分になる。
皿洗いしながら離れた場所にあるMacの音を聞くとかできる。
Macの音声出力がスピーカーからDRC-BT15Pに変わるだけなので、
音楽だけではなくて、YouTubeやウェブ上の音声ファイルなんかを
聞いたりだってできる。

音楽を聴くという体験は、
5分の間にたかだか5秒途切れるだけでも、
結構ストレスを感じるものなので、
このBluetoothワイヤレス方式はよい。

それから、このDRC-BT15Pを買うことにした決め手は、
ヘッドフォンだけでなく、通話もできるという点。
本体にマイクが内蔵されていて、
携帯で音楽を聴いていて電話がかかってきたら
音楽が止まって着信音が鳴り、
本体のボタンを押せばそのまま通話ができるのである。

携帯を耳に押し当てるよりも数段クリアに相手の声が聞こえるし、
こっちの声も電話にしては高品質に相手に伝わるようだ。

Bluetooth、もっと普及しないかなぁ。

Running about in Tokyo for a scholarship

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昨日はブザキの輪講@すずかけD部屋。

いま、10章を読んでいる
(2008.12.15追記:10章じゃなくて9章だった。)
binding problemについて論じ初めて、γ(ガンマ)振動の話になって来ている。

binding problemとは、例えば目の前にみかんがあって、
そのみかんのオレンジ色で丸い形で
表面がぶつぶつした感じの素材感で
自分の左斜め前、1メートルぐらい遠くにあって、
テーブルの上にのっているということが、
脳の中でどうやって単一のモノの属性として統合されているかという問題だ。

それを説明するためのモデルとして、
最初に階層的なフィードフォワードなネットワークを考えて、
でもそれじゃあいろいろな点でだめじゃんということになって、
synchronyによる結びつけのモデルを考える。

それからsynchronyを担っているのはガンマバンドの神経活動なんじゃないか
という流れで話がすすむ。

個人的にはガンマ波の活動っておもしろいじゃん!と思った。
Libet実験でガンマ波の活動を見たらどうなるんだろうか?

途中でBarlowのgnostic unitの概念がでてきたり、
JungとPauliの対話の中から生まれたsynchronicityの話などがでてきて、
読み応えがある。

synchronicityの話を読んだ次の日の茂木さんのブログにも
シンクロニシティのことが書いてあって、
これもいわゆるひとつのシンクロニシティかしら、と思った。

今日はちょっとCSLに顔を出してそれから早稲田へ。
自転車で行ったんだけど、けっこうしんどかった。
やっぱり、五反田からだと気軽にいけるのは渋谷までだな。
渋谷と新宿の間は思いの外、距離がある。

行きは青山とか溜池のあたりをぐるぐる回ってしまい、
気付いたら国会議事堂裏にいたりとかして、
だいぶ無駄に走ってしまったみたい。
防衛庁とか国立競技場とか青山一丁目とか千駄ヶ谷とかを通った。

久しぶりに来た母校は、なんだかひっそりとしていた。
中庭を見ても窓越しに教室の中をみても、
51号館をみても、なんとも思わなかった。
もっと感慨とか懐かしさがこみ上げてくるかなと思ったら、
びっくりするほど何も感じなかった。

いま、とある奨学金の書類を書いていて、
早稲田に来たのは、
その書類と一緒に提出するために学部時代の成績表が必要だったから。

自分の将来についての3600字の小論文に手こずっている。
なかなかその字数を埋めるのが大変だし、
分量が多くなってくると話の筋をきちんとさせるのが難しくなる。
いい思考の訓練になるかもしれない。

それが書ければあとは写真を貼るだけか。
いや、指導教官の推薦文が必要なんだった。
茂木さん書いてくれるかなぁ・・・。

Thank you, the professors !

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CIMG3841.JPG

この間いただいたお酒とこの間いただいた酒器で晩酌をしました。

日本酒は、長沼先生曰く「オレが作った」らしい。
珠酒と書いて「シュシュ」と読む。
しかも、なんと特注の酒袋に入れてくださった。

CIMG3849.JPG

ふくろうは知恵の象徴だと、茂木さんは試すような目で言った。
あの目はずっと忘れない。
あの目をそらさずに見つめ返せるように。


9 steps down

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ゼミで発表だった。

Gambling Urges in Pathological Gambling

相変わらず、よく知らない論文誌から妙なのを選んできてしまう。
ほとんど「urge」という単語に反応しただけだったりする。

でもね、池波正太郎は言っているよ。
ダメな映画というものはないと。
その映画が何でつまらないかを考えることで得られる物はある。
だから、どんな映画だって見て無駄だったということはない、と。

ま、自分なりに収穫はあったさ。
おもしろさの閾値を超えられなかったひともおわしたが。

それはともかく、今日もひどい論文紹介であった。
博士課程になったはいいが、上手に論文紹介できない。
ちょっと前のオレだったら、間違いなく、
発表後数時間は誰かと口を利いたり、目を合わせたりできないほど、
深刻に落ち込んでしまったはずだけど、
もう平気。

いまは根拠のない自信が、胆の中にたゆっている。
自惚れと言われてしまったらそれまでだけれど、
ゼミの場で情けない発表をした自分が
今の自分のすべてであるわけではないんだ、
ということをこの一年で学んだ。
それに、いつまでもこんな風ではいない!
という心の"ハリ"も生まれつつある。

ゼミ後、チェゴ屋に吸い込まれていく仲間たちを横目に
九段下へ移動。

九段下には印刷の仕事で昔に何度か来ている。
(それ以外でも通ることはあるが)
その時によく食べたお刺身定食のおいしいお店でランチを
とりたいと思っていたが、
どうもそのお店はなくなってしまったようだった。

仕方なくあたりを彷徨い、
ハンバーグランチか、つけ麺かで迷って、
結局つけ麺にした。
こういうどっちを食べるか的なシチュエーションでは、
最近は全然悩まなくなった。
2秒で決める。

経験的に、悩んでも意味がないと悟ったみたい。
悩む時間を多くすれば、食後の満足度が変わるかというと、
実は全然変わらないということが
26年間の経験でわかってきた。
食後の満足度が変わらないので、
悩む時間は短い方がよりutility(効用)は高いわけである。

Believe your gut feeling !

いや、それはちょっとカッコつけた考えで、
実のところオレはお腹いっぱいになると、
反実仮想ができなくなる。
つけ麺を食べてお腹がいっぱいになると、
ハンバーグ定食を食べた方がもっと満足できたかな、ということが
一切浮かばないし、考えたくなくなる。

もしその反実仮想ができたならば、
やっぱりあっちを食べていた方がよかった・・・という
後悔の気持ちがうまれようがあるけれど、
そもそも反実仮想が起きないので後悔も起こらない。

すなわち、つけ麺だろうが、ハンバーグだろうが、
どっちを選んでも関係ないのである。
ということはどっちを選んでも結果が変わらないのだから、
悩むだけ無駄である。
よって、テキトーに思いつきで決めることにしたのである。
より科学的にいうならheuristic?

まあ、26年間"自分"をやってきて、
その性格を見抜いた、ということである。

Emiko and Shinichi get married !

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この度、わたくし野澤真一は伊藤笑子さんと結婚いたしました。
ここの所の思わせぶりな日記はそういうことだったのです。

10月の半ばから同居し始めていて、
本日(12月4日)、婚姻届を提出し、受理されました。

これから具体的に何かが変わる、というわけではないですが、
生まれ変わった気持ちで、新しい日々を歩んでいこうと思います。

まだまだ学生の半人前ではありますが、
笑子さんと共に支え合いながら生きていこうと思います。

これからも笑子さん共々、
変わらぬご愛顧をよろしくおねがいいたします。


2008年12月4日   野澤真一


CIMG3811.JPG

The last night

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「ripen」というお店で、親しい方々が集まって
お祝いをしてくれた。

「ripen」というのは「熟する」という意味だと
長沼先生が教えてくれた。

成熟にはまだ遠いけれども。

ほっぺたの肉が終始緩みっぱなしで、
あとで写真を見返したらだらしない顔をしてるんだろうなと思う。

そう広くはないお店だったけれども、
真ん中に座って左から右へと見渡した光景は壮観だった。
ナイアガラの滝も北欧のオーロラもみたことはないけれども、
その光景はきっとそういう世界の絶景の中のひとつに比する。

こんなにたくさんのすてきな方々に祝福してもらえるなんて奇跡だ。

僕は人々の間で生きていて、
しかもこんなにも頼もしいひとたちに囲まれている。
見切り発車のように見えて、
その実感が今の自分の決断に確信をもらたしている。

それは大風呂敷であり、大見得であり、
契約であり、拘束条件であり、
決意であり、覚悟であり、意志である。

法的根拠はおろか、言語化するのも困難な何かであり、
冬の朝の空気感に似ていて、
心地よい緊張感を帯びた雰囲気でもある。

その場で言いたいことは言い尽くしてしまったので、
もう繰り返す気力がないけれど、
一つだけあるとしたら
「見ていてください」
ということ。

もし、これが物語なら、
間違いなく今日でひとつの区切りがつく。
野澤真一の物語、第一部完。

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